つなげ“希”動力-袖番号96、伊東勉のページ楽天版(更新停止。書庫ログ)

2011/04/24(日)07:45

39枚目-1 岩手に『フリエの翼』の援軍が。~グルージャ盛岡と横浜FCが見せたもの。(前編)

その他スポーツ(59)

 この記事を書いていた時、ニュースで仙台-川崎の試合が放送されていた。結果は分厚い攻撃陣を持つ川崎に先制ゴールは許すものの、仙台が終了直前に逆転勝利。魂込めた試合というのは、あの試合の事も言うのでしょう。  一生懸命生きる人は好きですよ。  どんなに辛い状況になってもあきらめんな、と。  そういうのを見せ続けることが、やがて心に届くはずだ。  スポーツ選手の奮闘に期待します。 『やめないよ』と頑張る選手がいます。  “キング・カズ”こと、三浦知良さん。  3月に行われたチャリティーマッチでのゴール。  今更私が語るまでもなく、すごいゴールでした。  その三浦さん…カズさん、と呼んだ方がいいのでしょうか。  カズさんが所属する横浜FCが、岩手にやってきました。  震災直後。  横浜FCの岸野靖之監督のコメントにありがたい言葉が入っていた。  『実際に僕らが練習するっていうのもいかがなものか、とは考えたけど、これからみんなでバスに乗って復旧の手助けができるかと言えば、難しい。ただ、もちろん、そういうことになったら、みんなでどこにでも行こうや、という話はした。』  [横浜FC]「凄く悩んだ」末に練習を行うことを決断 ? サッカー専門新聞 エル・ゴラッソ web版 BLOGOLA  実際考えれば、横浜FCは横浜をホームとするプロチーム。  サッカーを通じて、世の中に、という団体だ。  プロサッカーチームとしてどうするか、という部分で話をされていた岸野さんが、それでも『みんなでどこにでも』と言ってくれたことが心強かった。  大船渡高校出身の小笠原満男さん。  鹿島アントラーズの選手だ。  震災が起きてから1週間経つか、という時に、彼は大船渡、高田に入った。  周辺からは反対の声もあったようだが、彼は“行動”を選んだ。  そして、見てきたものを、チャリティーマッチで集まったメンバーに語った、という。寡黙、と思っていた小笠原さんが、何とかしなきゃ、と感情も露わに動いていた。その様子はカズさんにも伝わっていたのでしょう。  かつて大船渡出身の中田洋介さんが在籍し、グルージャのスタッフとつながりがあったという話も聞きまして…余震による延期こそありましたが、果たして横浜FCは、岩手にやってくることになりました. その日。  盛岡へ行く用事も兼ねて、県営運動公園競技場に。  グルージャとの練習試合の試合開始は3時からでしたが、その日は北上の用事もあり、出発は午後1時に。試合開始には間に合わないと判断し、後半から見られれば、というつもりで行動していました。  そして…運動公園に。  熱い空気がビリビリと。  遠く離れた駐車場から、その熱さを感じていました。  西側のスタンドに入りまして…熱い思いを持って集まってきた人、13500。  この写真を撮ったときはまだハーフタイム中。  トイレや商店には長蛇の列ができていました。  この観客…いや、この日に関しては『同志』と呼ぼうか。  同志の方がスタンドに戻ってくるのを待って、2本目の試合が始まった。  両チームの選手が出てきた。    青いユニフォームにキャプテンマークは…  カズだった。  正確にはカズさんと言わなきゃ…ですね。  前日の草津との試合でも相当長い間試合に出ているはず。  そのカズさんが、この試合にも出ていた。  ピッチに立っているのは、他に21人いたはずだが、生き方に感銘受けているその本人を、この目ではじめて見る。その興奮は隠しきれなかった。  後半開始の笛が鳴った。  岩手最強グルージャ盛岡と、横浜FCとのぶつかり合いが  再び始まった。  後篇はこちらからご覧いただきます。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る