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ゴールデンウィーク中の5月4日、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)で斎王代の御禊の儀が行われました。
御禊の儀とは、斎王代が葵祭に奉仕するのに先がけて行われる禊です。 昭和31年に葵祭の斎王列が復活して以来、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の一年交代で行われています。 午前10時開始の予定がだいぶ遅れ10時30分過ぎに、斎王代をはじめとする斎王代列の女人全員が、祭場である井上社(御手洗社)前の御手洗池に到着しました。 神職祓詞の奏上などの後、斎王代の禊が始まります。 ![]() ![]() 斎王代は、御手洗池の畔に設けられた御座所に降りて座り、手のひらを合わせて指先を水の中に浸します。 わずか数秒ほどの禊でした。 ![]() 禊が終わると斎王代は、和紙で手を拭き、使った和紙を御手洗池に流します。 この後、斎王代は御手洗池より上がり、斎王代列の女人全員と斎串を折り、儲橋の上から御手洗川に斎串を流して、御禊の儀は無事に終わりました。 斎王代とは、斎王の代わりのことで、京都市内に住む未婚女性から毎年選ばれています。 賀茂斎院の制度が始まったのは、平安時代初期の弘仁元年(810年)で、初代斎王として嵯峨天皇皇女有智子内親王が選ばれました。 斎王は、ときの天皇の内親王が、神事に奉仕される制度です。 それが、斎王代として現在に蘇り、十二単衣の優雅な姿で、平安王朝絵巻さながらの光景を見せてくれます。 かつて斎王は、鴨川で禊を行っていました。 御手洗社も、かつては鴨川と高野川との合流地点の東側にあったと伝えられています。 禊は川の水に浸り、日ごろ悪意はなくても、知らずしらずのうちにしてしまう罪や穢れを祓い清めるために行います。 賀茂御祖神社前に広がる糺の森の、糺(ただす)とは、「正す、正しく直す」という意味があるそうです。 森の中を、御手洗川や瀬見の小川が流れ、御手洗の泉が湧く、清浄な神域です。 井上社(御手洗社)の祭神は、瀬織津姫です。 私たちの犯した罪や穢れを祓い清めくださる大祓いの女神様です。 葵祭でも、斎王や斎王代が最初に行ったのが禊でした。 その禊に、欠かせない神様が、瀬織津姫なのです。 大祓祝詞には、次のように記されています。 遺(のこ)れる罪は不在(あらし)と、祓ひ賜ひ、清め賜ふ事を、 高山の末、短山(ひきやま)の末より、佐久那太理(さくなだり)に落瀧(おちたぎ)つ速川(はやかは)の瀬に坐す「瀬織津姫尊」(せおりつひめ)といふ神、大海原に持出(もちいたし)なん。 如此(かく) 持出なは、荒塩の塩の八百道(やほち)の八塩道(やしほち)の、塩の八百会(やほあひ)に坐す「速秋津姫尊」(はやあきつひめ)といふ神、持(もち)可可呑(かかのみ)てむ。 如此(かく)可可呑(かかのみ)ては、気吹戸(いぶきど)に坐す「気吹戸主尊」(いぶきどぬし) といふ神、気吹(いぶき)放(はなち)てむ。 如此(かく)気吹放ては、根国(ねのくに)底国(そこのくに)に坐す「速佐須良姫尊」(はやさすらひめ)といふ神、持(もち)佐須良比(さすらひ)失(うしなひ)てむ。 上記を現代語にすると以下の様になります。 残っている罪はないようにと、天津神・国津神の祓へ給い清め給う事を、 高山・低山の麓から渓流となって激しく流れ落ちる急流の瀬におられる「瀬織津姫尊」という神が、その霊力で大海原に持ち出してくださるであろう。 このように大海原に持ち出されたなら、荒海の多くの潮流が集い渦巻くあたりにおられる「速秋津姫尊」という神が、その罪を呑み干してしまわれるであろう。 このように罪穢れを飲み干されると、息吹の根源におられる「気吹戸主尊」という神が、根の国・底の国(黄泉国)に吹き放ってくださるであろう。 このように吹き放ってしまえば、根の国・底の国におられる「速佐須良姫尊」という神が受けとって流離い(さすらい)、消滅してくださるだろう。 急流の瀬にいる瀬織津姫、大海原にいる速秋津姫尊、息吹の根源にいる気吹戸主尊、根の国にいる速佐須良姫尊の四神の連携によって、私たちの犯した罪や穢れは消滅されると、大祓祝詞には記されています。 葵祭の本祭は、5月15日です。 今年は金曜日になります。 お天気も、今のところは良さそう(雨天の場合は順延になります)なので、多くの観光客で賑わうことでしょう。 伝統の葵祭に、瀬織津姫の御神徳の大きさを、感じられずにはいれません。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 8, 2011 03:12:56 PM
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