心霊現象な日々17~26話その17【コックリさんの怪】小学5年生のとき、夕食を終えて兄や父とテレビを見ている私のところに母がやってきた。小さな声で背後から私を呼ぶ。振り返ると、尋常ではない顔つきの母がこちらを凝視して立っている。ただごとではないと察し、立ち上がって母のところに行った。母はダイニングキッチンの隣の部屋(唯一、他の部屋から独立していた)へ私を導いた。 引き戸(ふすま様)を開けると、部屋の照明は消されていて、真っ暗だったが、なぜかほのかな明かりがどこからか放たれていた。足元を見ると、ろうそくが2本、灯されていて、その間に白い紙があり、何かが書かれている。 「おかあちゃん、何これ?」 「コックリさんや」 「……」 知らない言葉だった。 「どうするの?」 「これからおかあちゃんの手がとまったところの文字を紙に控えてほしいねん」 母が後ろ手に扉を閉めた。私は言いようのない恐怖を感じていた。この後何が起こるのか想像できないこともそうだが、母の表情が異様なことが恐怖を増幅させた。 間もなく母は胸の前で手を合わせ(仏教式ではなく、キリスト教式の合わせ方。母は仏教徒だったが、なぜかこうする癖があった)、ブツブツ言い始めた。次に、母は割り箸を持ち、鳥居のマークが書かれた部分にのっかっている十円玉の上に箸を置いた。再び母は何かをつぶやいた。するとすごい速度で、鳥居の右に書かれた「はい」という文字の上に箸の下の十円玉が移動した。と、すぐに鳥居に戻る。終始母は下を向き、目を閉じている。 次に母がぶつぶつ言った後、箸と十円玉は、紙に書かれた50音の中の「な」の上に移動した。次が「お」。私は慌てて紙に書きとめた。すると、母の手の動きがおかしくなってきた。箸を持った手が激しく文字の上をこするように動く。手はラ行あたり、「る」か「り」かわからない位置だった。もはや十円玉は箸の下からはずれ、遠くへ飛んでいってしまっている。次に手が動いたのは「ね」だった。箸もすっ飛び、母の手は拳を握ったような格好で「ね」の文字をどんどん叩いている。事態を把握できず、慌てるばかりの私に母は 「痛い、痛い」 を繰り返す。 「とまれへんの?」 「とまれへん」 母の顔は苦痛に歪んでいる。意味のわからない私は、ただ手をこまねいて見ているばかりだった。 やがて手がとまり、ぐったりした母の手は、鳥居のところに戻った。母は再び手を合わせて 「ありがとうございます」 と小さく言った。 「書いてくれた?」 母がこちらを向いて言った。憔悴し切った表情だった。紙を見せた。 「そう」 そう言ったきり、母はしばらく言葉を発しなかった。 「何をしたの?」 「神さんに、おかあちゃんの病気が治るかどうか聞いたんよ」 母は、若いころに大病を患って以来、薬を飲まなければ発作が起きるという厄介な持病に苦しめられていた。 『なおるね』 と出たということは、治るということだと私は子ども心に安心した。 母は私をベランダに導いた。50音の書かれた紙と割り箸、十円玉を燃やしながら 「このことは、人に言うたらあかんよ」 私はきっと、人に話すと効力がなくなるのだと察知した。違う理由があったのかもしれないが、そのときの母に理由や感想を聞いたりする勇気は、そのときの私にはなかった。 数日して、学校で「コックリさん」が話題になった。雑誌「小学5年生」にこの言葉が登場し、瞬く間に子どもたちの関心事になった。みんなでやってみよう、ということになったが、「間違ったやり方をすると、のろいがかかる」という者が出現したりして、実行には至らなかった。 学校から戻った私は、母に言った。 「おかあちゃん、学校でコックリさんが話題になってるねん。やり方教えて」 「“コックリさん”……、あぁ、おかあちゃんが子どものころはやったなぁ。そういえば。やり方は覚えてないわ」 「え、この間やったやん」 「何を」 「コックリさん」 「おかあちゃん、コックリさんなんかしてないで」 母の表情に、何かを隠すために嘘をついているといった作為的なものは感じなかった。本当に知らないのだ。では、ついこの間コックリさんをやったのは母ではなかったのか……。 私は言いようのない恐怖を感じた。目の前にいる母とこの間の母は別人ではない。しかし、母はその事実を覚えていない。 “憑いた”のだ。何者かが母に憑いて、コックリさんをやらせたのだ。何のために? 私に見せるために? いま思い出しても、背筋が凍る。 その18【老舗旅館の恐怖】 小学4年生のときからの友達がいる。「心霊現象な日々 6」に登場した怖がりの看護婦さんである。 3年ほど前、彼女と旅行した。旅行といっても、彼女が勤めている病院や家から車で10分ほどの老舗旅館に温泉につかりに行っただけだった。 対向の車がやってきたら、延々とバックせねばならない細い道を走りきり、到着した旅館はいかにも「(安物の)老舗」といった雰囲気だった。玄関を入ったら、いわゆる「絨毯」が敷き詰められたロビーがあり、古びた応接セットが置かれてある。大きなイノシシのはく製が置いてあるのには 少々引いたが。 部屋に通された。気分が悪かった。部屋は決してきれいとはいえず、掃除や手入れはいい加減な 雰囲気がした。しかし、そのことが私の気分を曇らせているとは思えなかった。 気にしないことにして、露天風呂に入ることにした。脱衣所は極めて汚かった。渓谷の中腹に位置する露天風呂から下を見ると、川が勢いよく流れている。ある意味絶景なのだろうが、私には湯の表面に浮かんでいる、あるいは沈んで底に堆積している葉っぱや枝などが気になって、湯を楽しんでいる場合ではなかった。 早々に湯から上がり、廊下に設置されている自動販売機で缶ビールを買って部屋で飲むことにした。 やはり気分が悪い。不透明なガラス越しに見えているのは多分山肌だと思う。開けてみた。やはりそうだった。正面はほとんど視界がなく、わずかに開けている左手を見ると、赤い鳥居があり、その先に玄関の横顔が見えた。 「気持ち悪い部屋やなぁ。下に鳥居があるよ」 「えっ、ほんまにぃ?」 友達の顔が曇った。 「もう閉めて!!」 怖がり炸裂の瞬間である。 私は窓を閉め、再び酒宴を再開した。 食事が終わって一服していたとき、 「写真撮ろか」 私が提案した。先に友達を撮った。床の間を背景にほほ笑む友達をおさめた後、友達を怖がらそうと、くだんの窓の桟に座った。 「そんなとこで撮るの?」 「きっとこの辺に何か写るわ」 私は自分の右肩の上あたりを指し示した。 「やめてよ! 気持ち悪い!!」 そう言いながら彼女はシャッターを切った。フラッシュが光った。 私は窓を開けて窓の外に迫る山肌を撮った。 「鳥居、写したろ」 と、カメラのレンズを下に向けた。 「やめときって! そんなん写したらあかんねんで」 彼女のその言葉に根拠があるかどうかわからなかったが、妙な説得力があった。しかし、時既に遅し、である。シャッターを切った後だった。フラッシュがたかれ、あたりが明るく光った。玄関の横顔も撮った。 何をどうする、ということのない旅行だったが、それはそれで思い出になった。 フィルムは、我が社が常々使っているプロラボに現像だけ依頼した。朝出すと、夕方には上げて持ってきてくれた。 仕事の画像もあったので、早速スキャナーにかけて反転して見てみることにした。 「えっ……」 背筋が凍った。友達が撮ってくれた私の写真には、私が冗談で指し示したまさにその位置に、おかしなものが写っている。オレンジ色と黒色が入り交じったような変な色の発光体だった。おまけに、周囲がとても暗い。友達の写真はごく普通の明るさで撮れているのに。同じ部屋でこうも明るさに差があることが理解不能だった。 「あれっ……」 鳥居の写真がない。確かにフラッシュが光った。シャッターが切れた証拠だ。山肌と、玄関の横顔の写真はちゃんとあるのに……。 『そんなん写したらあかんねんで』 彼女の言葉が耳の奥で響いた。 彼女に見せたらさぞや驚くだろうと、事務所にしばらくネガを置いていたのだが、現像して以来、よくないことが立て続けに起こったので、さしもの私も怖くなり、近くの神社に奉納することにした。 いたずら心で、鳥居や祠の類いを写そうなどと思ったときは、 『そんなん写したらあかんねんで』 この言葉を思い出してほしい。 合掌 その19【高速道路の大事故の謎】 10年ほど前はよくゴルフをした。“接待”が多かったが、嫌いではなかったので、仕事をやりくりしてよく出掛けた。 月1回のペースくらいだっただろうか。 その日もいつものように用意をし、得意先が迎えに来てくれるのを待っていた。準備万端で、仕事の資料に目を通したりしていたが、 「早く来てくれないかな」 と思うほど余裕があった。 『ピンポ~ン』 「来た」 満を持した感に包まれながら荷物を持ち、部屋を出た。マンションの玄関前に車をとめ、トランクを開けて得意先が待ち構えていた。トランクに荷物を入れながらふと、あることに気づいた。 「あ、ゴム……」 当時、髪が長かったので、ゴルフのときには髪を縛るゴムが必要だったのだが、忘れていることに気づいた。 「済みません、ちょっと忘れ物をしたので、取ってきます」 そう言って、私は部屋に戻った。普通なら気にしない。それまでもそんなことがあったが、ハンカチで髪を縛ったり、ゴルフ場が用意しているものを使ったりしていたのだ。しかし、その日はなぜか取りに戻った。 「お待たせしました」 そう言うまで、30秒から1分かかっただろうか。 得意先が車を出した。 阪神高速から中国自動車道に乗り継ぎ、軽快に走っていた。が、名塩のSAの手前で突然の渋滞に見舞われた。3車線すべてが詰まってしまった。 「何でしょうか」 「事故かな」 私が乗った車は最も右の車線を走っていた。出口や入り口があって車が動く左に移動した方がいいのではないかと思った。 「この車線でいいんですか?」 「事故なら、左に車を移動するから、左に車線規制がかかる。こっちでいいと思うよ」 車は、そのままの車線でにじるように進んでいった。 ちょうど1km進んだところで、前の車が左に移動しているのが見えた。 「開いているのは左みたいですね」 「そうやね。どうなってるのかなぁ」 ほどなくして事故現場が見えた。トラックが横転し、積み荷の白菜が路上に散乱していた。中央分離帯の近くに1台の乗用車がとまっていて、助手席の人は窓から腕を出してぐったりしていた。後部座席にも人影が見えた。高速道路で窓を開けるというのはナンセンスなので、きっと衝突のときにガラスが割れたのだろうと思う。 少し離れたところに救急車が1台とまっていた。パトカーの姿はなかった。我々は、前の車に従って、白菜を避けて路肩を通過した。 予定より、30分以上遅れてゴルフ場に着いた我々は、フロントでスタートを遅らせてもらうよう頼んだ。神戸方面からやってきた得意先は事故の影響なく到着していたのだが、我々と同じルートでやってくる予定の人物が到着していなかったのだ。 「ええ、結構ですよ。きょうは、ほとんどのお客様が遅れていらっしゃいますから」 ようやく到着した我々のメンバーは、我々より少し後ろを走っていたようだった。距離にして1km、時間にして1分も違わなかったのではないかと思う。我々の車が何とか現場をクリアした直後、パトカーが到着して通行止めになってしまったそうだ。どうりでお客さんが来られなかった わけだ。 ハーフを回り、食事をした後テレビのニュースを見て、事故の詳細がわかった。広島から大阪方面へと走っていたトラックが長く続く緩やかな「魔のカーブ」で惰性がつき、中央分離帯を突っ切って反対車線に飛び出してしまい、最も右の車線を走っていた乗用車に激突、横転したという悲惨な事故だった。乗用車もゴロンと1回転したのかもしれない。あるいは、水平にクルクル回りながらあちこちにぶつかったのかもしれない。窓が割れていた理由になる。助手席には運転者のお父さんが、後部座席にはおじさんが乗車していたが、二人とも亡くなり、運転者は重傷を負って病院に運ばれたということだった。目撃した救急車には、既にストレッチャーに乗せられた運転者が収容されていたのだろう。お父さんとおじさんは即死だったようだ。 はっとした。もし私が、髪どめのゴムを取りに部屋に戻らなかったら……。我々も最も右側の車線を走っていた。あのまま何事もなく車を出していたら、ちょうど1分、1km程度前を走っていたはずである。 ぞっとした。助手席のお父さんは亡くなった。それが私だったかも……。 霊感があるわけではないが、命拾いをしたのには、何かの力が働いているように思えて仕方がない。 南無 その20【電気製品に要注意】 霊には波長があるとよく言われる。ビデオやCM制作で編集スタジオをよく使うが、不思議な現象が起こった話はあちこちで聞く。 「夜中に編集したビデオに、素材テープにはなかったものが写り込んでいた」 「編集中には何事もなかったが、再生すると砂嵐になっていた」 「変な音が混ざり込んでいた」 「システムがダウンした」 「システムがクラッシュした」 そうした現象は、我が家でも頻繁に起こった。 AV器機やPC関連器機はとにかくよく壊れた。DAT、ビデオデッキ、チューナー、CDプレーヤー、 アンプ、テレビ、MDプレーヤー、HDD、CDレコーダー、さらに、デジタルクロック(×3)、プリンター……。 そして、“何かがおかしい”と感じたときに空気清浄機がフルスロットルになることも関係ないとは思えない。 霊は、「臭気に近い波長を発する」と確信している。 霊を感じないまでも、“そこにいるといやな空気を感じる“とか、“意味がわからずぞぉっとする”とか、“死んだ人の気配を感じる”というのは、そういうことではないかと思うのだ。 テレビを見ているとき、オーディオ器機を使っているときに、おかしな現象に見舞われたり、スピーカーからあり得ない音が聞こえてきたりするのは、目に見えないエネルギーが波長や臭気に似た成分になって何かを訴えかけようとしているのだと思う。 先週末、なかなか眠れなかった。言葉も出ないほどしんどい状況だったのに。 深夜3時ごろ、同居人が声をかけてきた。 「眠れんか?」 「うん」 「しんどい?」 「うん」 「……あ、空気清浄機が……」 汚染度のレベルセンサーが振り切れて、真っ赤っかになっている。 「ごめん、背中をたたいて」 私は般若心経を唱えた。同居人は強く背中をたたいてくれた。しばらくして、ゲージは下がった。 何が入ってきたのかさえもわからないが、確実に何かが住まいに紛れ込んできたのだと思う。 “どういうわけか不幸が続く”とか、“妙に気分がイライラする”とか、“病気やケガが相次いで起こった”という人の中に、「これは霊の仕業?」と思っている人がいたら、電気製品をチェックするといいと思う。 電気製品に異常がないなら、単なる思い込みか、それを「逃げ」にしているか、よほどおとなしい 霊だと思う。 いかなる動きもあろうはずがない早朝、空気清浄機がフルスロットルになった瞬間、私は、 「出て行き! あんたらのいる場所やない!」 と叫ぶことにしている。 しかし、就業中に忍び込んできた霊には一喝することができない。そんな霊は潜行し、長く家に滞在する。そして、厄介な事件をちょこちょこ起こすのだ。 気をつけたいものである。……あ、空気清浄機のゲージが……! その21【プリクラの怪】 5~6年前、従業員を連れて、近くの百貨店のグルメフロアに出向いた。新入社員の歓迎会のためだった。 イタリアンで食事をしていると、京都の得意先の男性から電話が入った。 「会議で大阪支社に来てる。食事でもせえへんか?」 食事の誘いだった。この男性は7歳ほど年下だが、食事に行こうと、気軽によく誘ってくれた。 「従業員の歓迎会で、食事に来てます。こっちにいらっしゃいますか?」 「行く、行く!」 というわけで、得意先も加わっての楽しい宴となった。 窓から、市内を流れる川や大阪中心部の夜景を望むことができるその席は、ワインによってほぐれる心をさらに軽やかにしてくれた。料理は大しておいしくないのだが、フロア係のお兄さんは男前だったし、オーソドックスながら空間デザインもそれなりで、ロケーション、サービス、料理、雰囲気の総合点は及第点だと言えた。 夕方6時過ぎにレストランに入った我々は、閉店の10時まで、たっぷり食事を楽しんだ。 支払いを済ませて外に出ると、柱の陰にプリクラの機械が見えた。 「プリクラ撮ろうぜ!」 得意先が言った。我々はプリクラの前に集結した。が、どのボタンを押してもプリクラはプスリとも言わなかった。どうやら警備員がコンセントから電源コードを抜いて回っているようだった。 「これ、入れたらいけるやろ」 得意先がコンセントを差し込んだ。果たして機械は 『ウィ~ン』 と鳴り出した。我々5人全員がプリクラのビニールカバーの内側に入ってポーズを取った。4枚連写を5種類撮影した。 現像されたプリクラを私が持って帰り、翌朝、4種類のデザインが入るように切って従業員に渡した。 「あ……」 従業員の一人がプリクラを見るなり、表情を曇らせている。 「どうしたん?」 「……きのう、何人で行きましたっけ」 「ご、5人やんか」 いやな予感がした。 「6人写ってる……」 ほかの従業員が『キャーッ』と叫んだ。彼女の手元にあるプリクラを取って見てみた。確かに6人写っている。しかも、前列にいる私と後列にいる従業員の間に、ひげの生えた男性が……。たまたま通りかかった人間なら、後列の後ろに写るはずである。ルーペで詳細を見てみた。顔しかなかった。首や肩は写っていない。 「これは、心霊写真かもね」 私が言うと、6人目の人物を見つけた従業員が、 「実は、きのう店の外に出たとき、気持ちが悪かったんです」 「本当?」 ほかの従業員が不安そうに言った。 「あの百貨店と関係がある人のように思います」 彼女はとりわけ霊感が強い体質だった。あながち間違いではないと思えた。 そのプリクラはいまでも私の手元にあるが、なぜか6人目の人物が写っているコマだけどんどん色が抜けていき、いまではほとんど画像がない。ほかの3コマは全く問題ないのに、である。 百貨店に問題があるのか、プリクラマシンに問題があるのか、はたまた土地やそこにいた人間に問題があったのかは定かではないが、何者かが、何らかの理由で我々と一緒にプリクラに写っていたのは確かのようだ。 電気製品の周波数に反応する霊のことである。一旦切られた電源を入れるというような悪ふざけは、要らぬことを引き起こしてしまうのかもしれない。 注意が必要である。 南無 その22【虫の知らせ】 9歳のときからの友達がいる。30年越しの付き合いである。彼女はかなり数奇な運命に翻弄されているが、そのことを彼女に言うと、 「身辺がおかしなときに限って、あんたが連絡してくるのよ。いつもは平穏な日々を送っているのに」 と言う。 そんな気もする。 最初は、高校を卒業してしばらくたったときだった。なぜか彼女の顔が浮かんで、気になった。 思わず電話をした。電話の向こうの彼女の声は暗かった。途中から、涙声になっている。翌日会う約束をした。話を聞くと、付き合っていた男性がとんでもない奴だと判明したようだった。7マタかけられていて、しかも彼女の順位は低いものだったと言う。私は、とにかく話を聞いた。彼女はポツポツと夜通し話をした。 次は、彼女がバイク事故を起こして大けがをしているときだった。びっくりした私はすぐに彼女の元にかけつけた。ケガだらけの彼女は、苦笑いをしながら心配をかけたことを詫びた。 次は、私が就職したときだった。ふと「どうしてるかな」と思った。彼女は高校卒業後、就職した会社を早々と辞め、水商売の世界に入っていて、私はそれを心配していた。 「店を任されそうやねん」 彼女の言葉に、私は驚いて言った。 「あかん! 責任持ったら、辞められへんようになる。飽くまでもアルバイトにしとき。新しい仕事を始めなあかんよ」 彼女自身も不安があったのだろう。それを機に水商売から抜け出した。 次は、それから2年ほど後だった。 「看護婦になろうと思うねん」 私は耳を疑った。が、根無し草のような暮らしからようやく脱することができると、私なりに喜んだ。正規のルートである、看護学校に入学するという方法は生活面から無理なので、病院で働きながら看護師の勉強をするという方法を取らざるを得なかった。大変だったようだが、それを乗り越えれば、きちんとした仕事につけるのだ。彼女は頑張るだろうと思った。 次が、看護師の試験の寸前だった。私は励ました。私はそのころ、試験会場のすぐそばに住んでいたので、最終試験の後、一緒に食事をする約束をした。気持ちが軽くなった彼女はお腹いっぱい食べて飲み、私の部屋でゆっくり休んだ。間もなく合格の知らせを受けた。我が事のように、大きな人生のハードルを越えた気持ちになってうれしかった。 次は、家を出たお母さんがややこしくなっているときで、同時に妹が自動車事故を起こして大けがをしていた。お母さんが同居していた男性の問題があって、彼女は気をもんでいた。話を聞くくらいしかできなかったが、とにかく、厄介な状況だった。 次は、彼女が医者を好きになって悩んでいるときだった。一緒にゴルフコンペに行く予定があると聞いたので、ゴルフ練習に誘った。うまくいくはずがなかったが、淡い恋心を携えたゴルフは楽しかったようだった。 次は、ダイビングを趣味にしている彼女が、サイパンでダイバーズショップを営む男性に恋心を寄せているときだった。珍しく、写真を見せてくれ、楽しそうに思い出話を披露してくれた。しかし、彼は妻子持ちだった。最後に厳しい顔をして彼女を見る私に向かって 「わかってるよ。わかってる」 と言った。 「ま、ええやん。人を好きになるのはとめられないし、好きになること自体は自由なことやから。でも、人の不幸の上に、自分の幸せは成り立たないよ」 私の言葉に、彼女は素直にうなづいた。 次は、お父さんの借金の連帯保証人になっている彼女の給料が差し押さえられそうだという、のっぴきならないときだった。しかし、妹の仕事関係の弁護士のサポートによって、何とかそれだけは回避できる状態になりそう、というような、際どいタイミングだった。 次は、お母さんを同居人から奪還し、一緒に暮らし始めた直後だった。「温泉にでも行こう」と誘うために電話をしたのだが、ストレスをため、イライラしていた彼女は、すぐにその誘いに応じた。1泊1.5日の簡単な旅行だったが、それなりにリフレッシュできたようだった。 その次が、お母さんが脳梗塞で倒れた直後だった。お母さんは病院にいたので、夜会って妹の家に泊まらせてもらい、朝家を出るという予定だった。前夜、酔っぱらい過ぎて、家を出たのは夕方だった。申し訳なく思った。 次が、お母さんのガンが発覚した直後だった。私は翌日病院に出向いた。お母さんは優しい笑顔で 私を迎えてくれた。30年振りに会うお母さんは、昔とは随分違っていたが、会えてよかったと思った。 ずっとお母さんのことが気になっていたが、余命宣告を受けていたので、彼女にとって煩わしいだけの連絡は、極力控えていたのだが、どうも喉の調子がおかしくて、その状態が数日続いたとき、もしかしたら、と思ってメールを入れたら、私がメールを入れた時間に、救急車を要請して入院したということを少したってから知らされた。喉から吐血したのだという。 最後は、ついこの間である。なぜか眠れずに夜を明かした私は、何かがあったのだと理解できていた。果たして、早朝連絡が入った。未明にお母さんが亡くなった。 彼女と私は前世からつながりがあったのかもしれない。彼女はそうは思っていないかもしれないが、私はそう思えて仕方がない。 常に、“虫の知らせ”から彼女に連絡を入れた。“虫の知らせ”ほど意識していなくても、あるタイミングで何かを感じ、それに反応してアクションを起こしていたのは間違いない。 「霊感」や「心霊現象」ではないかもしれない。しかし、「シックスセンス」であると思っている。 南無 その23【ガンの霊気】 1ヵ月ほど前の日曜日、休日にもかかわらず、出勤するため、駅に向かっていた。改札口が高架になっているため、エスカレーターに乗った。いつもは歩いて上がるのだが、その日は前に無神経な家族が行く手を塞いでいたため、その位置にとどまることになってしまった。 イライラしながら視線を上に向けると、間もなく降り口というところに同居人のお父さんを見つけた。歩いて上がれない私は、エスカレーターを降りるまでイジイジしながら待ち、無神経一家をやり過ごした後、急いで改札口に向かった。しかし、既にお父さんの姿はなく、私がいつも降りる階段を降りてホームに出たが、そこにもお父さんの姿はなかった。もう一方の階段を降りたのだと思った。そちらへ回ろうと思ったが、すかさず電車がホームに入ってきたため、それもかなわなかった。 電車に乗り込んだ私は、少し寒気を感じた。お父さんがどこまで行こうとしているのか、どこで降りるのかわからなかったし、電車の中で書類に目を通したり、読みたい本があったとしたら、探さない方がいいのだと自分に言い聞かせたりしたが、訳のわからない焦燥感に似た寒気が体を貫いた。 そんな経験を以前にもしたことがあった。5年前である。正月休みに実家に帰ったときだ。自宅に戻る日、ふとダイニングを見ると、おやじが慌ただしく動いているのが見えた。私に、正月の食料を持って帰らせるために、タッパーに入れたり、箱に詰めたりしているのだ。その姿を見たとき、言いようのない寒気がした。私は慌てて仏壇の扉を開け、ろうそくと線香に火をつけた。りんを大きく鳴らしながら、般若心経を唱えた。続けて先祖に、 「平穏と、健康と、安寧を侵す者を排除してください。何も悪いことはしていません。お願いします」 などという願い事を繰り返し唱えた。すると、目から涙がボロボロこぼれた。悲しくもないのに、泣けて泣けて仕方なかった。驚くおやじを残して、私は自宅に向かった。音楽を聞こうが、車のスピードを上げようが、言いようのない焦燥感と胸騒ぎがおさまることはなかった。 果たしてその1週間後、おやじから電話があった。 「ガンみたいやわ」 そのことを思い出した。いやな感覚が蘇った。同居人のお父さんを見かけてから4日後、電話があった。 「ガンになった」 ガンはいまや特別な病気ではないと言われている。多くの人が罹患し、治癒し、社会復帰できる病気の一つと考えられている。しかし、私が感じる寒気が物語っているのは、ガンは、確実に人間より強い細胞であるということと、人間の命を奪うために体に巣食うものであるということだ。ガンにかかった人のそばに行くと、恐ろしいほどの寒気を感じる。それは、肌感覚ではなく、体内、いや、命にまで及ぶ寒さである。 おやじのときもそうだったが、ガンになると、寒くなるそうだ。ガン細胞が生きる力を、温度を容赦なく奪っているのだろう。 同居人のお父さんのガンが、どのくらい強いのか、簡単に駆逐できるのかは、これからの治療にかかっている。肝心なのは、生命力で勝とうとする強さである。弱気になれば、どんどん命を吸い取られる。ガン細胞が、人間を無気力にし、寒く、暗くし、やせ衰えさせる。 できる限り支えよう。寒さを感じたら、私の命の温度で温めよう。それくらいしかできないが、必ず「復活」すると信じて。 それが、厄介な感覚を持つ人間の努めだと思う。実に面倒なことだが。 その24【仏教学校に棲む何か】 私が卒業した高校は、創立80年を超える歴史ある学校である。校歌は、作詞:北原白秋・作曲:山田耕作という、これまた巨匠の名前が登場する。 歴史があるということと、財力があったせいだと思うが、建物の構造が今風ではない。天井が高く、それに合わせて窓も高い。要は、“無駄”がまかり通っていたのだ。ではあるが、スペースは制限されていたはずである。何しろ、校舎は寺の境内に建っていたのだから。 教室からは見えないのだが、トイレの窓を開けると、裏に広がる墓地がすぐそこに見えるのだ。 場所が場所だけに、ゾッとしない。ゆえに、窓に近い一番奥の個室には入らないようにしていた。 在学中、ひょんなことから生徒会に属することになった。中学、高校合わせて3000人という大規模な学校だったので、学園祭(文化祭・体育祭)というと、準備に大変な時間がかかる。で、生徒会の面々は、数日間学校に泊まり込んでの作業を強いられる。 後輩二人、同学年の役員と一緒に4人で体育館にレンタルの布団を敷き、体育館を出るとき、同学年の役員に目配せして電灯のスイッチをOFFし、ドアをバン! と閉めて猛ダッシュした。 「イヤー! センパーイ!」 という声を背中で聞きながら、走って生徒会室に戻った。ほどなく、後輩二人が走り込んで来た。 「ひっどーい! 先輩!!」 「電気消しても暗くなれへんかったやろ」 「もうっ! 恐かったー」 「電気消したくらいで、大袈裟な」 「電気はいいんです。外の明かりが入ってきて暗くなかったから。でも……」 「それやったら、何が恐かったんよ」 「ドアを閉めたでしょう」 「閉めたって、カギを閉めたわけじゃなし、押したら開いたでしょうに」 「押さえてたもん!!」 「え?」 「ドアを押さえてたでしょう?」 「押さえてないよ。ドアを閉めてすぐ、ここに走って戻ったもん」 「うそっ!!!」 同学年の役員と顔を見合わせた。後輩の言っていることが理解できなかった。ドアを押さえたという事実はない。 「押さえてないよ」 「だって、手が見えたもん! ドアを押さえている手が見えたもん」 「何本?」 「2本! こうやって押さえてました」 後輩は動作をしたが、そんな覚えはさらさらない。 「だから、押さえてないって」 「ギャーーーッ!!」 後輩二人の声が狭い生徒会室に響き渡った。 校舎の裏の墓に起因しているのか、それとも、学校自体に棲みついている霊がだったのか、はたまた後輩、あるいは我々が背負っている霊がいたずらをしたのかはわからない。しかし、何者かがいたのは間違いないようだ。後輩二人が同時に同じ手(2本)を見ているのだから。 南無 その25【空気清浄機が反応する】 半年以上前から、喉の具合がよくない。喉なのか、鼻なのか、胸なのかよくわからないが、朝夕、歯を磨いたときに、喉の奥に違和感を覚えていた。 折しも、喉や胸に異常を訴える人が身辺に続出した。9歳のときからの友達のお母さん、同居人、同居人のお父さん、小料理屋「T」のママ……。友達のお母さんはガンだった。惜しくも今年5月に 亡くなった。同居人のお父さんは食道がんが発覚し、現在入院中だ。「T」のママは“閉店したら病院に行く”といっていたので、間もなく原因や病気か否か判明するだろう。 今年は、喉(呼吸器及び消化器系)に災いをもたらす年回りなのか、と思ったりしていた。 そんな中、夜、胸が苦しくなった。喉の奥に何かがつかえている。咳をしても何も出てこない。思いっきり咳をしてみる。みぞおちの少し上に異物感を覚えた。さらに咳き込む。同居人が背中を叩いてくれた。それに任せて大きく咳き込んだ。 「あ、空気清浄機が……」 同居人が驚愕の表情をして固まっている。空気清浄機を見ると、汚れレベルのゲージが最高域に 達している。 「何か、出た」 私が言った。 「出た?」 「うん、ちょっと楽になった」 強く咳をしたせいで、喉は痛かったが、つっかえが取れているように思った。 その後も何度か咳をしたが、もうゲージは上がらなかった。 何が出たのかはわからない。が、空気清浄機が反応したのは確かだ。この「心霊現象な~」シリーズで何度か書いているが、霊的なものに空気清浄機が反応するのは確かではないかと思う。 皆様方、今年は喉に注意されたし。 南無 その26【空気清浄機が……】 「心霊現象な日々」で“空気清浄機が霊に反応する”というようなことを何度か書いた。 先日、ふと気づいた。 「何のために空気清浄機をつけたのだろう」 同居人がタバコを吸っていたころは、タバコを吸うたびにつけてもらっていた。しかし、もう1年も前から同居人はタバコを吸っていないし(私が不在のとき、数日に1度くらいの割合で吸っているようだが、私が匂いに敏感なので、ベランダに出て吸っていると言っていた)、とりたてて空気清浄機が必要だと思うシーンもない。少なくとも私は、ここ1年間電源を入れた記憶はなかった。 ある日、同居人の知り合いと3人で酒を飲んでいる席で、“空気清浄機が霊に反応する”という話をした。知人が言った 「タバコに反応してるんじゃないの?」 知人は、同居人がまだタバコを吸っていると思っていた。 「いや、タバコ、やめたんですよ」 「じゃ、なんで空気清浄機が要るの?」 同居人と私は顔を見合わせた。 「ところで、何でいつも電源入れてるの?」 私が同居人に聞いた。 「え、お前が入れてるんやろ。ボクは触ってないよ」 「……」 私は、電源を消した記憶は何度もあるが、電源を入れた記憶はない。 「消したことはあるけど、入れたことはないよ」 「ボク、一切触ってない。ボクは匂いとか、ホコリとか、あんまり気になれへんから」 確かに、空気清浄機は私が買ったものだ。同居人のタバコが気になったからだ。 「だれが毎回電源入れてるの?」 私はいやな感じがしていた。 「自分の存在を気づかせたい霊かな」 同居人が言った。確かに、ふと気づくと、ゲージが上がって赤くなっていることが多い。存在に気づくところまではいいが、その後、どうしたらいいというのだ。 いまも電源が入っていることに気づいた。……いま確かに電源を切った。次に電源が入っていることに気づいたら……。 とにかくブログに書き込もう。 南無 |