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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:夫へのラブレター
あ~さんままです。
たくさんの方にご心配をおかけしました。 前回の内容に引き続いて、「な~~んちゃって、実は冗談でした~~~」 って続けられれば良かったんですが、 …毎日泣いて暮らしています。 夫の死を受け止め切れていないのが実情なんですが、 自分自身の気持ちを整理していく意味で この場を借りて、しばらく書き留めていこうと思います。 毎日ではなく、書けるときに。 自分の心と向き合い、それを文章にできるときだけ。 人は誰も大事な人を失ったとき、自分がその前にできなかったこと、してしまったことを悔やみ続けると言います。 今回のことで、友人も身内も「自分を責める事はない」と言ってくれますが、私にはどうしても自分を許せないことがあります。 夫は、以前ここの日記でも書いたのですが、義父の転院に伴って、 その介護のために、介護休暇を取り、学校を休んで福島に行っていました。 福島には、身内は誰もいませんから、レオパレスを借りての一人暮らしでした。 6/30の夜、電話したのが最後になりました。 ユウヤノドンの乳歯を歯医者が抜いたこととか、直前のマナタンの発熱のこととか、カツヤザウルスのテストのこととか、 福島は暑いとか、義父の体調はいくらかいいけど、とか、 そんな他愛もない話をして。 その晩、日付が変わった頃から朝にかけて、 が死亡時刻の推定だそうです。 なぜ、推定かというと、発見が遅れたため、 遺体の腐敗が相当進んでしまったためだそうです。 同じ理由で、死因も特定出来ませんでした。 警察医も大学病院の解剖医も調べてくれたんだけど、 「推定」で「肺水腫による呼吸不全」としか。 7/1金曜日の未明、夫はたった一人で誰にも看取られずにこの世を去りました。 私はその晩、子供たちとカラオケなんかに行っていました。 深夜にメールしたけど、返事は翌日かななんて呑気に構えて。 7/2土曜日も家で子供たちと過ごしていました。 網戸を張り替えたり、草取りをしたり。 連絡がないなあとは思っていたけど、2日くらいならこれまでもあったし、って。 メールを送って、「メールくらいよこしなよ」とか、そんなこと書いてた。 7/3日曜日になって、夜電話しても出なくて、 「おかしい」って思い始めて、でも、もう夜だし、明日朝一で動こうって。 7/4月曜日。 電話に出ない。返事も来ない。 福島医大の義父の病棟に電話したら、看護婦さんが 「お見舞いに来てません。」て。 体中の血液が逆流していくようでした。 悪いことばかり考えて、いそいでレオパレスの福島支店に電話して、 でもまだ営業してなくて、 福島警察に電話して、でも、事件ではないからって動いてくれなくて、 結局レオパレスの現地の管理人が、部屋に付いたのは昼頃。 鍵を壊して、警察官立ち会いで中に入ったら、 中で ごめんなさい。なんてひどいこと読んでもらってるんだろう。 管理人から、携帯に電話が入って、「亡くなってました」って一言を 聞いたとき、 自分の口から自分でも信じられないほどの絶叫が悲鳴が上がったのを覚えています。 「人間ってこんな声が出るんだ」なんて、どこかで冷静に観察している自分。 うろたえて、叫ぶしかできなくて、 なのに、「やっぱりそうだったか」って、受け止めようとしている自分。 叫んで叫んで、いつの間にか開いた目から涙があふれて、 何分くらいそうしていたんだろう。 聞くに堪えなかったのか、管理人さんからの携帯は切れていました。 (そういや携帯も殴っていたかもしれない) やっとかけ直して、「状況から見て多分病死であること」 「これから遺体を警察に運ぶこと」などだけ聞いて。 管理人さんがいいおじいさんで、 「奥さん、いいかい、これから福島に来るなら 絶対車で来ちゃダメだよ、必ず誰かと新幹線で来るんだよ、 気をしっかり持って、分かったね?」って、涙声で言ってくれました。 それから、義母に電話して、実家の母にすぐ来てもらうよう電話して。 カツヤザウルスとユウヤノドンを小学校から引き取って、マナタンも連れてくって、私が言い張って、 父と母が福島警察まで付き添ってくれました。 で、現場の写真を見せられて、それからやっと夫に会えました。 かっちゃん、ごめんね、ごめんね、ひとりぼっちにしてゴメンね、って。 もうただ泣くしかできなかった。 触れたほほの冷たさと変わり果てた顔。 こんなふうに逝かせたのは自分なんだ。 もっと早く連絡のないことに気が付いていれば、 もっと早く対処してれば、 福島になんか、家族を置いて行かないでって、もっともっとわがままを言っておけば、 私がもっとホントの気持ちを言っていれば、 こんなふうに逝かせることはなかったはずなのに。 家のことは心配しないでって、強がり言って、 福島に送り出してしまった。 私はきっと一生このことで自分を責め続ける。 誰がどんなに慰めようと、 年月がこの罪悪感と後悔を少しずつ癒そうとも、 私は死ぬまで、自分を完全には許せないだろうと思う。 あんないい人を、私はたった一人で、淋しく逝かせてしまった。 かわいがっていた子供たちにも、何も言い残すことなく、 自慢していた家で、逝くこともできず、 たった一人、誰に気づかれることもなく、 あんなひどい状態になるまで、ほっておかれるような、 そんな死に方をする人じゃあ、絶対になかった! 繰り言にしかならないけれど。 今の私の慟哭を、もしも聞いているなら、どうか、夢にでもいいから出てきて下さい。 帰ってきて下さい。 そしたら、もうどこへもやらない。 ずっと私たち家族の所にいて。私のそばにいて。 結婚するときの、一緒に年を取っていこうって言ってた約束を、 退職したら二人で日本中をドライブしようって言ってた約束を果たして。 私を一人にしないで。おねがいだから。……。 すみません。今日はここまでです。 前回、前々回のテキストへの返答が書けないこともお許し下さい。 皆さんからの励ましが嬉しいです。この場を借りてお礼申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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