スピリチュアル・メモリー 女神の物語

2010/05/11(火)01:39

山中に女神あり 八女津媛神社(やめつひめじんじゃ)癒しのパワースポット

4月上旬に訪れた九州旅行でメインになったのが、八女津媛神社(やめつひめじんじゃ)でした。 「日本書紀」によると、景行天皇が八女の県(やめのあがた)に巡行されたとき、「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい、あの山に誰か住んでいるか」と尋ねられました。 そのとき、水沼の県主猿大海(さるのおおあま)が、「山中に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にいる」と答えたことから八女の地名が起ったと記されています。 八女津媛神社はこの八女津媛を祭った神社で、創建は養老三年三月(719)と伝えられています。 八女の地名の起こりにもなった八女津媛は、弥生時代から古墳時代まで各地の豪族が治めていたクニの、女首長であり祭祀を行なっていた巫女の一人だったと思われます。 この時代は、魏志倭人伝に記されている邪馬台国の女王卑弥呼の様に、巫女の力を持った各地の女首長が、鬼道や呪術といった宗教的な行いによってクニを治めていたのです。 「鬼道」の「鬼」とは、古代では「神」と同じ意味を持っていましたので、「鬼道」とは「神道」と同じことになります。 「肥前風土記」には、17人中6人は女酋(女首長)であったと記されていますし、「豊後風土記」には、速見郡に速津媛、日田郡に久津媛、五馬に五馬媛(いつまひめ)といった女酋の活躍が記されています。 この中の速津媛は、天智天皇の御代に瀬織津姫と共に祓戸神として習合される、速吸瀬戸の海の女神、速秋津姫である可能性が高い思われます。 「日本書紀」には、この八女津媛の他に、九州の女酋では八女市に隣接するみやま市山門(やまと)にいた田油津媛(たぶらつひめ)を、神功皇后が討ったと書かれています。 この山門の田油津媛こそ、邪馬台国の卑弥呼とする説が江戸時代からあります。 そして、田油津媛のいた山門は有明海に注ぐ矢部川沿いにありますが、この矢部川の源流部こそ矢部であり、八女津媛神社の所在地なのです。 また、矢部川の流域には、瀬織津姫を祭る神社が4社確認されていることからも、とても興味深い地域です。 ・釜屋神社 八女市立花町大字田形 ・釜屋神社 八女市黒木町大字湯辺田 ・潮斎神社 みやま市瀬高町文廣 ・若宮神社 みやま市瀬高町大江字前田 「古事記」、「日本書紀」、「風土記」の記述から、九州に女首長が12人もいたことになり、これに卑弥呼と台与(とよ)を加えると14人にもなります。 これは、決して九州だけの特徴ではなく、「日本書紀」の神武東征には、「名草邑に到着し名草戸畔(なぐさとべ)という女酋を誅殺した」とか、「熊野の荒坂の津で丹敷戸畔(にしきとべ)という女賊を誅した」とあります。 「出雲風土記」の地名伝承にも、宇夜都弁命(うやつべのみこと)、伊毘志都幣命(いびしつべのみこと)、波多都美命(はたつみのみこと)の名がみえます。 この様に、古代の文献には女首長たちの記録が残されているのですが、それ以上の痕跡を求めるとなると途端に難しくなります。 八女津媛がいたとされる八女津媛神社は、その痕跡を現在に伝える貴重な場所なのです。 出発前に行き方を調べてみると、八女津媛神社のある福岡県八女市矢部村北矢部字神窟は、簡単には行き難いところだと分かってきました。 八女市は福岡県といっても、有明海に近い県の南西部にあります。 矢部村に行くには、鹿児島本線の羽犬塚駅から堀川バスに乗り換えて行くことになります。 かつて、矢部川の中流部にある黒木町まで国鉄矢部線が走っていましたが、既に廃止されてしまっています。 羽犬塚駅から矢部行きのバスに乗ったとしても、八女津媛神社最寄の石川内バス停まで1時間半以上かかるうえに、バスもほぼ2時間毎位しか運行されていないのです。 そのうえバス停から神社まで、約1,3キロの山道を登らなくてはなりません。 これでは、八女津媛神社を訪れるだけで一日がかりになってしまいます。 そこで、久留米市内でレンタカーを借りて出かけることにしました。 久留米市内の混雑を避けるために、高速の九州自動車道に入り広川インターで一般道に出ました。 しばらく国道3号線を走り、八女市内に入ってから国道442号線に左折します。 あとは矢部村まで一本道です。 途中、黒木町の手前で瀬織津姫を祭る二つの釜屋神社に参拝のため寄道しました。 この釜屋神社は、矢部川の両方の岸に一ヶ所ずつ、つまり計二ヶ所ある不思議な神社です。 元は川の向こう側にある一ヶ所だけでしたが、江戸時代初期に久留米柳川家領だったところが、矢部川を挟んで立花家領と有馬家領に分けられてしまったので、黒木町側にも釜屋神社が新しく造られたからでした。 祭神は、罔像女神(みつはのめのみこと)、瀬織津姫命、速秋津姫命の三柱のはずなのですが、速秋津姫命の神名がありませんでした。 女優の黒木瞳さんの出身地でもある黒木町を抜けると、国道とはいえカーブの多い山道に入って行きます。 山里の景色の中を安全運転で走りますが、けっこう遠く感じます。 やがて坂道が急になりトンネルを連続して抜けると、美しい桜並木の湖畔に出ました。 この湖は、矢部川の渓谷を日向神(ひゅうがみ)ダムによって堰き止めて造った人造湖でした。 渓谷の景色が、湖から再び渓流に戻るとやがて見えて来る矢部中学校の角の交差点を左折して、星野村に続く狭く見通しのきかない県道をしばらく登って行くと、突然左側に八女津媛神社の鳥居と石段が見えました。 鳥居の前には狭いスペースしかありませんでしたが、県道は車のすれ違いが出来ないほど狭かったので、とりあえず駐車させてもらいました。 そして、参道の急な石段を登って行ったのですが、神社らしい場所はどこにもありませんでした。 道を少し歩いて行くと、右手に八女津媛神社の資料館がありましたが、鍵がかかっていて誰もいません。 資料館の前の道をさらに進むと、舗装された車道に出てしまいました。 どうも、車を駐めたところから県道を先に行くと、この道に続く分岐点があるみたいです。 再び車に戻って、県道を走ると予想通りに左折して山を登って行く林道を見つけました。 その林道を登って行くと、先ほどの資料館の入り口が見えたので、そのまま車で登っていきました。 山の沢に沿ったかなり急な坂道になったので、本当にこの道で良いのか、行き過ぎてないのか不安になりましたが、やがて鳥居が見えてきたのでほっとしました。 車をなるべく平らな場所に駐車させてから、やっと八女津媛神社に参拝することが出来ました。 途中で二ヵ所ある釜屋神社に寄道したこともあって、久留米市内から2時間近くもかかってしまいました。 大きな磐窟の傍らに建つ八女津媛神社 八女津媛神社は、私の想像以上の場所にありました。 「山中に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にいる」との「日本書紀」の記述の通り、険しい山中にある磐座が大きくせり出した磐窟状のところです。 この場所で、八女津媛は神祭りを行い、神の言葉を語っていたことでしょう。 吉野ヶ里では復元された主祭殿の様に、神殿を建てて神祭りが行われていましたが、この地では山中の磐窟が神と交信するための聖地だったのです。 社殿の前に立つ八女津媛の像 社殿の前には八女津媛の像が立てられていました。 よく見ると右手の下あたりに修復をした痕が分かりますが、この像のある場所(というよりもこの八女津媛の像)からは、とても素晴らしい癒しのエネルギーが放射されていました。 私はしばらく手のひらを八女津媛の像に向けて、癒しのエネルギーを感じていました。 素晴らしい癒しのパワースポットです。 続く

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