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ふぁみりー・Kのおうち 別館

ふぁみりー・Kのおうち 別館

結婚生活3年目

採用以来初めての異動。
最初はイヤでイヤでたまらなかったT中学校に、
結局それから11年お世話になることになるとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん。(古すぎ)

3年生の副担任として入った学年はそりゃあとってもパワフル。
前任校が「おとなしく道理と理屈が通じる」
子どもたちだったのに対し、
今回は「元気はじけてオロナミンC!」な子どもたち。
ぶっちゃけて言えば「文化部」と「体育会系」の違いですね。
同じ市内でこんなにも子どもが違うのかと
しばしカルチャーショックに襲われる私。

先生方もパワフル。ノリが良くて飲み会が好きで
明るくて元気で、でもきちんとした方々でした。

とはいえ、意外と応用の利かない私は慣れるまでかなり時間がかかりました。
ストレスで食べちゃって、体重が増えまくった上半期。
「このままだったらやばい」と思っていたら、秋頃からゆっくり元に戻っていきました。
これに何よりほっとしたのはかっちゃんだったで(笑)。


この年は授業も大変でした。
3年生の国語をメインに12時間、1年生の書写を1時間、
なぜか2年生の家庭科を8時間、空き時間は教材研究に追われていた記憶しかありません。
調理実習の手配が訳わかんなくて、毎日ヒ~ヒ~言ってましたね。
クラスこそ持っていなかったものの、部活はまたも器械体操部、
放課後は体育館で女子生徒に(愛の)ムチをふるう毎日。
私は器械体操の経験が無く、理屈はぼんやりとしか分からないため、
「センセイ!補助して下さい!」とか
「センセイどうやれば良いんですか?」なんて
うるうるした目で見つめられると、もうつらくってつらくって。
他の学校や高校に連れて行ったりして、必死で指導していました。
部員はみんなとっても良い子たちばっかりでしたから、
答えてあげたいっていう思いは強かったですね。
でも、それだけに指導しきれない自分がイヤでイヤで。


「これは妊娠するしかない。」
↑逃げるには産休しかないと思っていたんだな

そういうわけで、この年、近くの産婦人科で不妊治療を始めました。
(結局ここの医者とは相性が合わず、翌年転院することになります。)

あわせて、アパート住まいもそろそろ終わりにしようかという話が出て
私の実家から、その近くに空いていた土地を譲ってもらって
家造りがスタートしました。

子どもはいなかったけれど、このころはかっちゃんと二人で楽しかったな。
年取ったらまたこういう生活が送れるって楽しみにしてたんだけどな………




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