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今、定期的にまたこの考えに見舞われています。
だからそれをちょっと語ろうかなと。 みんなって霊とかは信じますか? 今しがたチャット部屋でそういう話をしてたんですが、みんな霊を信じるって言ってるんですが、どう問いかけても意味のない答えばっか。。。 でもその中で俺とまともに話合ってくれた人がいました。 ちなみに俺は完全な事実博者なんで、見たもの感じたものしか信じません。 ちょっとおかしな話かと思われるかもしれませんが、俺はこの世界自体に疑いを感じています。自分という存在について、この景色を見ている時間、俺以外を取り巻く万物の物について、全てに関して疑いを抱いている自分がいるんです。 小学校5年辺りからこんな風に考えてしまっているんですが、もし今「生きている」この世界が偽りだったらと思ったことありませんか? 自分以外の人は、作られたもので自分が話している相手は、そうプログラムされた一つの空間みたいなものなんじゃ・・・この景色も俺は見せられているだけで、そこには何もない無があるだけなんじゃないか。 痛みですら、感情ですら作られたもので、自分自体本当に存在してるのか。 人がいう夢みたいなものを見せられている無の一部が自分で、そこには何も存在していなく、自分が今思っていることも最初から決められた筋書き通りで、それを「生きている」などと判断しているだけなのでは。そう思うんです。 その存在を作る無の集合体が自分で、この世界と呼ばれる箱の中に思考というものを持っているのは自分だけではないだろうか。そう思うと、時折とてつもない孤独感に見舞われるのです。俺が存在していないと割り切れればこの孤独も無くなるのだろうけど、そこまで俺は積み重ねているものが無いために。 それでこの考えの行き着く先は死。無を求める余り、孤独を嫌う余りの帰還。 そう先ほど言われたんです。確かに自分でもその事はわかっています。 確かにその通りなんです。しかし、それだからかも知れませんが自分は霊や死後の世界というものに、異常なまでに反発心があります。 霊などというものは、まさに存在しない虚空以外何物でもない。 それを見える感じると言い張る人に聞いたところで、俺はどんな答えが帰ってきても納得しないのだろう。自分の先入観を壊すことは何よりも難しいことだから。 それでも見えるという人がいるのが現状で、俺はこう考えている。 霊とは磁場や無意識下の考慮が、脳の情報手段である電波交換に何らかのショートのような現象を起こして、それが視覚に写しているのではないのだろうか、と。 だから見えるという人の霊像が似ているのであって、見えないという人もいて当然なのではないかと。これもいわゆる先入観が見せているものなのだろう。 死後の世界だって、あるはずがないのである。人を象っているものは何か。 死して尚それが残るのであれば、死など必要ないのではないだろうか。 死後の世界などという不確かなものを信じれば、人はたちまち愚行に走るだろう。 自分の存在を信じるものが死んで尚無にならないのであれば、今生きている価値なんてとてつもなく無意味なものになる。そう思いませんか。 たぶん俺は上記した考えから自分を守る自己防衛手段としてこういう考えを抱いているのだろう。そう思わなければ、とても危険でしょうがない。 みんなはそのような事を成長していく過程で無意識下で処理し、一種の諦めのようなものの中で存在しているのではないだろうか。まぁ、それこそが成長なのだろうけど 俺はそこまで頭がいいわけではないのだろう。だからこそこのような信教深い考えを抱いてしまう。先入観を打ち破れない、ある意味頑固な人なのかも・・・ 愚かだと思う人もいるかもしれない。自分ですら思うのだからいて当然だろう。 でも、思ってしまうのはしょうがない。 そして今日、先ほどそんな俺の話を真面目に聞いてくれるご老体の方がいて、いろいろと勉強になったのです。長く生きるという事は、それだけ考慮を乗り越えてきているのであって、自分なんて青い青い。その人はこう言ってました。 人それぞれ思わくがあって然り。1があって10があるのだ。と 自分の考えとは反対なことなのですが、人のいい所も悪い所も見てきた人がいうのだから、その言葉には力がある。俺の考えは1がある事だけが自分にわかることで、10など存在するかもわからないという事。輪廻転生、それを信じる事と死後を信じる事は違うのだと。俺は誰かにそう言ってもらいたかったのかも知れません。 人の過ちは10まで背負うもの、10での愚行は40での圧力。 輪廻転生こそが人の正道なのだと言っていました。 昔おじいちゃんが生きてたころ、こんな話をすると同じことを言っていたような気がします。 でもその話をするたびにそんな事考えてる暇があったら勉強しなさい!ってこずかれてましたが・・w今となればその言葉にも納得がいきます。しかし、自分の先入観を壊す事の難しさは自分が一番知ってます。その考え自体が先入観なんですが・・・それを理解するには俺はまだ若すぎるようです。 俺のどこにも属さない反宗教的な考えの行き着く先はなんなんでしょうか。 こんな寂しい考えは、なるだけ考えないようにしています。 でも今日はそういう話で討論してしまったので、考えてしまいました。 完全に嫌なやつに写ったんだろうな。。>< 霊を信じてるっていう人にただその考えを聞いてただけなんだけどな~ でも俺が話し終わったあと軽く引いてた気がする笑 しかも20歳だよって言っても信じてくれなかったしw 俺はそんなに老けた話方をしてるんだろうか。。。 なにはともあれ、友達と遊んでるときにまだ面白さを感じるから大丈夫でしょう^^ 人それぞれ生きることにこじつけしている部分はあると思います。 そこを越せるかどうかこそ、大人へのステップとか、一皮剥けるとかそういう事なんだろうね。 すいません、相当長くなっちゃってwこーゆう考えが定期的に彷彿としてくるんです。 では、またこんど^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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