When the music's over―ともるー'sブログ

2010/05/02(日)04:07

柿の木のある庭の今

いつか思い出になる日まで(20)

仕事に行く時や、お散歩の時、いつもこの前を通る。 この冬の雪が溶け始めた頃 雪の中から、車が姿を現した。 庭のご主人が乗っておられる車だった。 お加減がお悪いのかなぁって思っていたら ある日 こんな看板が立ってた。 posted by (C)ともるー 売り物件 ってね。 そういえば、 posted by (C)ともるー 冬囲いも posted by (C)ともるー ここだけまだそのまんまで。 家屋の所の土地は売られたんだけれども この庭だけは とってもとってもご主人のお気に入りで。 もう二年以上前になるけれども、この庭で posted by (C)ともるー 10月下旬につつじが咲いたとき、お話しをしてくださった。 その庭が 売られる。 仕方のないことかもしれないし 単なる 私たちの感傷かもしれないのだけれども。 それでもやっぱり 一抹の寂しさを 感じてしまう。 多分買い手がついたら 柿の木、 なくなっちゃうんだろうな ...って。 ←いまだから書くけども、私がそれまで10年以上勤務した病院の退職と開業を決意した理由の一つに ポチ! 人気blogランキングへ←病院の改築計画で、敷地に、多分開院以来50年以上も立派に生えていた木々を、移植じゃなくて、ただ単に切り倒すってことを知ったせいもある。ことあるごとにいのちの大切さを語り、この木々の思い出を語っていた院長兼理事長の、何と浅薄で口先だけの美辞麗句であることか。私は、こんな下らない者に、我慢を重ねてついていく価値はないと思った ポチ! 彼は、自らのこころや来歴を自ら省みる非常に特殊なセラピーを新興宗教的に狂信しており、スタッフや患者さんに強要する者であったし、自らそのセラピーを受けたものの、効果は仕事復帰後半日しか保たなかった...ということにすら気づかないような者だった。 加えて、50代半ばを過ぎ、妻であった旧理事長に暴力をふるったうえに、上に書いたセラピーとは異なるセラピーの女性講師と関係を持ち、女性講師の住まいに入りびたっていた...ということに他のスタッフはみんな気づいていた、ことにも気づかないような者だった。 私の退職後、認知症の患者さんに暴力をふるい、彼はそれが「その患者のためである」と心の底から信じていた者。 そういう者の下で、私は働けない/働く必要はないと確信した。 その確信と決断は、決して間違っていなかったと思う。 ここの庭の柿の木は posted by (C)ともるー 今日は posted by (C)ともるー こんなふうで。 この庭で、けなげに posted by (C)ともるー 春を告げるクロッカス咲いてた。

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