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May 27, 2009
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京都市街の西北にある愛宕山の山頂には、「火伏の神」として親しまれてきた愛宕大権現を祭る愛宕神社があります。


明治維新後の神仏分離によって、現在の祭神は以下の通りです。



本殿

伊弉冉尊(いざなみのみこと)・埴山姫神(はにやすひめのかみ)・天熊人命(あめのくまひとのみこと)・稚産霊神(わくむすひのかみ)・豊受姫命(とようけひめのみこと)

若宮

雷神(いかづちのかみ)・迦遇槌命(かぐつちのみこと)・破无神(はむしのかみ)


このうち、迦遇槌命が火産霊命(ほむすびのみこと)とも呼ばれる火の神で、都を火災から守る神として王城鎮護の神になります。




平安時代以前の愛宕山は、嵯峨山と呼ばれていました。


愛宕神社も鷹峯(たかがみね)にあって、愛宕の読み方も「あたご」ではなく「おたぎ」と読んでいました。

現在でも、下鴨神社内にある愛宕社は、「おたぎしゃ」と呼ばれています。


鷹峯は金閣寺の北西方向に、現在でも地名があります。

かつて、その鷹峰が山城国と丹波国との国境でした。



当時の愛宕神は、境を守る「塞の神(さえのかみ)」としての性格も持っていました。

塞の神とは、国境や村の境などで、悪いものが入って来ない様に守る神のことで、「クナド神」とも同一です。



愛宕神社が「おだぎじんじゃ」と読まれていたのは、現在の京都市東山区、左京区、北区あたりを愛宕郡と書いて「おたぎぐん」と読まれていたからです。

愛宕郡には出雲氏が多く住んでいました。



愛宕山の開山は、大宝年間(701年ー704年)に修験道の祖とされる役小角(えんのおずぬ)と、白山の開祖として知られる泰澄(たいちょう)によって行われ、神廟が建てられたと伝えられています。


しかし、この時点ではまだ愛宕神社は愛宕山にはなかったことになります。


愛宕神社が愛宕山に遷されたのは、天応元年(781年)6月のことで、和気清麻呂(わけのきよまろ)が勅命を受け、愛宕郡鷹峯から神霊を迎え堂宇を造営します。

愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺が建立されたのがこのときです。


この白雲寺が、明治維新に廃寺となって現在の愛宕神社になります。




かつて、鷹峯にあった愛宕神社は、実は亀岡の丹波国分寺近くにある愛宕神社から、和気清麻呂によって遷されたものでした。

亀岡の愛宕神社は現存していて、「元愛宕」とも呼ばれています。



話がややこしくなってしまいましたが、現在愛宕山頂にある愛宕神社のルーツは、亀岡の「元愛宕」とも呼ばれている愛宕神社になります。



と、いう事は、大宝年間に役小角と泰澄によって、嵯峨山(愛宕山)が開山されたとき、それまで信仰されていた地主神を仏化・封印して、新しく祭られたのが嵯峨権現になるので、現在も月輪寺(つきのわでら)に安置されている十一面観音に対する神が、本来の嵯峨大神ということになります。


愛宕山は、9世紀以降明治維新まで、修験道の道場としても盛隆を極め多くの僧坊が建ち並んでいました。

神仏習合時代の愛宕大権現は、本地仏に勝軍地蔵、奥の院(現在の若宮)に愛宕山の天狗であり行者の守護神でもある太郎坊を祀っていた。



愛宕社が、「おたぎしゃ」と読まれる理由のひとつに、「おたき」、すなわち「御滝」からきているとする説があります。

確かに、愛宕郡にはいくつかの滝があります。


愛宕山中にも、京都市周辺では最も大きい「空也滝(くうやのたき)」があります。



空也は、平安時代中期の僧で天台宗空也派の祖。

阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人と称され、民間における浄土教の先駆者と評価されています。

父は、醍醐天皇ともいわれていますが、本人が出身について語ることは生涯なかったという。


その空也が、修行に明け暮れていたのが、この滝だったところから空也滝の名が付けられたといいます。




P1060356.JPG




空也滝への道程は、愛宕山参拝の表山道の起点となる清滝から、清滝川沿いに月輪寺方面に林道を進み、月輪寺への山道が分かれるところから空也滝へ行く山道に入ります。

清滝バス停から、徒歩40分ほどのところにあります。


月輪寺を経て愛宕山山頂に向う登山道から少し外れていて、しかも行き止まりになっているので、訪ねる人も少ないところです。



古からの滝行の道場ということもあって、幾重にも厳重な結界が張られていることも、人を寄せ付けない理由のひとつでしょう。


しかし、訪ねてみれば、とても素晴らしいところです。


滝も大きく、見応えがあります。

そのうえ、清涼感溢れる神聖な場所です。




P1060360.JPG


御滝場の手前には、八大龍王と記された石鳥居があり、滝壺の左横にもしめ縄の巻かれた石柱に八大龍王の文字が刻まれていました。

不動明王と眷属の石像や、役小角(えんのおづぬ)が前鬼、後鬼を従えた石像も祀られています。



滝の右横に、行者が建立した大きな石碑があり、それには「熊丸大神」と「住照大神」と記されています。


熊丸大神は、愛宕神社本殿で祭られている天熊人命のことなのかもしれませんが、住照大神は謎です。

もしかしたら、住吉大神(瀬織津姫)と天照大神(ニギハヤヒノミコト)のことではないかと思ってしまいます。



そしてさらに、滝壷の右横に立つ石柱には、「春日弁才天女」と「嵯峨権現不動明王」と記されています。


これで確定です。

愛宕山(嵯峨山)に祭られていた神は、「嵯峨権現不動明王」に対応する神で、「春日弁才天女」でもある女神でした。


春日大社の第四殿に祭られている「比売神」は、「元春日」と呼ばれる枚岡神社の第二殿に祭られています。


枚岡神社には出雲井があり、水神の女神は枚岡神=春日神です。


そして、不動明王と十一面観音に隠されている女神こそ「瀬織津姫」なのです。



現在の愛宕山に古の時代祭られていたのは、やはり「瀬織津姫」でした。


男神太陽神の「天照大神(ニギハヤヒノミコト)」と共に、対神で「瀬織津姫」が祭られて広く信仰されていたのです。




大宝年間に、役小角と共に、愛宕山を開山した泰澄は、文武天皇より「鎮護国家法師」との称号を与えられていました。


その泰澄が、鎮護国家法師として最初にした仕事は、愛宕山の開山という名の地主神の封印だったのです。









続く






Last updated  August 1, 2010 12:11:39 AM

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