スピリチュアル・メモリー 女神の物語

2008/03/01(土)03:20

糺の森の弁天さん 瀬織津姫

糺の森(ただすのもり)の北側にある下鴨神社は、神武天皇(紀元前711年~紀元前585年)の御世に、御蔭山に祭神が降臨したのが始まりとも伝えられている古社です。 正式名は、加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)で、上賀茂神社と共に加茂氏の氏神を祀っています。 祭神は、上賀茂神社の祭神である加茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)と、その父である加茂角身命(かもたけつぬみのみこと)の二神です。 神武天皇を、熊野から大和に導いた八咫烏は、素加茂角身命の化身とされています。 延歴13年(794年)に、桓武天皇が平安遷都のために行幸されて以来、皇城鎮護の神、加茂皇大神宮と呼ばれる様になり、伊勢神宮に次ぐ高い地位が与えられました。 下鴨神社には、有名な末社が二つあります。 一つは、縁結びの御神徳がある相生社(あいおいしゃ)で、出合いや恋愛成就を願う女性に人気があります。 そして、もうひとつが、井上社です。 井戸の上に建てられていることから、そう呼ばれているそうです。 御手洗池(みたらしいけ)の前にあるので、御手洗社(みたらししゃ)とも呼ばれています。 3月3日の「流し雛」の行事に備えるため、御手洗池の水が抜かれて清掃中でした。 京都三大祭のひとつに数えられる「葵祭り」に先立って、斎王代が行なう「斎王御禊の儀」は、この御手洗池で行なわれます。 十二単を着た女性たちが、御手洗池に入り手をつけて穢れを祓います。 この義が、この池の名の由来でしょう。 また、7月の土用の丑の日には、この池に足を入れ厄除け、病除けを祈る「足つけ行事」も有名です。 井上社の社には、社の名も祭神の名前も記されていませんでした。 少し離れたところに、由来を記した立て札がありました。 今や祭神や由来を、秘する必要のない時代になったのです。 祭神は、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)です。 地元では親しみを込めて、「糺の森の弁天さん」とも呼ばれているそうです。 瀬織津姫命は、水の女神であり、人の穢れを祓い清めます。 母なる神として、苦行の因を救い、涅槃の岸に至らせるのです。 御手洗池の祭神として、最も相応しい神ではないでしょうか。 立て札の由来を読んでいて、ひとつ発見がありました。 それは、この井上社の前身が唐崎社(からさきしゃ)と記されていたことです。 現在の井上社は、唐崎社を移したものだったのです。 元々の社地は、高野川と鴨川の合流地点の東岸にあったと記されています。 糺の森の南側の三角州のところになります。 それが、文明2年(1470年)の「文明の乱」によって焼失したために、現在地に再建されました。 唐崎社といえば、唐崎神社が思い出されます。 琵琶湖の畔にある唐崎神社(からさきじんじゃ)は、天智天皇の時代からの祓所です。 創建は舒明天皇(じょめいてんのう)6年(633年)、七瀬之祓(ひちのせのはらい)の第一処として定められ、毎年7月には祓祭り「夏越の祓の御手洗祭」が行なわれています。 そのご祭神は、女別当命(わけおきひめのみこと)で、琴御館宇志丸宿弥(ことのたちうしまるのすくね)の妻とされていますが、その性格から瀬織津姫が隠されていると思いました。 やはり、唐崎神社の祭神は、瀬織津姫命だったのです。 名前が消されていたのです。 その名が、糺の森の下鴨神社に残ったのは、下鴨神社が加茂氏の氏神だったからではないでしょうか。 「天皇の側近中の側近」と言われるほどの加茂氏の神社であったからこそ、瀬織津姫の名前が残ったのだと思います。 瀬織津姫とは、それほど大きな力を持っている女神様なのです。 そして、まだこの時には知りませんでしたが、糺の神池には、元糺があったのです。 それも、あの謎の神社に。 続く

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