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2014年09月15日
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カテゴリ:私の事、色々と

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 今回の関東行き、もうひとつのテーマは「旭市」行き。
 東日本大震災で、東北地域以外で一番の被害を受けた街。
 その様子を見ていきたいと思い、所沢から電車とバスで約2時間半(途中の寄り道は除く)かけて旭市に向かいました。なお、旭市のHP、あるいは旭市紹介ガイドをごらんいただければと思います。

 土曜日の野球があまりにも遅く終わったため、日曜日はまず午前中を休養に当て、午後からゆっくりと千葉に移動を開始しました。前項で(途中の寄り道は除く)と書きましたが、寄り道の方が圧倒的に多かったという本末転倒繰り返し、成田までたどり着いたときにはもう暗くなっていたので成田で一泊。明朝旭市に向かいました。

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 翌日昼前。バスを降りた地は旭市の商業街。ここで飯を食べたり本を買ったりした後で、沿岸地に向かいました。とりあえず着いたのは矢指ヶ浦海水浴場。岩手では海水浴場が軒並み壊滅してしまっているため、久しぶりに海水浴場を見ることになりました。

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 すでに涼しくなり始めた気候ですが、サーフインをしに来た若者たちがちらほらと。一方で漁業関係かな、という方もいました。高田松原海岸も、吉浜海岸も事実上海水浴場としての機能を失い、海岸を忘れかけていた人間としては何か懐かしい光景としてこの海岸をしばし見ていました。

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 しかし津波はこの地も襲い、この海岸の近くの足川地区、中谷里地区、仁玉地区やハ(イロハニ…のハ)地区も「家の床まで海水に浸かった」「九十九里ピーチラインの海岸側はもっとひどかった」という話を聞きました。「私らも酷かったけど、飯岡地区がもっと酷かったようだ」という話を聞き、市北東部にある飯岡地区に向かうことにしました。

 途中、飯岡グラウンドに見慣れぬ建物が。

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 これが緊急避難タワー、ということです。もう少し先にある飯岡海水浴場脇の建物にも似たような設備がありました。

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 階段が幅広く作られています。そして、海岸近くには、この地域のライオンズクラブが作った追悼碑が立てられていました。

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 さらに近くにある山中食品前には以下の石碑が。

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 この後に飯岡支所に行き、震災に関わる資料をいくつか戴いてきました。(今貸しているので写真なし)対応していただいた職員の皆様、ありがとうございます。

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 さて、旭市は観光も産業も海に関わるものが多く、漁港の脇を通り、飯岡灯台に向かいました。もちろん、写真右側から上ることはしませんでしたが、登るのにかんなり苦労しました。上り坂キツイ。

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 で、登った先にはこういう建物がありました。

 もちろん灯台もありますよ。

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 YOUTUBEで夕方5時からの1時間を捕らえた映像があると思いますが、それはこの近辺から撮られたものと思います。その現在地は今このようになっていまして。

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 津波が東北地域を襲ったのは3時半頃から4時。

 旭市に津波が襲来したのは4時頃。しかしこの第1波で「大丈夫だ」と判断してしまい、5時過ぎに襲った第2波の犠牲になった人が多かった、という話を聞きました。第2波の恐ろしさは、どこでも、ですね。ここまで見た所で帰りのバスの都合もあり、旭市を辞することとなりましたが、次はもう少しゆっくり堪能できるようにしたいところです。


 あまりにも酷すぎた故郷大船渡・陸前高田から見れば、数字上は“少ない”のかもしれません。しかし、あの日に襲った津波で身近な人がなくなり、見慣れた街が壊され、生きていく基となる街に大きなダメージを負った―そういうのは、ここ旭市もそうですし、犠牲者名簿を見てみたら茨城、千葉などいくつかの街にも見られました。地震列島といわれる日本、油断している場所などはありません。

 

 

 旭市で犠牲になられた方々にお悔やみを申し上げ

 

 この街が住む人にとって「良い街」であり、それを造り続けられるように願い

 

 拙稿を閉じさせていただきます。

 

 旭市で会った皆様、ありがとうございました。







最終更新日  2014年09月16日 00時36分14秒
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