|
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日は、京都市内で唯一、瀬織津姫を主祭神として祀る神社がある、小野郷へ行ってきました。
小野郷は、京都市東北部と大津市の琵琶湖西岸にもありますが、もう一ヶ所、北山杉で有名な京都市西北部の周山街道沿いにもあります。 昨日訪れたのは、周山街道沿いの方です。 仁和寺の前から周山街道を車で行くと、やがて紅葉の名所である高雄神護寺や高山寺の前を通ります。 そして、このあたりから、深い谷川に沿って道が続きます。 この谷川が清滝川です。 清滝川は、全国的に多い川名ですが、いつもこの川の名を聞くと、きっとどこかに、不動明王や瀬織津姫が祀られているのではないかと思ってしまいます。 不動明王や瀬織津姫は、滝や谷川に祀られることが多いからです。 最初に訪れたのは、岩戸落葉神社です。 ![]() 岩戸落葉神社は、岩戸社と落葉社の二社からなっています。 岩戸社は、小野上ノ町の氏神で、中世以降ここに移されたそうです。 御祭神は、女神の三神です。 ・稚日女神 (わかひめのかみ) ・彌都波能賣神 (みずはのめがみ) ・瀬織津姫 (せおりつひめ) 落葉社は、小野下ノ町の氏神です。 祭神は古来、源氏物語に登場する、落葉の宮を祀るといわれています。 朱雀天皇の皇女、落葉の宮は、柏木右衛門督(うゑもんのかみ)に嫁ぎましたが、柏木は同宮にこころ染まず、その妹の女三の宮に恋慕していました。 しかし、柏木はほどなく身まかり、傷心の落葉の宮は母とともに「小野の山里」に隠棲します。 間もなく光源氏の子・夕霧が訪ねてきて、落葉の宮と親しい仲になっていきます。 もの淋しい秋の夕暮れ、夕霧は一条の落葉の宮を訪れた。 御息所(みやすどころ)と、亡き柏木の思い出を語り合う。 月が出て雲もない空に、羽をうち交わして雁が飛んでいる。 仲間同士鳴き交わす声を、一人残された宮はどんな思いで聞いているのだろう。 風が肌寒く感じられ、もの寂しさに心動かされて、落葉の宮が柏木の遺した箏の琴を弾いているのがかすかに聞こえてくる。 夕霧はとても深みのある音色に心が引きつけられ、琵琶を取り寄せて、「想夫恋」を弾く。 宮に琴の合奏を所望するが、宮はなかなか応じない。 たっての夕霧の懇望に、御簾の中からほんの少し、琴の音で想夫恋の一節を合奏した。 夕霧は、奥ゆかしく物静かな落葉の宮の人柄に、次第に思慕の情を深めていく。 源氏物語 横笛より 落葉社は、落葉の宮の隠棲地に因んで創祀されたと伝えられていますが、源氏物語の「小野の山里」を当地としたのは、後世の伝承であって確証はないそうです。 一方、延喜式に記されている、堕川神社とする説もあります。 水の落下するさまから生じた堕川(おちかわ)が、後に落葉に訛化したのではないかともいわれています。 ![]() 向かって左側の社が岩戸社、右側が落葉社になります。 後ろは、巨大な磐座になっているのが見えます。 銀杏の大木と、紅葉の枝の美しいところでした。 京都市内で現在、瀬織津姫を主祭神として御祀りしている神社は、この岩戸社と、小野郷の奥にある大森加茂神社の二社だけです。 大森加茂神社は、創建後しばらくして大森地区が賀茂神社の社領地になったことから賀茂氏の祭神も祀られる様になったそうです。 初代遣隋使の小野妹子や、万葉歌人にして絶世の美女と謳われた小野小町などを輩出した小野氏は、瀬織津姫をとても大切に守ってきました。 朝廷の意向に反してまで、瀬織津姫を守り抜いてきたのは、よほど親しみをもっていたからでしょう。 あるいは、周山街道の先の何かを、見ていたのかもしれません。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 9, 2008 01:29:06 AM
|