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2017年06月29日
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カテゴリ:私の事、色々と
 埼玉西武ライオンズの森慎二コーチがなくなられました。現役時代は右オーバースローからの豪速球でリリーフ投手として活躍。更なる飛躍を求めたMLB挑戦で大ケガをし復帰目指しましたが引退。指導者として研鑽積むなかでの無念の早世でした。心よりお悔やみを申し上げます。

 野球界でとてもショックなニュースとなったライオンズ・森慎二コーチの急逝。森さんは近年代であると同時に、負ったケガの部位が同じ、ということもあり、別な所では数少ない直に見たNPB選手ということで頻度多く意識する方でした。

 森さんは社会人野球を経て97年にライオンズ入団。強いボールを武器に台頭し、中継ぎ投手のタイトルも獲得するなど活躍を見せていました。

 2002年。早起き野球に参加していた私は、ある試合中に返球した際に右肩に激しい痛みを感じました。比較的苦手な外野を守り、守備に気をとられるあまり打撃も不調。リーグ戦で58打数4安打(打率.068)。何とか払拭したいと思っての強い返球が裏目に出ました。ろくに医者にかかれなかったこともあり、今に至るまで引きずる右肩の痛みを覚えることに。以来右でまともに投げることはできなくなりました。
 私は高校を卒業して以来、草野球レベルまで含めてプレーヤーをしたのは96年の町内野球、02年の早起き野球、02、04年の大船渡市民大会のみ。自他ともに認める野球好きではありますが、肝心の肩を痛めてはプレーのしようもありません。09年の心筋梗塞が止めになり、草野球レベル含めてプレーヤーとしての道は閉ざされましたが、それでも早めの内から左投げの練習を始め、せめて練習には加われるようにと行動していました。

 そんな中であるシーンに強いショックを覚えました。

 MLBに進出していた森さんが、オープン戦で肩を…文字通り壊してしまいました。あれだけの強いボールを投げるには、相応の強靭さとパワーが必要。テレビニュースに流れたそのときのシーンは忘れられません。私自身も肩をやってしまったけど、それよりはるかに重いダメージを。森さんの全治期間は年単位のものとなり、MLBのマウンドに立てないまま日本に帰ってきました。 

 時が過ぎ、2011年「3・11」東日本大震災が発生。 
 津波と原発事故で負ったダメージを救援しようと様々なイベントが行われていました。

 それは野球界でも。



 11年の9月にBCリーグ選抜チームと、福島市社会人野球選抜(福島硬友中心とした福島市地域チーム)のチャリティーゲームが福島県営あづま球場で行われました。この時BC選抜には桑田真澄さんや仁志敏久さんらNPBのOBが数人加わっていました。当時BCリーグチームに所属していた森さんの姿も。どうしても肩を痛めたシーンが頭にあるから登板まではどうなのか…と思っていた試合後半に当番。全盛期さながらのダイナミックなフォームで打者と対峙しました(尚、写真の写り具合がよくないのはご勘弁してください)。

 

 
 トッププロの舞台復帰を模索していた森さんでしたが、負傷箇所も、年齢的にも厳しく、やがて指導者の道を歩みます。そしてライオンズに復帰。
 この間、左投げを模索していた私ですが、雪道を転倒し、受け身とった際に左肩を強打、左投げも中断する事態に。余分な医療費もかけられないので、何とかストレッチを中心に痛みと可動域を取り戻そうと取り組み、右投げの復活を目指しました。
 右投げの復帰をめざす『理由』『キッカケ』は様々ありますが、その中には森さんの数年がかりの登板を目の当たりにした、ということも頭にあります。ホントならきちんと医者にかかった方がいいのでしょうが…持病だけで万に届く医療費抱えていたのでそれができません。それでも強く意識してリハビリした結果、十数年抱えていた痛みが軽くなり。もちろん十数年ろくにボール投げていないから、慎重に進めていかないといけないのはその通りですが、道筋は見えても来ました。

 同時に思うのですよ。 

 当たり前に思っていた「ボールを投げる」という行為が、実は大変なものでもあったこと。 
 一旦思いきりぶっ壊れて、トッププロには戻れなくても、マウンドには戻ってきた森さんの凄さを感じた所に…「森コーチ休養」の報。そして、今朝(29日)の岩手日報には驚き通り越して唖然としかしませんでした。 

 訃報の記事。 

 いくらなんでも急すぎる。 

 42歳…学年で言えば一歳違い。急激に進んだ逝去に唖然とするしかありません。持ち前の剛球を活かした全盛期から一転、絶望的な大ケガ、しかしそこからマウンドに戻ってきた野球人生。ファンではなかったけど、動向には注目をしていました。それだけに早世は残念としか言葉がありません。

 何日か前にした壁当て。数年ぶりの右投げ。ボールを投げるには鈍さも、しんどさもありました。 

 それを乗り越えてきた投手がたしかにいた。 

 多くの野球に関わる方に、その剛球のごとく強い生きざまを見せてくれた姿は忘れません。

 森慎二さん。 
 無念とは思いますが、いまはただ、心身を休めてください。ありがとうございました。

《編集後記的に》
 …森さんの記事について。 
 ちょうど今、私自身が右肩のリハビリやっていたもので、それと重ねての記述をしました。全治が年単位のケガをして、うん年かかって、マウンドには戻ってきたわけだから、それだけでもすごいと思うしその経験を活かした指導者に…と願っていました。本当に残念です。 





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最終更新日  2017年07月01日 00時56分38秒
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