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2016/10/07(金)16:55

9月3日 西武第三球場跡&西武山口線探索記。

私の事、色々と(223)

しばし時間開きました。「9月遠征日記」、第3部は「西武山口線&西武第三球場跡地」をお伝えします。  クラブ野球選手権。オール江刺と大和高田の試合を見学したあと、第2(ビッグ開発-ゴールデンゴールズ)、第3試合(全足利-ゴールデンリバース)は部分観戦。1日ずったり観戦するのがしんどい事情もありましたが、もうひとつ目的がありました。  「西武第三球場(跡)見に行こう」と。  埼玉西武ライオンズの本拠地西武ドームには、同じ敷地にファームの試合会場の西武第二球場がありますが、一昔前は更に「第三球場」まであった時代もありました。西武系列のプリンスホテル野球部の練習場として作られましたが、実際はライオンズの練習場の一つに。2003年に廃止になり、現在は駐車場&人工芝サッカー場になっています。ウェブを見ても意外と触れている方は多くはありません。  「よっしゃ、行ってみるべ」  と、てこてこウォーキング兼ねて歩きに行きました。その途中に西武球場駅を通過。西武球場駅は二年前にも世話になりましたからよくわかりますが、ひとつ気になったのが「山口線というの見たことないな」と。球場に来る西武狭山線のホームからは分岐点見えないな…思ったら、少し小高いところにホームが、更に驚いたのはレールがないことでした。一見大船渡線で見るBRTか、と思いましたが、それとも少し違ってまして。専門用語でいえば「案内軌条式鉄道」。レールと鉄輪ではなく、地面は舗装道路にタイヤ。ただし、両脇に案内軌道がある…でわかりますかね。この説明でわからない場合は「西武山口線」か「案内軌条式鉄道」で検索してみてください。  丁度電車が入ってきたのでその実働を見届け、第三球場に向けて歩きます。  5分くらい歩いて、駐車場のチェックポイントらしきものがみえます。この奥が元の西武第三球場です。  事前に見た西武球場HPでは「サッカー場になっています」という扱いですが、思った以上に野球場としての痕跡は残っていました。  各塁側ベンチはその外形が残っていて、三塁側には自動販売機が稼働していました。写真は一塁側ベンチ前から見た三塁線通りと右中間方面。  バックネットも含めた全景。広告の記載もありました。三塁側には屋内施設もありますが、ここはテニス場となっていて、暑い中ポンポン打ち合っていました(さすがにその光景は撮れません)。ボールがいくつか飛んできていたので勝手に球拾い。いつになっても球拾い(笑)  センターフェンス(ホームベースから大体110メートル)から本塁側を眺めた図。さっき山口線の電車動くところの写真を出しましたが、球場のライト側フェンスから一塁側外径をぐるっと回るように走っていったのですね。これには軽く驚きました。ファールボールが当たらないようネットも張られていました。  そのフェンス際にあるスコアボード跡です。釘が残っている様子からそこに得点盤を引っかけるスタイルでしょうか?各種資料で第二球場を見ると、プロ野球チームが使う球場の中では「質素」な作りになっているな、と見ていますが、第三球場は更に上いくな、と思いながら見ていました。  ライトフェンスから球場全景、更に西武ドームを眺めた図です。  かつてライオンズは、多くの練習生を保有し、その中から伊東勤さんや秋山幸二さんといった一線級の選手を生み出しました。選手保有のルールも変わり、ドラフト前に球団職員・練習生として「囲い込む」手法は91年のやり投げ出身の日月(たちもり)哲二、両投げの小久保浩樹、交通事故さえなければ…の蒲谷和茂各選手を最後にとれなくなりました。  主に練習場として使われた第三球場から、カクテル光線浴びる西武球場を目指した光景はこういうものだったのかな、と思いながらしばしライトポールにおっかかって日向ぼっこをしていました。  さて、足利とリバースの様子も見ておきたいし、矢場とんブースターズと山口防府の試合はフル観戦―と球場に戻ったら、食らいつきを見せていたリバース投手陣が足利打線の攻勢を食らっていました。  「俺、疫病神ちゃうか…」  高校野球選手権で着目チーム18連敗の悪夢思い出し、ゴールデンリバースメンバーに心中で詫びながら野球場に戻りました。 ◇おまけ  ここまで西武第三球場の様子を記してきましたが…ある時期まではクラブ選手権の開催を西武球場と西武第三球場で行ってきました。  1976年に始まったクラブ選手権。当初は神宮球場、他に後楽園、横浜スタジアム、電電千葉各野球場を利用していた中で西武球場を使用し始めたのが1979年。参加チーム数の増加や試合消化の必要性から1987年から1995年の大会は第三球場も使用しての開催に。岩手勢も95年の釜石野球団をはじめ第三球場での試合を経験しています。(現在調査中)  今回の記事がそのときの思い出を何ぼかでもかきたてられるものになったなら幸いです。

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