2005/10/10(月)15:29
夫が亡くなって百箇日の日のこと
え~~、ご心配を頂いておりました、夫の百箇日に義父母を呼ぶという件ですが、
どうにか無事終わりました。
なにごともなく。
直前に義母が電話で
「お父さんが背広着ていった方が良いか聞いてくれって言うんだけど」
と言ってきたので、
「そんなことイイから、とにかくお線香あげに来て下さい!」
と、思わずキれてしまったことを除けば。
(この日来るのは義父母だけだって言ったでしょうが。誰に対して表を張ってるんですか?
そんな表を張る気力があるなら、もっと早く来ようと思って下さいよ。(涙))
「タクシーで行こうってしてたんだけどね~」と義母。
「そうですか」としか答えない私。
行き帰りの車中はまるで氷河期のような沈黙の艦隊。(なんだそりゃ)
でも、義父は仏壇に置かれたかっちゃんの遺骨を抱いても良いかと聞き、
義母は止めたけれど、私はどうぞ抱いてあげて下さいと言いました。
遺骨を大事そうに抱きしめ、ただ黙って目を閉じている義父。
この姿を見たら、私に何が言えたでしょう。
かっちゃん、やっとお父さんに会えたね。
良かったね。
義父にしてみれば、自分が病気にさえならなければ、と自分を責め続けていたのでしょう。
私も、義父の病気を責める気持ちは持っていませんでしたからそれはもういいんです。
ただ、なぜ、もっと早く会いに来てくれなかったんだ?とその点だけは問いただしたかった。
車の乗り降りだって、義母の手を借りれば、できること。
自分の息子の遺骨に会いに来ることをなぜ退院後40日も経ってから、私に呼ばれてでなければできないのか。
息子の葬式をあげてくれたお礼の言葉を、なぜ私や私の実家に言えないのか。
ほんの少しの言葉が足りないことが、そういう気持ちさえ持ってないのかと誤解される原因になる。
損な人たちなんだ。
そう思うことにしました。
古くからの友人である仲人のTさんにも呆れられ、
もともと出歩く質ではないこの夫婦はこれからどんどん孤独になっていくだろう。
そうやって老後を送る人たちなのだ。
私がこれ以上責めてどうする?
次に義父母に会うのは、来年6月の一周忌。
もうこちらから連絡をする気はありません。(連絡が来れば別ですが)
私の中では、義理を果たしたという気持ちで完結してしまいました。
私は冷たい。冷酷な人間です。
おまけ。
百箇日の前日から胃が痛くて胃が痛くて、食事を満足に取れなくなってしまいました。
どうやら、義父母に会うということが予想以上に自分のプレッシャーになっていたようで、胃痛をおこしていた模様。
結局今日まで胃痛は治まらず、胃薬のご厄介に。
昼過ぎからどうにか胃の調子は戻ってきたようです。
おまけその2
健気な発言をしていたカツヤザウルス君は義父母が来ている間、
本を読んでいました。ほとんどずっと。
これは、もしやシカト?
しまった、母親の影響?と反省しました。
やっぱり、気を付けないといけませんね。心から反省です。h