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一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

40代という悩みと特別養子

特別養子という選択

特別養子・・・私達に可能なのだろうか?
彼女の近況報告のメールを見ながらそう思った。
ただその時の彼女はもう40代になっていたし旦那さんも確か彼女より
年上だと聞いた覚えがあった。
彼女より私は年上だけど可能なのだろうか?
ぱんだに相談してみた。
「特別養子を民間から迎えるのってどうかなぁ」
「いいと思うよ」
「お父さんたちどう思うかなぁ」
「育てるのお父さんたちじゃないし。夫婦がいいと思うのだったら
きっと納得してくれるよ」
「ぱんだはどうなの?」
しばらく沈黙した後にぱんだは言った。

「やっぱり子供がほしいよ」

その言葉だけで十分だった。
ぱんだは子供が欲しい。家族になりたい。
そんな気持ちをプリンが泣くからあんまり言えなかったんだよね。
すぐに彼女に連絡を取りその会の方に連絡を取り持ってもらった。

プリンもその会の方に電話をした。
温かい声の男性でプリンの治療状況などを聞いていただき
あとは面接をしてお話を聞きたいとのことだった。
一ヶ月後に面接が決まり
ご自宅で行うとのことを聞き
夫婦して上京することにした。

実はぱんだは東京出身。なので結婚して義母が弱るまでは
毎年東京へ墓参りに家族して出かけていた。
義母はもう弱ってしまったしせっかく上京するってこともあって
面接の次の日にお墓参りにも行くことにした。

面接の日
土曜日の夜遅い時間に最寄りの駅まで迎えに来てもらって
会の代表の方の自宅に伺った。
奥様と旦那さまのお二人での面接
どんな事を聞かれるのかと思ったけれど
治療のことや家族の対応など
普段のことをお話した。
治療で何度もチャレンジしたけどどうしても子供が
できなかったこと。
夫婦ではあるけれどやはり子供を迎えて家族になりたいことなど
話した気がする。
深夜になり宿泊のホテルに送ってもらえることになった。
遅くまで話をして申し訳なかったのでタクシーでもと
思っていたのだけど遅い時間だしということで
甘えることになった。

帰り際に代表の方がぽつりと言った

「どうしてあなたたちが子供が欲しいのかわからないんだよね。」

ああ・・・面接は失敗した・・・とその時思った。
きっと何かが私達に足りないんだろう。
それが自分たちにはまったくわからなかった。
深夜にホテルまで送ってもらってから涙が止まらなかった。
泣きながらベッドに倒れこんだけど
ほとんど眠れなかった。
次の日
お互いに無口なまま朝食を終えて
ぱんだの実家のお墓参りをした。
どっかの占い師が言っていた
旦那さんの実家のお墓にお願いごとをするって・・
墓石を磨きながら
「子供を迎えたいです。どうかぱんだ家の名字を継ぐ子供をください」と
何度もお願いしてしまった。ご先祖様にしたら
とっても迷惑なことだろうな・・と今になっては思う。

帰りの新幹線で
「ダメじゃないかな」とぽつりと言ったら
ぱんだが
「待っていてくださいって言われたじゃないか。あとは待とう。
それまでに言われたようにできることをすればいいじゃないか」
・・・・そうだよね。

面接のときにO県のベビー救済教会の紹介も受け
問い合わせをして面接に行くことも決まった。
短期間のうちに西へ東へと面接に出かけた。
O県でも
「早くお母さんにしてあげたいな」と言われて
いっぱいの期待だけはいただいた。

先の彼女は
「特別養子認定を受けるためにも里親登録した方がいいよ」と言ってくれた
前の電話対応でものすごく嫌な思いをしたので躊躇したのだけど
やっぱり子供のためにともう一度勇気を振り絞って
電話して里親希望と伝え手続きにもチャレンジした。
毎月代表の方に定期連絡と称して近況報告をしながら
ただ待つことになった。

ただその間に
実家と義実家には養子を迎えようと考えていることを話をした。
ぱんだの両親は高齢ということもあり
手をあげて喜んでくれた。
プリンの実父はあまりよくわかってないようだったが
それでも喜んでくれた
プリンの実姉は
初めは反対していたけど決心が固いことを知ったら
理解してくれて賛成してくれた。
面接して半年以上過ぎていた。




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