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私は極度の上がり症である。
小学生の時分に 1年間だけbebe母が 学級委員長に選ばれたことある。 親子対抗スポーツ大会の開会式の言葉を 述べなくてはならないbebe母は あまりの緊張でか 「始めます・・」と激励も言わず 一言で閉めてしまい 先生からも「お母さん、もうちょっと何か・・」 と催促されてしまうほどであった。 そんな母に似てしまい 私もとても上がり症だ。 授業参観日なんかは 当時、学年一背が高かった私は 常に後ろの席だったということもあり 参観に来ていたお母さん方の 化粧の匂いや防虫剤の匂いが 充満していた。 そして、ノートに書き留める 私の字を見ては お母さん方のヒソヒソと 話す声が聞こえてきたりして 自分は見られているという 意識から 鼻血を出してしまったという こともあった。 中学の時は学年集会で 作文を読まなければならない という事態に追い込まれてしまった。 ↑(多数決で決まっただけですが) 作文嫌いな私は何を書いていいのかさっぱりで 数人の友達に添削してもらいながら 書き上げたのだった。 いざ、学年集会当日。 1組~6組、各一名ずつ発表していく。 その中で私は4番目だった。 私の順番が来るまでの間も いや、その前からも 鼓動の早さは衰えを知らず 手からも汗がにじみ出ていた。 一人、また一人と私の番が近づくほど 私の鼓動は早まるのだった。 私の前に3人が作文を読んでいるのだが それはそれは落ち着き満ちた態度に それはそれは十分すぎるほどの作文を 披露していた。 そして、今度は私の番だ。 名前を呼ばれ前に出て行く。 マイクの前に立ち 一礼をして 原稿用紙を広げた。 原稿用紙越しから 体育座りをしている学年皆の 黒光る瞳が一斉に私を見つめているのが 見える。 こんな時に「観客は皆かぼちゃだ」なんて 思うことがどうしてできようか。 十分過ぎるほど 手のひらに「人」と書いて 呑み込んだのだが 私の緊張は極度に達し 出てくる声が震えていた。 そして、 こともあろうか 数人に手伝ってもらって書き上げた作文が それぞれの字で原稿用紙に書かれており 添削部分が欄外だったり行の間だったりもしたので 全く持って読みにくい原稿用紙になっていた。 読む練習をしていなかった私は 自分の作文を把握できていないという 事態に陥ってしまい 卒倒してしまうほど頭が混乱していた。 そして、 震える声と同時に マイクが拾った音、 スピーカーから流れ出た音というのが なんと 原稿用紙の震える音だった。 ガサガサガサガサガサガサガサガサ・・・ あまりにもの緊張で手が震え 原稿用紙が音を発する楽器として 私のオペラのような震える声と一緒に 原稿用紙もビブラートをきかせていたのだった。 私の作文発表も無残に終わり 隣のクラスの男子からは 「ブルブル」という あだ名をつけられたほどだ。 ↑(仲のいい男子が成敗してくれた) そんな痛い思い出がある私だが 来週からは 日本語教師養成講座が始まる。 もし、職を得たところで 生徒の前に立てるのかと思うと 謎である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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