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千八百年前の邪馬台国ではないかと注目を集めていた纏向遺跡(まきむくいせき)で、卑弥呼の宮殿だった可能性もある大型の建物の跡が発見されニュースになりました。
先週の土日に行われた現地説明会には、二日間で1万1200人が全国から訪れ、臨時電車が運転される程の大混雑になったそうです。 私は混雑が苦手なので説明会は見送り、金曜日に発掘現場に行ってみました。 ![]() 奈良駅と高田駅を結ぶJR桜井線の車内から撮った纏向遺跡です。 高田方面行き電車の進行方向右側で、巻向駅(まきむくえき)に入る直前に見えます。 黄色いパイプが並んでいますが、これは柱の跡を示しています。 手前四列の柱が、今回発見された建物跡で最大のもの(写真では建物全体の半分位しか写っていません)で、幅17メートル、奥行き14メートル、面積は畳150帖分もあるそうです。 また、卑弥呼の宮殿跡かもしれないといわれている理由は、纏向遺跡では戦いや防衛のための環濠(堀)が発見されていないことや、建物の内部が限られた人しか入ることのできない特別な構造になっていて、そこで祭祀が行なわれていたのではないかと考えられること、四棟の建物が東西の中軸線上に規則正しく並んでいて、太陽信仰に係わる可能性があるからです。 飛鳥時代以降の宮殿遺跡では、古代中国の「天子南面」という思想の影響で中軸線が南北に引かれています。 かつて邪馬台国ではないかと話題になった佐賀県の吉野ヶ里遺跡では建物の向きはバラバラで、建物が中軸線上に並んで建っている遺跡が発見された例では国内最古のものです。 ![]() JR巻向駅のホームから見た纏向遺跡です。 最初の写真では切れてしまった幅17メートルもある宮殿跡の全体が見えます。 ![]() 宮殿跡を南側の畑のあぜ道から見たところです。 ![]() 西側から東方向を見たところです。 右側に見える山が三輪山です。 建物の中軸線を東に辿ると、三輪山ではなく巻向山の山頂をかすめて、遠く伊勢湾の神島に至ります。 神島はゲーター祭りでも有名な太陽信仰の島ですから、纏向遺跡もやはり太陽を意識して造られていると思います。 最初の写真の中央奥にこんもりとした杜が写っていますが、行ってみると神社でした。 天照御魂神社と石に刻まれていました。 源初の太陽神、もちろん男性太陽神が祭られているのも偶然ではないでしょう。 纏向遺跡が本当に邪馬台国なのか? そして女王卑弥呼は大和にいたのか? は未だ結論は出ませんが、この纏向遺跡は邪馬台国の時代に日本各地のクニ(豪族)から多くの人々が集まって、連合して造った祭政一致の都市であったことは確かなことです。 卑弥呼の正体は日本書紀に記されている様に、神功皇后に討たれた九州・山門(やまと)の女首長だった可能性もあるのです。 なお纏向遺跡の今回の発掘現場は、11月末には埋め戻してしまう予定だと聞きました。 今日からの三連休中はブルーシートを掛けてあるので、遺跡を見ることは出来ません。 来週平日の発掘調査日には、再び遺跡を見ることが出来るかもしれません。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 31, 2010 05:25:38 PM
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