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安芸国宮島の弥山(みせん)の山頂を目指して登っていきました。
弥山本堂・霊火堂で一休みしてから、さらに石段を登ると三鬼堂に着きます。 ![]() 三鬼大権現が祀られている三鬼堂 ![]() 正面からは見えずらいのですが、三鬼大権現と書かれています この掲額は明治の元勲伊藤博文の直筆です 三鬼堂の内部には三つの鏡が祀られていました この三鬼堂は、日本で唯一「鬼」を祀っているそうです。 唐より帰国した弘法大師空海が、対岸より宮島を望んだところ、山容が須弥山に似ていたので弥山と名付け、仏法擁護の守護神として三鬼大権現を勧請したと伝えられています。 その三鬼神とは、 ・時媚鬼神(じびきじん) 福徳の徳を司り、本地仏は大日如来 ・追帳鬼神(ついちょうきじん) 知恵の徳を司り、本地仏は虚空蔵菩薩 ・摩羅鬼神(まらきじん) 降伏の徳を司り、本地仏は不動明王 三鬼神それぞれが、仏の仮の姿としての神とされています。 しかし、不思議に思うのは、どうして弘法大師空海は鬼神を、この地だけに勧請したのでしょうか? 鬼とは、朝廷に従わない勢力の人びとや、その神々のことを指します。 「まつろわぬ神」としての「鬼神」です。 明治維新の神仏分離令まではこの三鬼堂ではなく、厳島神社の奥の宮である御山神社に三鬼大菩薩が祀られていて、民衆からの信仰が厚かったと文献に残されています。 明治の元勲、伊藤博文も弥山や三鬼堂への信仰が特に深く、三鬼堂の掲額は直筆であったり、登山道の整備に巨額の布施をしたそうです。 伊藤博文は長州出身で、幕末には騎兵隊や力士隊を率いたことで知られています。 その騎兵隊や力士隊は、武士の部隊ではありませんでした。 彼差別地区の出身者たちで編成されていた部隊でした。 彼らは差別のない、新しい世の中を作るために命をかけて戦ったのです。 三鬼大菩薩は、あるいはそうした人々の、心の拠りどころだったのかもしれません。 三鬼大権現の御真言、「オン・アラタンノウ・ウン・ソワカ」を唱えることは、三鬼神のみならず本地仏である大日如来、虚空蔵菩薩、不動明王にも、又、眷属、諸仏、諸神々にも帰依する事にもなるそうです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 30, 2009 10:06:46 PM
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