2022/06/12(日)05:39
あきない世傳 金と銀 1〜3・高田郁
☆あきない世傳金と銀(1)源流篇・高田郁
・角川春樹事務所
・2016年2月18日第1刷発行
♣︎幸
摂津津門村に生まれ。兄・雅由、妹・結と共に育つ。享保期に学者の子として生を受けた幸。齢九つで大阪の天満にある呉服商に奉公に出された。女衆でありながら番頭・治兵衛に才を認められ、徐々に商いに心を惹かれてゆく。
♣︎重辰=父
♣︎房=母
♣︎雅由=兄。享年18歳で病没
♣︎結=妹
♣︎彦太郎
地元の豪農。凌雲堂の建物の持ち主。
♣︎治兵衛
五鈴屋の番頭。「五鈴屋の要石と称される知恵者。幸の商才ををいち早く見抜き、商いについて教える。
♣︎富久(ふく)
五鈴屋先代の母親。2代目徳兵衛に嫁ぐ。息子である3代目徳兵衛の病没後は、3人の孫と店を守ってきた。
♣︎4代目徳兵衛
富久の初孫で長男。
♣︎惣次
次男。商才に富む。
♣︎智蔵
末弟。浄瑠璃を書いているのを次男の惣次に見つかり、大げんかの末に家を出る。
享保12年(1732年)雅由18歳、幸8歳、結5歳。享保の大飢饉。稲虫の大群に食い尽くされた。飢饉の後、兄雅由が18歳で病没。諸国で流行した風邪に罹患した重辰も10日足らずで死んだ。房と結は住み込みの下女となり、幸は縁あって大阪天満の呉服商「五鈴屋(いすずや)」の女衆(おなごし)として奉公に行くことになった。幸、9歳。五鈴屋では「さち」と呼ばれることになった。
五鈴屋は伊勢出身の初代が「古手」と呼ばれる古着を天秤棒で担いで商いを始め、念願かなって大阪天満の裏店に暖簾を掲げたのを創業とする。幸が奉公に上がった時、4代目徳兵衛は20歳。
享保14年(1734年)元日。「今年はなるべく笑って過ごそう。笑顔になって福を引き寄せよう」10歳になった幸は、台所の片隅でそんな抱負を抱いた。知恵を身につけたいという幸に、幸の賢さを見抜いていた番頭の治兵衛は、誰からも咎められることなく幸が学べるように影で心配りをしてくれた。
4代目徳兵衛に、大店の呉服屋「紅屋」から菊栄という嫁が来たが、徳兵衛の廓通いは止まない。
絵草紙をを書いていたのを次男の惣次に見つかり、大げんかの末、三男の智蔵が家を出て一年たち、幸は13歳になり美しい娘になっていた。「来年あたり薮入りで帰れるようにしてあげまひょなあ」と、優しい言葉をかけてくれた菊栄が「色恋なしの子作りだけ、というのもしんどいもんだす。ややこ産めたら胸張っていられるのやけど・・・」と幸に話した。相手が幸だからこそ洩らせた本音のように思われた。徳兵衛の廓通いが紅屋の耳に届き、徳兵衛と菊栄の離縁が正式に決まった。そうなると結納金の35両は返さなければならない。五鈴屋にそれだけの金は無かった。
「何処ぞに、徳兵衛の手綱をしっかりと握り、商いにも知恵を貸せるような、この五鈴屋の暖簾を守り、商いを広げてくれるような、そんな娘はいてへんやろか」
思案にくれた治兵衛の目に、蔵の影で火鉢の灰を篩う幸の姿がとまった。耳に、先ほどの富久の台詞が蘇る。五鈴屋の番頭は、訝しげに振り向いたその幸の顔を、ただじっと見つめていた。
☆あきない世傳 金と銀(2)早瀬篇・高田郁
・角川春樹事務所
・2016年8月18日第1刷発行
元文3年(1738年)元日
菊栄を離縁したために敷金の35両を紅屋へ返さなければならない。やっと返し終わった途端、また徳兵衛の廓通いが再開した。幸を徳兵衛の後添いにという話が、本人の知らぬところで外堀を埋めるように纏まった。幸が1番の味方だと思っていた番頭の治兵衛は、卒中で倒れ、別家となり五鈴屋を出て行ってしまった。
治兵衛は幸に、この縁組が流れる術を教えた上で、「幸、五鈴屋の嫁になんなはれ。幸は運命に翻弄される弱い女子とは違う。どないな運命でも切り拓いて勝ち進んでいく女子だす。女衆で終わったらあかんのや。幸は知恵を武器にして、商いの道を切り開いてゆく戦国武将になれる女子だすよってな」
治兵衛の言葉は太い矢となり幸の心の的を射抜いた。鍋の底を磨いて過ごす一生を、打ち消すつもりは決して無い。ただせっかく与えられた一生を、それのみで終えたくない、というのはまさに幸の真の望みだった。幸はとうに己の本心に気付いていた。自らの不運を嘆くより、自らの願望を叶えたい、という気持ちの方が勝った。
呉服商の仲間から、幸がご寮さんに相応しい人物かどうか厳しい試問を受ければならない。その席で皆が認めて初めて、嫁として扱かってもらえるのだという。
幸14歳。その日、松葉色の紬に鬱金染めの帯を結んだ幸は、なんとも不思議な美しさを湛えていた。雨上がりの竹林のような静謐さだった。富久は、「呉服のことを聞かれても、わからんことは、わからんと答えたらよろし。堂々としてなはれ」としか言わなかった。布地に関する質問が次々と出されるもの、知識がない幸には答えようがなかった。集まった人々の口からくっくっという忍び笑いが重なって漏れた。明らかな嘲笑が座敷に漣の如く広がってゆく。
幸は背筋を伸ばし、今、己に出来ることは何か。己を知ってもらうにはどうすれば良いか考えた。「金蘭、繻子、緞子、彩綾、縮緬、綸子、羽二重・・・」幸のよく澄んだ声で、ひとつ、ひとつの言葉が丁寧に発せられる。幸は、商人にとって一番大切な心得を書いた「商売往来」の中の、絹布の項から順に、ゆっくり諳んじてゆく。最後に「よって件の如し」で締めくくり、懇ろに頭を下げた。一行一句間違えることなく暗唱するのを認めて、人々は固唾を呑み込んだ。嘲笑していた店主らの間に動揺が走り、部屋の雰囲気が一変した。その日、幸は呉服商仲間から認められ、新たな道に立つことを許されたのだった。
弥生(4月)25日
瑠璃紺にに光琳波の晴れ着、白藍の帯、白の半襟姿は、その日の幸を気品に満ちた娘へと変身させていた。
形ばかりの祝言が済んだあと、徳兵衛の「私は色好みですけどなあ、子どもを手篭めにするような真似、せえしまへんよってに」という言葉に、幸は救われた。治兵衛の「先ずは知識を身につけなはれ。知恵は知識という蓄えがあってこそ絞り出せるんや。盛大に知識を身につけなはれ」という、番頭の言葉を一つ一つ胸に刻んた。富久に連れられて仕立物師のところへ、また次男の惣次に連れられ得意先へ行ったりしているうちに、幸は一つ一つ懸命に学んで行った。惣次は「私は商いが好きや、どないしたら買うてもらえるかあれこれ工夫するのが好きなんや。せやさかい、商いに本気出さん奴が嫌いや」という惣次に、幸は店で見せるのとは別の姿を見出した。「知識を得て知恵を得たい。そして五鈴屋の役に立ちたい」という幸のひたむきさに触れ、惣次の中で何かが変わりつつあった。
惣次に、大阪一の呉服商であり、両替商も兼ねる伏見屋から婿養子の話が来た。何故自分では無いのかと嫉妬に狂い家を出た徳兵衛はその夜帰らず、翌朝、戸板に乗せられて運ばれてきた。酔って堤から足を滑らせ、石垣の下に転げ落ちたのだという。医者の見立て通り徳兵衛は3日後に呆気なく死んだ。
広縁に並び月を見上げる、富久と惣次と幸。「惣次、お前はんに店を継いでもらうしか、もう道はないと板敷に額を擦り付けて、縮こまって頼み込む富久に、惣次は「私の言う条件を呑んで頂けたなら、五鈴屋を継がして頂きますよって」と答えた。富久にその条件を問われた惣次は、傍らの幸に視線をなげた。「幸を、私の嫁に迎えることだす」驚きのあまり、幸は肩を引き思わず板張りに手をついて身体を支えた。呆気に取られている富久に惣次は重ねて告げる。「呉服屋仲間に認めてもらい、町内にも祝儀袋を支払うて、五鈴屋のご寮さんとして正式に迎える。それが私のただ一つの条件だす」
☆あきない世傳 金と銀(3)奔流編・高田郁
・角川春樹事務、
・2017年2月18日 第1刷発行
婚礼も滞りなく終わった翌朝、惣次は居住まいを正し、女房の顔を覗き込んで口を開いた。「十三夜の夜に話した通り、私は五鈴屋をこの国一の呉服商に仕立て上げようと思う」と言い、自分の思い描いている計画を話した。最後に「先ずは五鈴屋を内側から変える。そのためにも、あんたの力を貸してほしい」夫の心からの願いに、幸はしっかりと頷いた。5年で江戸に出店する、という夫の目標を共に背負う覚悟は自ずと決まった。
惣次の働きで五鈴屋の商いは順調だったし、奉公人に手を上げることも無くなったが、厳しい仕打ちは変わらず、富久の嘆きは消えなかった。「奉公人を温こうに見守り育てるのが店主の手腕なのに、なんで惣次は皆を攻め立てるようなな真似をするのやろか」という富久の言葉に、幸は自分の思いを伝え惣次を庇った。また、奉公人との間にもたち、気配りも忘れなかった。
浮世草子の空いたスペースに五鈴屋の、今で言う広告を入れてもらうこと、番傘に切り貼りで五つの鈴を入れることなど、幸のアイデアは次々と当たり評判になった。最初のうちこそ「何かとぶつかる富久や奉公人との間にたってくれたこと、得難い女子を嫁にできたともようわかってる」と打ち明けていた惣次だったが、いつしか彼の中に妻の商才に対しての嫉妬心が積もっていたのだった。
事件が起きた。「惣次には徳がない。このままでは、あの子の商いはそのうち、行き詰まりますやろ」と、富久が常々案じていたことが、現実のこととなったのだ。両替商が潰れ、惣次からその手形をつかまされた江州波村の人々が押しかけて来たのだ。落ち着き払って応対する惣次に向かい、波村の庄屋、仁左衛門は言い放った。「あんたは店主の器やない。私の知る大阪商人は、もっと実がありますよってにな。こんな汚い手ぇ使う相手と組んでいけるほど、私らは不実と違う」番頭の鉄介は平伏し、足元にすがり、懇願する。
仁左衛門は自分に手を貸して支えている幸に目を向けて「あんたなら、どないする?」といった。
畳に手を突き、懸命に考えた幸の口をついて出たのは、心からのお詫びの言葉だった。一切の言い訳をせず、番頭はじめ、手代ら同じように額を畳に擦り付けた。そのあと、幸は以前から考えていた、縮緬の産地にしてはどうかという提案をした。「波村を縮緬の産地に仕立て上げる。そうなるまで、五鈴屋で支援をさせて頂きたく存じます」と、深々と頭を下げたのだった。五鈴屋との取引は・・・と、問う番頭に、仁左衛門は言った。「五鈴屋の店主がこの男でいる限りはお断りや。ただし、このご寮さんは、まこと店主の器。このお方が主なら話は別や。ほいたら、これから波村は波村自身のため、それに五鈴屋のために、なんとしても縮緬を生み出して見せますぜ」
「お前らの好きにしたらええ」
底知れぬ失望を滲ませ出ていく惣次の後を、幸は懸命に追いかけた。