テーマ:独り言。。。(314)
カテゴリ:世間のこと
先日母が来てくれた時、何気に信仰心の話になり、オトタマも加わってあれこれと話が弾み、盛り上がっちゃいましたぁ!(苦笑)
全国津々浦々、老若男女問わず、心霊スポットやら心霊現象やらと、それらに傾倒したり信疑したりと各人様々ですね。 うちではオトタマは心霊スポットには興味ないですし、心霊現象にも特にどうという思いはありません。 ココアは心霊スポットに行こうとは思いませんが、心霊体験や怪談ものは聞くのは好きです。 怪談界の有名人といえば稲川淳二さん。この方の怪談話も昔、オカルトがブームだった頃は、故宜保愛子さんの話と共に聞いていました。 ただ、ここには幽霊が出るとか、何かしらの怨念があるとかとなれば、近付かないですし、避けて通るようにはしていますが、これって一般的ですよね。 神社仏閣や教会の前を通ればそれなりの気持ちにもなりますし、時に参拝したりで、これまたごく普通のことですよね。 ただ、それ以上に何かの宗教に拘るとか、儀礼や儀式に加わるとかはないですし、どちらかといえばそういった事には距離を置き、関わらずといった感じです。 かつて母が癌で入院中、同室者が病室内で何やらのお祈りを始めたりで、さすがにこれには参ったらしく、看護師経由で辞めてもらうようにしたそうです。 オトタマが勤めていた介護施設の看護師が、隠れて施設利用者に何かしらの宗教的儀式を施したりもあったそうで、これまた困ったものだったそうです。 ココアの周りにもそんなことはあったりで、学校の寮暮らしである寮生が、特定の時間になると自室でお祈りタイムになり、同室の子たちが困っていたようでした。(苦笑) オトタマもかつての旧知、幼い頃からの親友にとある宗教への入信を勧められ、あまりのしつこさに縁を切ったそうです。 目を患ったオトタマに対し、あそこで拝んでもらえば目が見えるようになるとか、誰誰さんは目が治ったとか、とにかくしつこかったそうです!(怒) でもね、あの神社は目の神を奉ってあるとか、この寺の水は痛みに効くとか、護摩供養の煙は縁起良いとか、そういうのには何気にご利益はあるのかなぁとは思いますけどね。 いつだったか街ですれ違ったおばさんから、あんたには目に目ない霊魂が何たらとかと言われ、霊だか魂だかで、いきなり手を翳されたのには不愉快極まりなく、参ったよとオトタマ!(怪) あと、これは既に時効だろうということで、かつてオトタマがバイクで旅していた頃、霊山で名高いとある地でのこと、いかにも胡散臭い事に出くわしたとかです。 そこの霊山の何やらとかいう霊堂の裏の小屋から煙草の臭いと笑い声がしたので、そっと忍び寄って覗いてみたそうです。 先ほどまで何やらと身振り手振り激しく、尤もらしい言葉を並べ立てていた祈祷師っぽい?おばさん数人がいたとか…! 足を投げ出し、中には胡坐をかき、煎餅をぼりぼり、お茶をずるずる、煙草をすぱすぱしつつ、何やら楽し気にと…!(笑) 鰯の頭も信心からと言いますし、信じる者は救われるとも言いますから、それらを否定するものでもないですし、私達も時に何かにすがることもあります。 ご都合主義と言われればそうですし、凡人の私達なのでそんなもんかもですけど、度を過ぎた信仰心とやらからは、ちょっと遠慮というか、距離を置きたいものですね。 どこのどなたがご自身で何を信じようと、何を奉ろうと、それこそご自由にですけど、決して私達に押し付けたり、無理に勧めないでくださいませです、はい!(ぶー) ちなみにココアの父方は神道で、母方は仏教。オトタマのご両親の墓所もごくごく一般的な宗派の寺です。 そうそう、オトタマの母方の祖父は大工の棟梁でしたが、何故か地元神社の神主も務めていたそうです?(謎) そういえば転居して7カ月ですが、以前の住まいでは時々あった「その手の勧誘」が未だ皆無でして、入りにくい建物なのか何なのか、何はともあれありがたいことです。 ということで最後にお決まりのこれということで、信仰とは、デジタル大辞泉によると、神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」_だそうな! また、特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」_だそうです。 最後に、信仰とは違いますが、うちはオトタマは霊の存在は信じない派、ココアは信じる派です。 霊も宗教も信じる信じないも、どのように考えようとも、個人の自由ですからね、汚しても無理強いしてもいけない。 ただ、社会的弱者には信仰を勧められる機会が多い、だからこそ、信仰は自由であるということを忘れないで頂きたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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