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出雲大神宮に行ってきました。
「出雲」と言っても、島根県の出雲大社のことではありません。 京都市のすぐ隣の亀岡市に、「元出雲」と呼ばれている出雲大神宮はあります。 ![]() 御祭神 ・大国主命(おおくにぬしのみこと) ・三穂津姫命(みほつひめのみこと) (大国主命の后神) 異説としての御祭神 ・天津彦根命(あまつひこねのみこと) ・天夷鳥命(あまのひなとりのみこと) ・三穂津姫命(みほつひめのみこと) 本殿の後に、美しくそびえる御影山そのものが「出雲大神」として、太古より崇められていた御神体山であるそうです。 この御影山は、国常立尊(くにとこたちのかみ)の身体そのものです。 国常立尊は、出雲毘女(いずもひめ)によって祀られていましたが、毘女が薨じるとこの御神体山に葬られ、三穂津毘女、出雲大神と呼ばれるようになったと伝えられています。 「元出雲」と言われている様に、島根県の出雲大社よりも古い歴史があるそうです。 丹波国風土記には、大八洲国国祖神社(おおやしまのくにのみおやのじんじゃ)と記され、また「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。」とあります。 江戸時代までは、現在の出雲大社は杵築大社(きづきたいしゃ)だったので、「出雲神社」と言えば、こちらの出雲大神宮をさしていたそうです。 ![]() 御影山は禁足地ですが、この磐座までは登ることが許されています。 ![]() 御神殿の奥にも磐座が祀られています。 磐座には、神が宿られるそうです。 きっと古代の人々は、巨石から神聖さや、太古の記憶を感じていたのでしょう。 ![]() 御神殿の奥の磐座の、さらに奥には、古墳の石室が残されていました。 その場所から考えると、出雲毘女を葬ったところなのかもしれませんが、神社の案内図の説明によると、5~6世紀の横穴式古墳と書いてあります。 私は、古墳の前で霊視を試みてみました。 すると、古代の御霊神が現れて、「良いクニだろう!」と呼びかけてきました。 私が、「そうですね!」と返事をすると、 「しっかり見ていってくれ。」と言ってくれました。 白い古代人の服を着た、かっぷくの良い男神でした。 出雲大神宮は、とても波動の良い素敵なところです。 とても清々しく、木漏れ日も綺麗で、妖精さんたちの楽しそうな姿も見られました。 水も清らかで、近隣の方たちが御神水を汲みにたくさん集まっていました。 古代というよりも、太古からと言った方が相応しいこの神社の歴史は、私たちの想像をはるかに超えるものかもしれません。 続く
Last updated
June 12, 2008 02:49:42 AM
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