3819406 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

仰木マジックと僕のプロ野球観戦記

仰木マジックと僕のプロ野球観戦記

1990年の仰木采配

この年は前年日本一こそ逃したものの、野茂、石井の大型新人が加入した年。
ファンは大きく期待をしていました。開幕は藤井寺で田淵新監督率いる福岡
ダイエーと。初日は雨で流し、日曜日が開幕に。
確か日曜日の試合はNHK総合で生中継があり、梨田さんが解説。
ダ011 204 000 8
近210 015 00X 9
と結果はダイエーの継投策に付け込んでブライアントの逆転本塁打で
勝利したものの、阿波野が打ち込まれました。
確か梨田さんが阿波野の重心が高いことを盛んにコメントしており、不安な
スタート。

実は翌火曜日から9連敗(西武×3、ロッテ×1、オリ×3、西武×2)します。
要因はいくつかありますが、投手陣が整備できず自ら崩れた感じです。
1.投手陣を襲った風疹渦。先発投手が軒並みダウンしました。
  開幕2カード目の西武戦は野茂、高柳、池上が先発せざるを得ない常態。
  普通なら山崎、加藤哲を使いたい所。
2.権藤コーチ退団騒動。前年優勝したオフに投手陣をまとめていた権藤さん
  が退団。起用法を巡る対立か。
3.ベテランの引退/退団。89年オフに栗橋、羽田、淡口が引退し、村田が
  退団しました。
  前年後半故障した小野の不調も痛かったです。

また、阿波野の一塁けん制に対するクレームも効きました。
西武から執拗なクレームがあって、西武戦でのシーンを記憶されている方も
おられるかもしれませんが、実はその1週間前の4月15日対ロッテ戦でもありました。

近003 000 00 3
ロ100 002 02 5 8回裏二死雨天コールド
この試合は阿波野対村田なので、わざわざ川崎まで行きました。
三回表にブライアントが捕手を突き飛ばして、お年寄りの医者がふらふら出てくる
というよく当時の珍プレーで繰り返し放映されたシーンもありましたが、
確か6回裏か8回裏の失点に阿波野の牽制に対してボークが宣告されました。
それでリズムを崩して打たれたような記憶があります。

その後の西武戦で再度牽制に対してクレームをつけられて阿波野の調子は完全に
狂い、チームの調子もおかしくなりました。

なお、この9連敗は4月24日の日ハム戦でストップしますが、その試合で中西コーチが
退場。翌日は日ハム柴田にノーヒットノーランをやられています。

こんな展開だったのですが、ファンの関心を呼んだのが野茂。
僕は6月3日の西武球場での西武戦で初めてみました。
野茂は西武球場初登板でしたが、48,000人の大観衆。
いきなり制球に苦しんで初回から無死満塁のピンチ。
しかし、清原、デストラーデ、伊東の三人を三者連続三振で切り抜けます。
渡辺久信との延長11回の投げあいも最後はトレーバーの決勝本塁打で勝ちました。

この後はあまり差が開いてしまったので、個人的には8月4日の西武球場で
阿波野が9回途中まで好投した試合。10月10日の野茂が18勝目を獲得した試合を
生観戦したのが印象に残ってます。
7月から一軍に合流した石井が猛打爆発でした。
当時の記録を見るとまだ予告先発がなかったので、金村や石井も偵察メンバー
に使われてます。

8月には平和台で最初で最後の野球観戦もしました。
近001 011 020 1 6
ダ100 112 000 0 5
ゴセージが乱れて逆転しました。あの頃も結構ホークスファンは盛り上がっている
印象でしたが、やはり強くなってからは更にレベルアップしたと思います。

8月8日の藤井寺のダイエー戦では仰木さんが監督として初の退場処分になりました。
ちなみに退場を宣告したのは「オレが村田だ!」の村田さんです。


© Rakuten Group, Inc.