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スピリチュアル・メモリー 女神の物語

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December 20, 2009
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カテゴリ:カテゴリ未分類
伊勢神宮、内宮荒祭宮に祭られている「天照坐皇御大神荒魂(あまてらしますすめおおみかみあらみたま)」は、「瀬織津姫」であるとされている理由の一つに、鎌倉時代に外宮禰宜の渡会氏によって記された「倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき)」に書かれていることがあげられます。


しかし、瀬織津姫の神名は、国史書とされる「古事記」、「日本書紀」には全く記載されておらず、唯一「大祓詞(おおはらいのことば)」と「倭姫命世紀」に記されているだけなので、これだけでは根拠として少し弱い様にも思えます。



そこで、天照大神荒魂を瀬織津姫として、実際に祭っている神社を訪ねてみました。


最初の神社は、大阪市中央区淡路町4丁目にある「御霊神社」です。




P1070096.JPG

大阪のビジネス街である御堂筋通りから、西側に一本奥に入った通り沿いにあります。



P1070091.JPG

御祭神の筆頭に、天照大神荒魂(瀬織津比売神)と書かれています。


御霊神社の創建は不明ながらも、850年(嘉祥3年)の「文徳実録」に「八十嶋祭(やそしままつり)」が圓江(つぶらえ)で行われたとあり、その地に創祀された圓神祠が御霊神社の前身となります。



御霊神社の創建が「八十嶋祭」と係わっていたことが分かります。


八十嶋祭とは、平安時代に天皇即位の大嘗祭(おおにえのまつり)の翌年に行われていた即位儀礼でしたが、鎌倉時代初めの後堀河天皇を最後に廃絶されてしまっているうえに、いつごろから始まったのかも分かりません。


文献上の初見は、先に記した「文徳実録」の850年(嘉祥3年)9月8日の条で、文徳天皇(もんとくてんのう)の即位した年にあたります。

四世紀後半から五世紀にかけて栄えた河内王朝にまで遡るとの説もありますが、はっきりとしたことは分かっていません。



八十嶋祭に向う勅使が京都を発つ日に、天皇は麻衣で体をひと撫でし、さらに息を吹きかけます。

勅使は、その麻衣を御衣筥(みそはこ)に入れて、五隻の舟で女官と共に淀川を下り難波津の祭場に向かいます。



八十嶋祭の祭場は、大阪湾の淀川河口付近の浜辺に祭壇を作り、西の海に向って祭祀が行われていましたので、特定の神社の境内で行われていたものではありませんでした。


御霊神社の他に、住吉大社や生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)にも八十嶋祭の伝承があるのはこのためです。




祭は、大阪湾の浜辺に作った祭壇に祭物を並べ、筝を弾き、天皇の御麻衣が入った御衣筥を勅使が開き、これを女官が振り動かします。


天皇の御麻衣を、海に向って振り動かすことによって、禊祓(みそぎはらえ)が行なわれていたとされていますが、これは鎮魂祭(たましずめのまつり)であるという説もあります。



鎮魂祭とは、毎年11月22日に宮中で行われる祭で、冬に魂が体から抜け出さないように、しっかりと落ち着かせる神事で、物部氏が奉祭してきた奈良県天理市布留町の「石上神宮」で行われている鎮魂(タマフリ)祭とも同意です。

八十嶋祭では、女官が御衣筥を振り動かすのは、生命の根源である魂を振り動かす事であり、即位直後の天皇、生まれたばかりの御子の入った「ゆりかご」を揺らすことで魂を成長させるためだといわれています。




祭りの祭神は、延喜式の中に「住吉神」と記されています。

イザナギ命が黄泉の国から戻った日向の地で、禊をしたときに住吉神が生まれたと「記紀」に記されていることや、平安時代になっても宮中に女官として残っていたシャーマン的な巫女が、祭祀形態の変化によって、男性神祇官や陰陽師に代っていったこと、祭祀場所が住吉大社の神領や統轄下で行われることが多かったことにより、徐々に住吉大社が祭祀の中心になっていったと考えられます。


また、鎮魂祭説では、八十嶋祭の八十嶋とは、日本全土を意味する大八洲(おおやしま)のことであり、その霊である「生島神(いくしまのかみ)」、「足島神(たるしまのかみ)」を祭り、新しい天皇の身体に大八洲の霊を付けることによって、国土の安定と発展を祈願したのではないかと考えられています。


事実、八十嶋祭の祭場の一つであると伝わる大阪市天王寺区生玉町の「生国魂神社」では、「生島神」と「足島神」を主祭神としています。




その一方で、平安遷都後、伊勢神宮の斎宮が天皇の崩御により解任されて、京都に戻ってくるときには、一旦難波津に寄り、難波の海での祓いを行っていました。


伊勢の斎王が祭る神の中には、荒祭宮の神も、多賀宮の神も含まれています。


御霊神社の筆頭祭神が、天照大神荒魂(瀬織津姫)であることもこれで肯けます。



三重県度会郡玉城町蚊野の伊勢神宮摂社「蚊野神社」の祭神はかつて瀬織津姫でした。

伊勢の入り口に位置する祓い所です。



また、大津京から伊勢へ行く際の祓い所であった滋賀県大津市大石中町の「佐久奈度神社」の祭神も、瀬織津姫を含む祓戸四神です。





そして、実は住吉大社の「住吉大神」、「神功皇后」こそ、「瀬織津姫」と大きな係わりを持っているのです。




次回は、「西のお伊勢さま」と呼ばれる山口大神宮に続きます。









続く





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Last updated  July 31, 2010 10:18:38 PM



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