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現在、「瀬織津姫神社」という名前の神社は、全国で三ヶ所が確認されています。(摂社・末社などの境内社は除く)
その中でいちばん大きい瀬織津姫神社が、石川県金沢市別所にあります。 北陸学院大学近くの丘陵地で、竹林が多く筍の産地だそうです。 社務所がないので専住の神職の方はいない様ですが、新築されたばかりの社殿や境内が美しく、氏子など地元の人たちからとても愛されている様子が伺われます。 社殿の周りがサッシで、まるでサンルームの様になっているのは雪を除けるためです。 ところが、由緒書の主祭神を見て悲しくなりました。 瀬織津姫神社なのに、瀬織津姫が主祭神になっていません。 主祭神とされているのは、大禍津日神(おおまがつひのかみ)ではありませんか。 大禍津日神とは、古事記に記されている禍(わざわい)をもたらす悪神なのです。 妻の伊邪那美命に追われ、黄泉国から現世へ逃げ帰った伊邪那岐命は、死の国の穢を祓うために橘小門の阿波岐原で禊ぎをしたときに、最初に生まれたのが、八十禍津日神と大禍津日神でした。 洗い落とされた死の垢から生まれた神で、八十は多く、禍は枉、禍害とあり、祝詞の悪(まが)と訓じているものと同じく、死の国で触れた穢れを指したものです。 つまり、多くの禍をもたらす穢れた日神です。 自然は私たち人間に、豊かな恵みをもたらしてくれる一方で、災害や旱魃・大雨などの天候不順、疫病などの禍をももたらします。 それらをもたらす悪神を祭ることによって、逆に禍を防ぎ恵みをもたらしてもらえる様にするという信仰があることも事実です。 それでは、なぜ大禍津日神が、この瀬織津姫神社に祭られているのでしょうか? 大禍津日神を主祭神として祭るなら、大禍津日神神社にした方が自然です。 瀬織津姫神社と名乗るのでしたら、瀬織津姫を主祭神とするのが普通ではないでしょうか。 おそらく、その理由を示していると思われるのが「倭姫世紀」の記述です。 「倭姫世紀」は、鎌倉時代に編纂された伊勢神道(度会神道)の根本経典、神道五部書(しんとうごうぶしょ)の中の一書で、伊勢神宮の起源や、崇神天皇が倭姫に命じ天照大神を祀る地を探させた内容が記されています。 その中に瀬織津姫に関する記述があります。 荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕一名、瀬織津比め神、是也、御形は鏡に座す。 伊勢神宮内宮の荒祭宮に祭られているのは、天照皇大御神の荒魂でイザナギの禊によって生まれた八十枉津日神(=大禍津日神)で、またの名を瀬織津姫であると記されているのです。 この倭姫世紀の記述と、瀬織津姫の名前が古事記・日本書紀には全く記されていないことが、主祭神変更の根拠になっているのだと思われます。 倭姫世紀が編纂されたのは、鎌倉時代のことですから、瀬織津姫が八十枉津日神(=大禍津日神)と同神であるとされているのも、天照皇大御神を女神とする伊勢神道の理念が反映されているからです。 瀬織津姫の名前が消され荒魂として封印されたり、大禍津日神の様に名前を変えられ悪神にされたのは、伊勢の地に新しい女神の太陽神が祭られたときからでした。 それは、皇祖神であり、日本の最高神である天照皇大御神にとって、最も都合の悪い神が瀬織津姫だったからでしょう。 瀬織津姫神社の主祭神は、創建当時は瀬織津姫であったと思われます。 大禍津日神に変更された時期は不明ですが、もしかすると明治維新以降、昭和初期、あるいは戦後ということも十分に考えられます。 戦前は国家神道を、戦後になっても天照皇大御神のイメージを守るために、瀬織津姫の名前を消す必要があったのでしょうか。 富山県には氷見市と高岡市の二箇所に速川神社あるのですが、明治維新までは二社とも瀬織津姫が祭られていましたが、高岡市の速川神社方は氏子が知らない間に瀬織津姫が祭神から消されていたのです。 氏子たちは現在でも、自分達の神様は瀬織津姫であり、速川神社には瀬織津姫が祭られていると信じているそうです。 九州一の繁華街福岡天神、西鉄福岡駅隣りに警固神社(けいごじんじゃ)があります。 神功皇后の三韓討伐のときには、船団を守護し勝利に導かれたと伝承されている警固大神は、神直毘神(かみなおびのかみ)・大直毘神(おおなおびのかみ)・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)の三神とされていますが、本来祭られていたのは瀬織津姫(=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめのみこと))だったはずで、瀬織津姫が三神に分けられたのが警固三神でしょう。 神直日神・大直日神 人間本来の姿に帰し、不足するものを補給し、善事を称楊する見直し開き直しの神様です 八十禍津日神 悪事を指斥し、誤ったことや不正をより良い方向へ導く神様です 三柱の神様は禊祓いの行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓い除ししめる霊力を及ぼされます。 病気、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の神霊として篤く祟敬されています。 以上の様に警固神社によると、八十禍津日神も悪神ではなく、誤ったことや不正を正し導く善神として祭られています。 警固神社では、瀬織津姫が本来の祭神であったことは完全に忘れ去られて、瀬織津姫を貶めるために創られた悪神が善神となって祭られていました。 警固神社の場合は、長い歴史の中で人々から愛され続けた結果、八十禍津日神という悪神であった神が善神に変わり信仰されているのですから否定されるべきものではありませんが、金沢市の瀬織津姫神社や、高岡市の速川神社のケースなど、瀬織津姫の受難の歴史はまだまだ続き、全国的にも多くの事例があります。 これらの神社に、再び瀬織津姫が主祭神として祭られる日が一日でも早く来ることを、心から祈っています。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 31, 2010 05:31:59 PM
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