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K/Night

K/Night

この花が散ったら私の命も(以下略

残り後一つだった椿の花が、ボットリと落ちやがった。
「…ロンリー…ロンリネス!」
それを目の前で見せ付けられた彼女はそう叫ぶと、手前の机をあらん限りの力で殴りつけ、
「…痛―――!」
理不尽だと言いながら手の痛みに悶えた。
 いや、自業自得だから、それ。
 唯、それを言ったら椿の鉢を投げられる事必至なので(彼女は椿を口汚く罵りながら、鉢をガタガタ揺す振っている)敢えて言わない。
 誰だって自分の身が可愛いよね、うん。
「何なのよ! この花が落ちたら私の命も終わるってカッコ良く言ったのに、直後に落ちるってどういうこと?! そんなに私と果てるのが屈辱だったわけ?!」
「そういえば、三分前に言ってたね、そんな事。因みに君が内緒で食べようとしているおやつのカップ麺も出来上がったよ」
「もう、そんな場合じゃなくて!」
 とか言いつつ、いそいそとカップ麺の蓋を開けている君が素敵だよ。
「というか、まず入院しているこのいたいけない美人に、首が落ちるとか不吉さ絶好調の椿を見舞花に持ってくる?! あんた!」
 自称美人はズルズルと麺を啜りながら、ラーメンの汁を吸った割り箸を突きつける。
 うわ、よりにもよってラーメン、カレー味かよ。
 これはいくら容器諸々を磨き上げた技で証拠隠滅しても、匂いが残る―――否、染み付いている。
 これじゃあ完全犯罪は無理だな。
「いや、だってさ。椿が青春真っ盛りに咲いてたから」
「あんた、そんな理由で買ってきたわけ?! 頭大丈夫?! アーユーオーケー?!」
ダンッと音がするほどにカップ麺を机に叩き付け、汁をそこら中に飛ばし、布団にまで被害を与える。
 これで、バレる事間違いなし。そして看護師さんの怒りの矛先はきっと自分にも向くだろう。これこそ理不尽だ。
 と、思いこそすれど、ここでそんな事を言ったら、やはり、今度はカレー汁をぶちまけられるだろうから(カレー汁は染みは取れないし、匂いがキツイ。かけられたら最後、地元の小学生にカレーマン呼ばわりされ、苛められるだろう)敢えて言わない。
 ほら、やっぱり自分の身が…。
 取り敢えず、今は自分にきせられそうな汚名を晴らさなければならない。
「俺は何時でも、何にでもオーケーだ」
「親指立てて言うセリフじゃないでしょーが! このポンカスのこんこんちき!」
 どうやら汚名を晴らす一手にはならなかったらしい。女性というものは難しい生物だ。
 というか、ポンカスって何だ? ポンコツの派生語か?
「でもさ、別に死ぬような病気でもないんだから良いじゃん?手術も終わったんだろ? 盲腸のさ」
「あんたは盲腸の恐ろしさを知らないのよ!」
 むきゃーと猿みたいな奇声を発しながら、カップ麺の容器を投げ付ける。
 せめてもの救いで、汁は全部飲み切ったらしい。
 これぞ神の慈悲か、オーメン。
「何が恐ろしいんだよ。後は退院するだけだろ?」
「だからあんたは知らないのよ!」
「だから何?」
「いい? 盲腸はね、治ったという証を示さなきゃいけないわけよ。そして看護師さんに言わなくちゃいけないのよ」
「だから何だって言うんだよ」
 だーかーらー、と強調するように彼女は間を伸ばすと、人差し指を突きつけて涙目になった。
「いい?! 盲腸が治ったという証にね、屁をこかなきゃならないのよ! そして屁をこいたら声高らかに大勢の同室の人に見守られて看護師さんに、『屁をこきました』と言わなくちゃならないのよ! これがどんなに恐ろしい事か…!」
「いや、別に同室の人が見守るべき事でもないと思うし、というか、声高らかに言わなくても別に良いと思うし」
「馬鹿ねあんた! もし看護師さんが聞き取れなかったらまた言わなくちゃならないのよ?! 同じ事を二度言う方がよっぽど屈辱だわ!」
「…屈辱なんだ。いや、だから普通に言えばね、看護師さんも聞こえるからさ、アリス」
「その名前で呼ぶんじゃないわよアーサー!」
 彼女は自分の名前を聞くや否や、今度は椿の鉢を投げてきた。
 いや、それは流石に危ないだろう。あ…窓に当たった…。
「今度その名前で呼んだら簀巻きにして東京湾に沈めるわよ!」
 何を其処まで自分の名前を嫌うのか…彼女こと、有栖川アリスはこれでもかというくらいに極上の笑みを浮かべて言い放った。
因みに、名前が名前だからと言って想像してはいけない。一応猫の名前はダイアナで、白い兎も飼ってはいるが、猫は凶暴、兎はメルヘンな国に連れて行く所か毎日の大食いで激太り、今では動くのもままならない状態。昔兎を放してみたは良いが、逃亡を図り、飼い主である彼女を排水溝に落とす始末だった。彼女も彼女で、メルヘンなのかメルヘンじゃないのか分からない。取り敢えず、メルヘンを鼻で笑ったのは確かだ。
「じゃあ、君も俺の名前をそう呼ぶのは止めてくれよ」
「何よ、別に良いじゃない。名前を伸ばしただけで対して変わらないんだから支障はないでしょう?アーサー」
「…だからさ…」
 しかし幾ら言っても彼女は聞き入れてはくれないだろう。俺は自分の名前…浅木亜々紗〈アサキ アアサ〉という名前を恨むよ、本当に。…因みに、以前刀を持って街を徘徊し、銃刀法違反で捕まりかけたのは内緒の話だ。
「ったくもう…本当に切実に、私はマトモな友人が欲しい所だわ」
自分の悲劇を嘆くように頬に手を当て、溜息を吐く。風が情緒的に彼女の髪を揺らす…が、その風は彼女が鉢を投げたせいで空いた窓からのモノであって、全く情緒的ではない。
「俺もマトモな友人が欲しいよ、本当にね」
 負けじと言い返してみる。彼女は俺を一瞥して鼻で笑う。
 そうさ、分かっているのだ。こんな変な、と自分達でも自覚している(だろうと思う、自分も、彼女も)俺達にマトモ、という以前に長く付き合える友達なんて殆どいない。というか、ついて来れないらしい。自然、類は友を呼ぶ、というか友は類というか、俺と彼女はこうして友人としての長い付き合いをしている。
 いい加減、どうかと思う、この付き合い。
「…まあ良いわ。こんな私に臆す事なくついて来れるのはあんたくらいだものね」
「それを言うなら君もそうだと思うよ」
「…そうね。じゃあさ、あんた。取り敢えずこのカップ麺の容器と、投げた鉢と割れた窓を隠すの、手伝ってくれない?」
「……」
 どうやら、結局最後はこうなるらしい。まあ愚痴を零してもどうにもならないし、むしろどんな暴言を吐かれるか分からないし、仕方ないから慣れた手際で彼女を手伝う。共犯も、こう何回も重ねていれば慣れてくるものだ。しかも慣れなきゃいけないのだ。見つかれば、俺も同罪で怒られるのだから…。
「あら、何をしてるのかしら? お二人さん」
「あ…」
「……」
「まあまあ、随分床も汚くなって、空気もカレー臭くなったわね。あら、窓も随分風通りが良くなった事」
 遠まわしというか、変化球というか…俺の首根っこを掴んでそんなドスの効いた声で言わなくても、ストレートに言って良いと思います、看護師さん。
「…そ、そうですよね?ほら、窓が開放されたせいで、こんなに空が綺麗に見えて…」
「有栖川さん…?」
「…はい」
「それと、浅木さん」
「…はい」
ゴッ…と強風が部屋に入り、紅い椿の花弁が床を滑った。
「今日という今日は許しませんからね」
「…はい」
彼女よりも極上の笑みを浮かべた看護師さんは、背後に鬼を見せつつ両手を腰に当てた。
どうやら、彼女はこの床に無残に散った椿と一緒に散る前に、俺と一緒に看護師さんに怒られるのが先のようである。
というか、俺も怒られるのか、やっぱり…。

                     終


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