1061001 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2026年10月09日
XML
カテゴリ:認識の歩み


一九二六年、
ハッタはインドネシア協会の会長となり、
パリの東方文化協会などと連携しつつ、
アジア民族連合の構想をもつようになった。

そんなときコミュニストたちが
ジャワで蜂起してしくじった。

ハッタはスマウンとともに
共産系の民族独立運動のイニシアティブを
協会に委譲させることをしくむのだが、
これはソ連のコミンテルンから批判された。

こんなふうにハッタの政治運動は
多分に「赤寄り」だったのだが、
そこにオランダからの締め付けや
逮捕や拘留があったため、
しだいに反帝ヨーロッパ的で民族主義的な
政治活動に惹かれるようになり、
そこでスカルノの台頭と出会うのである。

日本との交流は一九三三年の来日の折、
下中弥三郎の大亜細亜協会と交わり、
その事務局長の中谷武世に兄事した。

ビハリ・ボースとも会い、
ボースの奨めもあって
日本インドネシア協会も誕生した。

ボースが議長、ハッタが会長、下中が副会長になった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026年10月09日 05時00分04秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
X