カテゴリ:シドニー・あれこれ編
1月31日に、私達のオーストラリアのお母さん、Patが天国に召されました。
サーキュラキーのフェリー乗り場で知り合ってから、21年が過ぎました。 今でも、出会った時の事をよく覚えています。 日本人の高校生の女の子2人を連れたオーストラリア人夫婦。 丁度、ホームスティの受け入れを始めたばかりで、その日は、2人をピックアップしたばかり。 お互いに、日本語が話せない、英語が話せないで、困っていました。 ガイドの仕事を既に始めていた私は、困った顔をしていた高校生に話しかけました。 それがきっかけで、PatとTedと知り合えました。 私達は日本語が全く分からないから、何かあったら、助けてね!と、言ってきたPat。お互いの電話番号を交換しました。 そして、1週間後に電話がかかってきて、ホームパーティのお誘いを受けました。 それからは、日本人の人をホームスティに受け入れる度に、 私達も招かれて、一緒にディナーを取るようになりました。 クリスマスは、ずっと一緒に祝ってきました。 いつも、家族の一員として、色々な催しに招いてくれました。 本当に、本当に、色々な事を教えてくれて、色々な事を私達のためにしてくれたPat。 きっと、Patに出会わなかったら、こんなにオーストラリアを好きではなかったと思う、、、 それ位に、私達のオーストラリアは、Patに支えられていたんです。 Tedが急に逝ってからは、元気がなくなったけれど、 少しずつ元気を取り戻し、そして、翌年、一緒に日本の旅行に出かけました。 3週間の旅行でした。 私は、Patが行きたい所を案内しました。 Patの孫を連れて、3人で回った日本。 Patが行きたかったのは、今までホームスティをしていた女の子達に会える場所。 だから、四国から、大阪、岡山、名古屋、東京、、、と、回りました。 Patの家にスティしていた人達は、一度だけではなく、何度もスティをしていました。 だから、家族ぐるみでお付き合いをしていたファミリーもいます。 私自身も、Patを通して、色々な日本人の人と知り合えました。 今朝も、日本から、お葬式に参列するために、シドニーに来た人がいます。 私が連絡を入れた、翌日にチケットを手配し、すぐに飛んで来てくれました。 色々な思い出が、グルグル回って、涙が止まりません。 明日、1時からお葬式です。 Macquarie Park Cemetery and Crematorium Corner Delhi and Plassey Roads North Ryde NSW 2113 天使のような人だったPatが、本当に天使になったのだと思います。 Patを知っている人も、ここのブログを見てくれている事と思い、ここに書きました。 今晩Patの長女ジェーン、次女アマンダをはじめ、他の家族も全員集まり 皆でDee Whyビーチで集まります。 Patの冥福を祈ります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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