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心の声に従って、成田にやって来ました。
最初に不動塚を訪れ、次に麻賀多神社に行きました。 そして、成田山新勝寺の謎の奥之院へ導かれて行ったのです。 ![]() 出世稲荷堂から見た釈迦堂(手前)と奥之院一帯、奥に平和の大塔が見える 成田山新勝寺の歴史は、天慶3年(940年)朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正によって、平将門の乱鎮圧のための護摩祈祷が行なわれたことから始まります。 寛朝大僧正は、京都の高雄神護寺から弘法大師空海の作った不動明王像と共に東国へ下り、この成田の地で、乱鎮圧のための護摩祈祷を行いました。 平将門の乱を平定し、大任を果たされた寛朝大僧正は、再び不動明王像と共に京都へ帰ろうとしましたが、御本尊は、「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん。」と霊告を発すると全く動こうとしませんでした。 これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されたのです。 その後何回か遷座されたそうですが、永禄9年(1566年)成田七軒党の代表名主が不動明王像を背負い、現在の成田山新勝寺の場所へ遷りました。 その時も、この場所まで来ると、その後は全く動けなくなってしまったといわれています。 なぜ不動明王は、この場所に留まったのでしょうか? その謎は、奥之院にある様に思えました。 ![]() 奥之院の前にある光明堂 内部には向かって左側より、不動明王像、大日如来像、愛染明王像が安置されている ![]() 光明堂のすぐ後ろにある奥之院 ![]() 奥之院の前の立て札 私はこの奥之院を好きになれません。 まるで牢獄の様な感じがして、どこか不気味です。 この奥之院の中は、全長約11メートル洞窟になっていて、正面に不動明王の本地仏である大日如来像が安置されています。 毎年、祇園会の7月7・8・9日の3日間に限って戸が開かれるそうです。 祇園会とは、御霊会(ごりょうえ)とも言い、御霊による祟りを防ぐための鎮魂の儀式、疫病退散・厄除の祈願を行います。 京都祇園の八坂神社が有名です。 八坂神社の祭神は、明治維新以降は神社となったのでスサノオウですが、元は祇園精舎の守護神である牛頭天王です。 成田山新勝寺の祇園会は、奥之院のお祭ではありません。 隣にある清滝権現のお祭なのです。 ![]() 清滝権現堂 清滝権現と地主妙見を合習した成田山新勝寺の鎮守 祇園会の時に、どうして奥之院の戸が開かれるのでしょうか? 私が、この奥之院に来たとたん、天気が怪しくなってきました。 急に暗くなり、小雨が降ってきました。 遠くに雷鳴も聞こえます。 これは、私に何かを暗示しているようです。 「早く気付きなさい!」と言われている様に思いました。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 31, 2008 12:12:26 AM
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