Jul 19, 2010

脳死と臓器提供について考えてみた。

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テーマ:ニュース(86365)
カテゴリ:ニュースのこと

17日から改正臓器移植法施行だそうです。

たまたま脳死と臓器移植に関する本を読んでいたので臓器移植に関して”遅れている”といわれる日本も徐々に変わってきているのかなと思いました。

けど。

本に関しては後ほど感想書きますが、考えれば考えるほど”遅れている”のが悪いことではないような気がしてきて。
”遅れている”のは”慎重”ともとれるわけで。

そもそも”脳死”は脳が不可逆的なダメージを受けて決して回復しない状態、だそうですが世界には(モチロン日本にも)脳死と判定された状態からの生還が何例もあるんですよね。
アメリカの例ではなんと脳死宣告をする医者の声まで聞こえていたとのこと。

これは脳死判定に問題があったのか?
脳の仕組みはまだまだ解明されていないことが沢山あるので脳死と判断されても生還する可能性は残されているのか?
だとしたら”脳死”の考え方は”決して回復しない”じゃなくて”回復する可能性はまれ”くらいにしないといけないですよね?

それでも臓器提供するのか。

オースでは脳死=死と法律で定義されているため脳死判定されたらすみやかに治療は終了みたいですが・・。
その上臓器ドナー登録などしていたら脳死判定が甘くならないと誰がいえよう?
脳死判定基準ってそもそもかなり数値よりも客観的観察事項が
多いみたいだし。
医者だって人間だもの。
間違いだってあるよね?
この患者は死んでいるっていう思い込みにって判断がにぶることだって
あるよね?

助かる可能性がほとんど0の患者よりも無駄になる可能性の高い臓器使えるうちに速やかに必要な人たちへ提供してはどうかと思うのは普通の感覚だろう。

だけど。

その患者が肉親だったら。自分だったら。
万が一にも見た目は反応は無くても意識はあったら?
そんな孤独の中臓器を取り出されるなんて恐怖の中死んで行くなんてむごすぎないだろうか?

その上、オースは多分イギリスに倣って脳死基準が
全脳死ではなくて脳幹死。
呼吸などの中枢である脳幹が死んだら他の部分もそのうち死ぬだろうって
考えなのかもしれませんがたとえ大脳が生きていても(考えることが出来ていても)
脳幹が死んでいると判定されたら「オマエはすでに死んでいる」宣告されるってこと?

イヤダ~。

オースでもドナーになりましょうキャンペーンをしていてテレビなどでコマーシャルがばんばんばりばり流れています。
けど、やっぱり医療システムや”脳死”自体を信用できなければワタシには無理かなぁ。

もういつ死んでもいいねん、って思えるくらいになったら登録してもいいけど。
そんな古い臓器でも役に立つのかしら?

それでもドナー登録をしている方々には本当に頭が下がります。
そして移植しか生きる道がない方々のことも考えるとなんともいえない気持ちです。
でも。
ごめんなさい。
ワタシはチキンです。
まだこの国の医療システムを信用できません。
そして”脳死”の定義にも疑問があります。

心臓死のあとでも移植できる角膜と腎臓なら・・考えようかな・・。


:::::beadsbear:::::








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Last updated  Jul 19, 2010 05:01:43 PM
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