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たらった、た~らら~ら~(世界の車窓のテーマ)こんばんは、今日は東ヨーロッパはチェコのアウステルリッツからの送ります。さて、背景ですが、 【アウステルリッツの戦い(Schlacht von Austerlitz)】 1805年12月2日、チェコのアウステルリッツ(スラフコフ・ウ・ブルナ)で、ナポレオン率いる仏軍(大陸軍)7万3000とフランツ2世・アレクサンドル1世率いるオーストリア・ロシア連合軍8万7000人の間で行われた会戦。 3国の皇帝が一堂に会したため三帝会戦ともいわれる。 この戦いでナポレオンはわざと右翼に隙をつくり、敵の主力を誘い出そうとした。ロシアのクトゥーゾフ将軍はこれをナポレオンの罠とわかっていたのだが、アレクサンドル1世はこれを聞き入れず、連合軍の主力が陣取っていたブライツェン高地からほぼ全軍をフランス軍右翼へ向かわしてしまった。 そこでフランス軍は、薄くなったロシア軍の中央にスルト元帥の第4軍団を投入した。中央を守っていたクトゥーゾフ将軍はロシア近衛軍団を投入し、フランス軍と激戦を繰り広げたが、ナポレオンの帝国親衛隊の投入でブライツェン高地の連合軍は退却した。 中央突破に成功したナポレオンは連合軍を各個撃破し、右翼へ殺到していた連合軍は挟み撃ちされ、連合軍は凍りついた湖に退却した。その後、大砲で湖の氷を割られ、多数が溺死した。 連合軍はこの戦いで3万以上の死傷者を出し敗走した。一方、仏軍側も1万の犠牲者を出した。この戦いの勝利はナポレオン戦争の中でもっとも輝かしいものであり、見事な勝利だったという。 今回は、仏軍の右翼方面から連合軍側の占領する高地を望んでいます。 このゲームでは、左翼のランヌが強くて、史実通りにするより、仏軍左翼で押しまくると良かったと記憶があります…が、やはり、前半戦になんとか中央突破をはかり、史実通りに仏軍の勝利!となるのが、こだわりのナポレオニックゲーム愛好家ではないでしょうか?(←って言うか私のこだわり) ゲーム自体はすごく簡単、要項も作りましたので、冬になったら千葉会に持って行こう~♪相手がいるといいな(´・ω・`)ショボーン それにしても、初めてのナポレオニックゲームの記事ですね~☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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