バンコク 画廊主アコさんの写真ブログ

2013/08/07(水)16:48

広島の一枚の写真

日本(28)

この写真は、転載ですので、多くのかたがみられていると思いますが、、、最初に見たのが、10日程まえだったかな。 なぜか今でも、思い出しては 涙が滲みでます。やりきれない 悲しみが湧いてくるとでもいいうのでしょうか。 きょうは また他のかたが、日本語で違う立場でかかれていて、、、忘れたくないので、ここに転載して残しておきたいとおもいます。  目撃者の眼   報道写真家 ジョー・オダネル 1999年76歳になる ジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の 報道写真家として 第2次世界大戦後の日本を撮った。 佐世保から長崎に入った私は、 小高い丘の上から下を眺めていました。 すると白いマスクをかけた男達が 目に入りました。 男達は60センチ程の深さにえぐった 穴のそばで作業をしていました。 荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の 中に次々と入れていたのです。 10歳ぐらいの少年が 歩いてくるのが目に留まりました。 おんぶひもをたすきにかけて、 幼子を背中に背負っています。 弟や妹をおんぶしたまま、 広っぱで遊んでいる子供の姿は 当時の日本でよく目にする光景でした。 しかし、この少年の様子は はっきりと違っています。 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきた という強い意志が感じられました。 しかも裸足です。 少年は焼き場のふちまで来ると、 硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。 背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、 首を後ろにのけぞらせたままです。 少年は焼き場のふちに、 5分か10分も立っていたでしょうか。 白いマスクの男達がおもむろに近づき、 ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。 この時私は、 背中の幼子が既に死んでいる事に 初めて気付いたのです。 男達は幼子の手と足を持 つとゆっくりと葬るように、 焼き場の熱い灰の上に横たえました。 まず幼い肉体が火に溶ける ジューという音がしました。 それからまばゆい程の炎が さっと舞い立ちました。 真っ赤な夕日のような炎は、 直立不動の少年のまだあどけない頬を 赤く照らしました。 その時です、炎を食い入るように見つめる 少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。 少年があまりきつく噛み締めている為、 唇の血は流れる事もなく、 ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。 夕日のような炎が静まると、 少年はくるりときびすを返し、 沈黙のまま焼き場を去っていきました。 (インタビュー・上田勢子) [朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

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