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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。」
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。」 「奢れる者久しからず、ただ春の世の夢の如し。」 「猛き人も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。」 平家物語の冒頭です。 頼朝・義経の命を助けたばかりに滅びることになった平家の繁栄と没落。 このあまりにも有名な平家物語の主人公となった平家は、平安時代後期の有力貴族でした。 「平家にあらずば、人にあらず。」ともいわれるほどの繁栄を誇っていました。 しかし、その繁栄を今に伝えるものといえば、平家物語と平清盛が安芸国の宮島に造営した厳島神社くらいのものでしょう。 ![]() 平家の絶頂期には京都の六波羅に、平家のお屋敷が五千七百あまりも建ち並んでいたと伝えられています。 これらの豪邸も、頼朝軍の京都入りを前にして、退却する平家自らが火を放ち灰塵に帰してしまいました。 平家の中心地であった、京都六波羅の場所をご存知でしょうか? 知っているという方は、京都や歴史に詳しい方だと思います。 大雑把に言うと、清水寺と鴨川の間のあたりになります。 現在も六波羅蜜寺が残り、鎌倉時代に作られたという平清盛像や、石塚があります。 ![]() ![]() 現在の六波羅蜜寺の周辺は、住宅や商店が建ち並ぶ庶民的な町になっています。 かつて豪邸が建ち並び、栄華と権勢をほしいままにした平家の中心地であった六波羅は、その記憶すらほとんど忘れ去られているかの様でした。 それでも朽ちて、ひびが入った平清盛の石塚に、手を合わせる地元の方の姿が見られました。 京都は、けっして大都市とは言えないでしょう。 しかし、日本の歴史そのものであると思いました。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 23, 2008 07:31:34 PM
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