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K/Night

K/Night

纏わりつく髪

 素足で部屋を歩いていると、左足首に違和感があった。何かが纏わり付いている感じ。
 立ち止まって足を見てみると、黒いモノが足首に絡まっていた。指で摘まんで引っ張ってみると、長い黒髪だった。


纏わりつく髪
                     

「まただ」
 俺が髪をゴミ箱に捨てると、料理をしていた彼女が台所から顔を出した。
「やだ、また髪落ちてた? ごめんね、気は付けているんだけど」
「いや、大丈夫」
 髪が落ちるのは仕方ないだろ、と言うと彼女は肩甲骨あたりまである黒髪を一つに括り、ありがと、と一言言って料理を再会した。俺が髪の毛に敏感になっているのに気付いているのだ。
 当たり前か。俺はここ三ヵ月部屋に落ちている髪の毛を気にし過ぎている。
「それにしても、この髪の毛は如何見たってアイツのじゃないよな」
 ゴミ箱の中を見下ろして、俺は聞こえないように呟く。この髪は彼女の髪より長い。測ったことはないが、腰くらいまでの長さぐらいだ。大学の友人のだろうか。こんな長い髪の友人はいたか?
 プルルッ……。
「ねぇ、携帯なってるよ?」
 目の前に差し出された携帯を見て顔をあげると、彼女が顔を覗いていた。ありがと、と受け取って携帯を開くと非通知の着信。一体誰だ。
「もしもし?」
『……』
 着信ボタンを押して相手に話し掛けるが、反応がない。まただ。
 一年前からこの無言電話に悩まされてきた。何度も携帯を変えてみたが、どこで情報を拾ってくるのか、数日経つとまた無言電話が掛かってくる。今は携帯電話を変える代金も莫迦にならないため、そのままだ。
「また掛かってきたの?」
 心配そうな彼女を安心させるように笑顔を作る。まだ、電話は切れていない。
 電話の犯人は大体分かっていた。一年半くらい前から俺をストーカーしている女だ。大抵は俺の周りに出現するくらいで特に害はなく、気持ち悪かったが深刻な被害があるわけでもなかったので放って置いた。住んでいるアパートの場所も知られていたが、大学に近く、コンビニやスーパーに程良く近い便利なこの部屋を手放す気になれず、引越しはしなかった。
 放っておいたのがいけなかったのか。一年前、その女は俺に接触してきた。初めてのことだった。
 好き。
 白いワンピースを来た長い黒髪のあの女は、小さな声でそう言った。特に可愛いというわけでもなく、不細工でもない。けれど、今までのこともあって決して良い印象ではなく、俺はすぐに断った。彼女は何も言わず、俺がその場から離れても動く気配はなかった。
 それから、女の姿は周辺からいなくなった。いなくなったと思ったら、今度は無言電話だ。好い加減諦めろと思う。
 今日こそは言ってやろう。三ヵ月くらい大人しかったから、もう平気かと思ったが、このままじゃ彼女まで心配させてしまう。
「おい、お前好い加減」
『……傍に、いるよ』
「……え?」
 ブツッ。
 着信が切れる音。耳には、まるで耳元で囁かれたかのような、小さいがはっきりとした女の声が残っている。
 どういう、意味だ?
「もしかして、前言ってたストーカーの人? やっぱり警察に行った方が良いんじゃない?」
 テーブルに食事の準備をし終えた彼女が、髪を解きながら心配そうに俺に声を掛ける。
「……いや、大丈夫だよ」
 あくまで平常心を装って、俺は椅子に座った。
「本当に?」
「うん」
「そう。でも、もし何かあったらすぐ言ってね?」
「うん」
 彼女は優しい。三カ月前告白を受けてもらって本当に良かった。
 忘れよう。あんな言葉に意味はきっとない。今は、彼女との時間を大切にしていきたい。
 頷く俺を見て、彼女はとびきりの笑顔を浮かべる。この笑顔に惚れたんだ。
「今日はカレー?」
「そう。腕によりをかけたから、たっぷり食べてね」
「それは期待出来るね。いただきます」
「召し上がれ」
 牛肉や野菜のたっぷり入ったカレーを、スプーンですくって口に入れる。
「うん、美味しい」
「本当? 良かった」
 数種類のスパイスが入ってるのよ、と彼女は嬉しそうに話す。彼女の声を聞きながら、俺はまた一口、カレーを口に入れた。
「……!」
 舌が違和感を感じ、口の中に手を入れる。
 ずるり。
 黒いモノが出てくる。
「やだっ……髪結んだ時に入ったのかしら」
 長い、黒髪だ。
 胸の辺りがムカムカして、気持ち悪くなる。台所まで走ると、俺は流し台に口の中のモノを吐き出した。
「大丈夫? ご、ごめんね?」
「……だ、いじょぶ」
 しかし、そうはいっても気持ち悪さは消えず、更には嘔吐感まで出てきた。
 申し訳なかったが、食べ残したカレーは冷蔵庫に入れてもらい、ベッドに横になる。この状態では何も出来ず、彼女に迷惑がかかるため、遅くならないうちに家に帰した。
「じゃあ、帰るね? 無理しちゃ駄目だよ?」
「うん」
 玄関までしか送れない自分が情けないと思いながら、彼女の姿を見送る。呼んでおいたタクシーに彼女が乗り込むのを確認して、俺は玄関を閉めた。そのままベッドには向かわず、台所に入る。
「……」
 ゴトン。
 カレーの入った鍋を、流し台に横にする。ドロリとした液体が排水溝に吸い込まれていく。その中に、無造作に手を突っ込んで引き抜くと、黒い髪が手に絡まった。
 彼女とは違う、長い黒髪。

 暑い。
 寝苦しさに目を覚まし、時計を見てみると午前三時を回ったところだった。
 そういえば、ニュースで今夜は寝苦しい夜になると言っていたっけ。まだ五月なのに。
まだ、口の中に髪の毛がある感じに俺は眉を寄せた。一体あの髪の毛は何なのだろうか。俺と、彼女しかいなかった部屋に、しかもこの部屋で作ったカレーに、他人の髪の毛が入ることなんてありえない筈なのに。
カーテンも窓も締め切った暗い部屋の中、ぼんやりと考える。冷やりとした空気が俺の頬を撫でる。
「え?」
 何処から風が、と思うと同時に、ドサリと何かが俺の上に落ちてくる。ズシリと重い。暗闇でも分かる、白い色。
「ひっ……?!」
 ズルリと、何かが俺の体を這う。
 動けない動けない動けない。
 必死に体に力を入れても、俺の体は石の様に固まったまま。そのせいで、何か、は俺の顔中に這ってくる。
 気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイ。
「……傍に、いるよ」
「……え?」
 何で? どうして……どうしてその言葉が……?
 目の前に、黒い影が落ちてくる。
 ハァー……。
 臭い匂いが鼻にかかる。
 ガタガタと、俺の体が震えた。全身に冷や汗が吹き出る。
 影もカタカタと震えた。影の奥から、白いモノが俺を覗く。
「傍に、いるよ」
 濁った白い目が、俺を見ている。

「うわぁあああああぁぁああぁあぁあああ……っ!」
 飛び起きると、全身にびっしょりと汗を掻いていた。辺りを見渡すが、何も居ない。時刻を見てみると、午前3時半。
「夢……?」
 夢にしてはリアルだった。体には、まだ何かが這っているような感覚がある。
「気持ちわる……」
 思い出しただけで寒気がする。アレは一体なんなんだ。どうしてあの言葉を……?
 喉がカラカラする。考えたくなくても、色々と嫌な想像が巡る。
「……水、飲もう」
 ベッドから降りて台所に向かう。面倒だから電気は点けず、蛇口を捻ってコップに水を注いで、一気に煽る。
「……!」
 何かが喉に絡まった。
「うぇっ……!」
 異物感に耐えながら口に手を突っ込み、それを掴む。ズルズルと、それは口の中から出てくる。手探りに台所の電気を点け、自分の口から出てきたモノを見た。
「な、んだよ。何なんだよっ!」
 気持ち悪さにまた少し吐いて、俺はそれを流し台に投げ付けた。流しっぱなしの水に対しても、それは量が多いために流れていかない。
「何なんだよ、コレ……」
 ズルズルと、床に座り込む。床に付いた手に、糸状のモノが触れた。流し台で水がまだ流れている。
 俺は、床に広がっている長い黒髪を見つめた。

「ねぇ、顔色悪いよ? 大丈夫?」
 あれから、久々に大学で会った彼女は俺を見るなり可愛い顔を歪ませた。
心配するのも無理はない。あれから俺は殆ど寝てない。寝たらまた、あのリアルな夢を見るため、寝るのが恐かった。食事も殆どしてないため、きっとやつれているだろう。
「絶対無理してるよね? 今日こそは私、家に」
「絶対駄目だ!」
 俺の大声に、彼女だけではなく、周りの人の動きも止まる。彼女の顔が、泣きそうに歪んでいくのを見て、ズキズキと胸が痛む。
「ど、うして? あれから家に入れてくれないし、大学でだって、殆ど会ってくれないし」
「……今は、本当に無理なんだ。ごめん」
 極力彼女の顔を見ないように顔を背け、一方的に謝ると俺は彼女に背を向けて走り出した。後ろから彼女が俺の名前を呼んだけど、聞こえない振りをする。
 もしかしたら、これで彼女とは終わりになるかもしれない。けれど、彼女を巻き込むわけにはいかなくて。
 俺は、帰りたくなくても自然と足が向かう、自分のアパートに向かった。

ガチャリ。
玄関の鍵を開けて入り、すぐに鍵を閉める。玄関には黒いモノが詰まったゴミ袋を四つ、無造作に置いてある。もう捨てる気にもならない。半透明のゴミ袋だが、中身はそれなりに見える。コレを見てしまったら、他の住民はきっと俺を怪しむだろう。
俺は靴を脱ぎ捨てて、部屋の中に入る。一面、真っ黒な床。
「ふっ……ははっ……」
 その状況に俺はただただ、笑いが込み上げてくる。朝、大学へ行く前に綺麗にした筈の床は、帰ってくるなりこの状況。あの日から、徐々に量は多くなって、今や床一面を覆う程。部屋に溢れかえった、あの長い黒髪。
プルル……。
携帯が鳴る。画面を見ると、非通知着信。
あぁ、まただ。
「もしもし」
『……』
 あれから一度も掛かってきてない無言電話。反応はなく、流れる沈黙に俺は沸々とした怒りを感じる。これが、全部あの女のせいに思えてきて、俺は携帯を握り締めた。
「好い加減にしろよ! お前一体何なんだ!? こんなことして楽しいのかよ! 人の日常壊しやがって! コソコソしてないで出て来い! 警察に突き出してやる!」
『……傍に、いるよ』
「おい、聴いてるのかお前!」
 見えない電話越しの相手に、俺は怒鳴る。すると、クスクスと笑い声が聞こえてきた。電話越しからではなく、俺の部屋から。
「傍に、いるよ」
 ゴトン。
 押入れから何かが落ちてきた音が聞こえた。携帯からは、クスクスとした笑い声が流れてくる。俺は携帯を握ったまま、押入れに近付いた。ツンと鼻につく凄い匂いが漂ってくる。押入れを開けると、その匂いは更に酷くなった。
「……っ!」
 目の前に映った光景が信じられず、俺は力が抜けて髪の毛の上に座り込む。押入れから、だらんと垂れた殆ど骨になった手には白い携帯が握られている。画面には、俺の携帯の電話番号。
服は殆どボロ雑巾の状態だが、白いワンピースだったことが窺える。腰くらいまである髪はボサボサに、押入れの中で散乱していた。
クスクスクス。
生きているはずのないモノは、笑いながら肩を揺らして俺を見る。
「傍に、いるよ」
 長い黒髪が、俺の左足首に絡まった。

「あ、気付いた?」
 目を開けると、彼女の顔が最初に目に入った。周りを見渡すと、自分の部屋じゃないことが分かる。病院だ、と彼女は教えてくれた。
「やっぱり心配で、あの後家に行ったの。インターホン押しても携帯に電話しても出ないから、部屋に入ったら、倒れてて」
 心配したんだから、と涙ぐみながら俺の肩に顔を埋める彼女を、俺はごめんと謝りながら抱き締める。聞こえてくる彼女の心臓の音に、ココが現実だと実感する。
「三日も寝てたのよ。起きないんじゃないかって心配したんだから」
「本当にごめん」
 心の底から謝ると、彼女はやっと笑ってくれた。しかし、すぐにその笑顔も消える。
「あのね、あの……死体のことなんだけど」
 そうだ、あの死体は一体どうしたのだろうか。
 言い難そうな彼女に、俺は続けてと先を促す。
「あなたが倒れた日が丁度死後一年だったらしいの。これ、あの死体の生前の写真」
 彼女が差し出したのは一枚の写真。受け取ってそれを見ると、一人の女が映っていた。白いワンピースの、腰くらいまである長い黒髪の女。
「これ、ストーカーの……」
「それでね、あなたの部屋から死体が出てきたから、一応後日重要参考人として、事情聴取したいって警察が」
「……そう」
 写真の女ははにかんだ様な笑顔だった。だけど俺にはあの、死体が笑う姿と重なり気持ち悪さを感じた。
「あ、ねぇ喉渇いてない?」
「え?」
「私、飲み物買って来るね!」
 俺の表情が暗くなったのに気づいたのだろう。彼女はいたって明るい声で、行って来る、と病室を出て行った。
 きっと、あの部屋の状況も見たはずなのに、彼女が傍にいてくれたことに嬉しさを感じる。
 忘れよう。これからは、何時もの平穏が戻ってくるはず。
 体を壁に寄りかからせた瞬間、左手から写真が落ちた。写真はベッドの下へと入っていく。
「あー……取るの面倒だな」
 後で良いか。
俺は病室から見える空を眺める。空は真っ赤に染まっていた。今日はゆっくり寝られるかもしれない。
「……」
その、考えはあっさりと破られたけれど。
左足首に感じる細いモノに、俺は一瞬にして全てを諦めた。
ズルリ。
床を這う音が聞こえてくる。
長い黒髪が、少しずつ、俺を絡め取っていく。もう、動く気はなかった。出てくる黒い影に、ただただ視線を落とす。
そうか、俺の部屋から出てこれたから、ここまで来れるようになったのか。自分で、自分を俺の部屋に縛っていたんだもんな。俺と、一緒に居るために、アソコにずっと居たんだよな。一年も前からずっと。
電話は自分の存在を知らしめるため、髪の毛は彼女に対しての警告。俺に手を出すなという、警告。
空ろな目で影を見ながら、俺は全て分かった気がした。
クスクスクス。
病室に笑い声が響く。
願わくば、どうか彼女がこの瞬間に戻ってきませんように。
「傍に、いるよ」
 俺の目の前に現われた影が、濁った目で見つめてくる。
 俺は、ゆっくりと目を閉じた。

                           終


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