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つなげ“希”動力-袖番号96、伊東勉のページ楽天版(更新停止。書庫ログ)

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私の事、色々と

2015年03月07日
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カテゴリ:私の事、色々と
 12年に8人(高田市議及川一郎、大農同期村上敦史、同古澤輝子、大農先輩熊谷永一、大農後輩上舘洋文、高田ク金野潤也、ローソン気仙町店清水昌広、美香兄妹・敬称略)の追悼記事を書きましたが、以降続編を書く機会を作れないできました。今日は高校の野球部関係で知り合った3人についてお話しします。

 気仙地区の中学出身91年入学生で高校野球に飛び込んだ同期生は約100人。今日に至るまでに2人なくなっていますが、その内の一人は「3・11」に。高田町出身、大船渡高に在籍していた及川充君でした。
 充君は外野手でもありましたが、同時にスコアラーでも。当時は甲子園で女子マネをベンチに入れることができず、県大会レベルでもそうは多くなかった気がします。なのでベンチにスコアラー兼任で選手を一人入れるチームも。充君と話する機会できたのはそこからだった気が。後に大高の充君、船工のT君に「(大農の私と合わせて)スコアラートリオだな」なんて各々に話していたのを覚えています。
 万年補欠の伊東に、成長期が遅れたT君は試合出場に恵まれませんでしたが、充君は一時期名門校大高の背番号9を背負います。しかし最後の夏はレギュラー奪えずスコアラーに。その後高校野球を終えてからは没交渉になってしまい、風の噂で高田の実家を継ぎ、道の駅高田松原でも店出して頑張っていた様子を聞いていましたが、なかなかそこに通うこともできずにいました(なにぶん貧乏人にはしんどい)。

 大震災後はじめて大船渡に入った3泊4日間。その最後の日に寄った知人からひとつの知らせがありました。
 「明日、充の火葬が遠野であるってよ…」
 充君は残念ながら、津波の犠牲になっていました。自らも消防団でもあり、更に客逃がさにゃという責任、持ったんだろな…。聞けば家族も多数犠牲になってしまったと。家業は高田駅前の食堂。高校時代、盛駅で馬鹿話することもあった充君との大人になってから再会はなりませんでした。あれから4年、高校野球経験者の夭逝はありません。土産話は沢山持っていきます。そちらから高田を、野球仲間を見守ってください。

 大船渡農高野球部関連では88年~07年入学生約200人の内では3人が犠牲に。その内の一人・上舘洋文君に関しては12年に記述。今回は残る2人について記します。
 陸前高田で被災した小淵圭也君は95年入学。小柄ながら機敏な動きで入学早々レギュラーに。野球部未経験者も多い大農野球部で、中学からの経験を持つ小淵君の経験は貴重なものでしたが、強気のプレーがややもするとマイナスにも作用し、3年次の夏の大会では途中からの出場に。それでも三年間やりきった経験を元に社会に巣立ちました。
 “3・11”から数日後。新聞に小淵君の名が出ていたことに、ショックの前に軽い驚きを覚えていました。
 「高田に戻ってきていたのか…」
 それより、後に岩手日報「忘れない」で記述されていた彼の記述は少なかったな、と。そっちの方がある意味でショックでした。社会に出てから、どう生きてきたんだ―それを知ることなく彼はいなくなってしまいました。同期の中にはふるさとを離れざるを得ない人も。それでもまだ生を得ているだけマシなのでしょうか。どう成長し、生きてきたのかを語り合いたかった。そういう意味で残念です。

 最後に。88年以降入学の大農野球部員でもう一人の“犠牲者”、出羽友和君を紹介しますが、彼は正確には「行方不明者」。もうじき4年になろうとしていますが、残念ながらまだ帰ってきていません。弟さんには会う機会あるので時々聞いていますが…。
 友和君は私と入れ替わりに大農に入学。存続すら危ぶまれた大農野球部最悪の状況下、更にエースが肩痛を起こしてしまいました。そのときマウンドを預かったのは友和君。夏の大会はそのまま彼がエースナンバーをつけることになりました。そして、迎えたはじめての夏。
 練習試合で幾度も20点、30点近くの大差をつけられて負け続け、火がついた大農ナイン。実力は相手(水沢一)が上でしたが、途中までは競った戦いを演じていました。しかし、投手経験の少なさがひとつの事態を起こします。

 四人の審判が揃って「ボーク!」

 …これが4回。高校野球は分かりませんが、プロ野球では一試合4ボークが最多。
 当時の大農野球部の顧問は野球に精通している方でなく、指導が届きませんでした。その結果の4ボーク。辛い役目押っつけてしまったな思いました。しかし、長身に恵まれた彼はその後も大農のマウンドを守り、野球センスに優れた後輩も入ってくる中、背番号1は守り抜き、上舘君と共にチームを支え、後輩たちの礎となりました。その後、地元に就職した友和君。約10歳年の離れた弟さんとは一緒に野球をやっていることもあり、縁を感じたものでした。

 3・11後1ヶ月。喧騒に包まれていた大船渡市役所にも足を運んでいた私は、そこで幾人も行方不明者の存在を知ることになります。よりによって大農の後輩の2人も―上舘、友和両君とも―。上舘君はその後間もなく帰ってきましたが、友和君は…まだです。

 今日紹介した三人は、野球が紡いだ付き合いです。各々に人生あった所を、こういう形で止められて…近日中には4年になります。充君、小淵君。俺はまだ野球続けているぞ。友和君、早く帰ってこいよ。いずれそっち行ったら、また野球やろうな。それまでは頑張って生きるわ。
 同じ白球握った者として恥じないように生き抜いて参ります。三人とも、どっかで見守ってけでな。それを締めとして、この項を終わります。






最終更新日  2016年02月27日 21時54分04秒
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2015年03月01日
カテゴリ:私の事、色々と
 今日は。日曜の昼位かがお過ごしですか。私は今陸前高田に来ています。陸前高田、ただいま雨降り。湿気入り交じった寒さを感じています。ツイートお付き合いよろしくお願いします。

―高田で行われた「震災4年、復興のつどい」に参加。そのあと友人宅に寄り帰ろうと思ったらアクシデント発生!―

 ひとつご報告あります。
 車の故障を発生させてしまい、ただいま遠野市に宿泊しています。知人が車交代時にやたら故障して大変だった話をしていましたが、まさか同じ経験をするとは(驚)。ま、運良く鉄道沿線までたどり着いて、運良く最終列車が残っていたのが何より。車中泊したら死ぬわ。ごねられましたかね。車に。

 まあほんでも、手段はあったから良かった。更に言うと、今夜食食べに行った所の店員さんいわく「部屋が空いてないことも多い。お客さん幸運でしたよ」と。 何日か前にあんな際どい小説(心筋梗塞“if”)書かなきゃ良かった(笑)

◇今日は陸前高田で行われた「東日本大震災4年のつどいinりくぜんたかた」に参加。被災地現地で復興に取り組む方々の発言を聞いてきました。本来ならその様子を書ければ良かったのですが、車の故障で厳しい天候状況の中対応したのでバテました。 それでも先に書いた通り、幸運も重なり「最悪」を生み出す状況だけは回避しました。
 まさかあんな急転直下で故障起こすとは思わなかったので…今まで二台は車入手したはいいけど、冬・沿岸地域の対応ができなかった―下部塗装による塩害対応―のが車の寿命縮めたかなと。
《伊東車遍歴》
1→96.10~00.6 ワゴンR/新古
2→00.7~04.6 アルト/新
3→04.7~09.7 ワゴンR/新
4→09.7~12.5 ムーヴ/中古
5→12.6~15.3 ハイゼット/中古

 今回はその部分の対応もできそうなので、次の車は“四代目”“五代目”よりは持たせられるかな、と思っています。その意味でも一年前に借金解消したのは大きいです。次ツイートで今までの車の履歴を書きますが、1日分のツイートとしてはここまでにします。今日もありがとうございました。






最終更新日  2016年02月27日 22時04分05秒
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2015年02月26日
カテゴリ:私の事、色々と
 今晩は。岩手内陸部、雨降ってきました。そして急遽ですが、車検の結果が思わしくなく、様々な要因考えると買い換えも…というのを考慮する事態になりました。今日できることはすべて終わったので、以後は休んでいます。ツイートはここから。お付き合いよろしくお願いします。

▽他人ツイ『反日左翼が「米軍に少女がひき殺された事もありました」言ってるが普通の事故ちゃうの?』
→「普通の事故」なら、ひいた人間は処罰されるはずですが、米兵の起こした事故は地位協定に守られ、処罰もされなければ何の代償もされない。そこを抜きに「左翼は~」で片付けないで。

 唐突ですが、ひとつ小説を。なぜ書いたかは全文完成後に記します。暫しお待ちを。レベルはあてにしないでください。

【小説-2009年6月8日、もうひとつの選択。】
 この小説は、ある男の存在に関わる重要な選択場面の“if”を描いたものである。現実に起きなかった以上フィクションではありますが、限りなく現実に近いものであることを先に記します。

 2009年。

 勉は数年来、病気を抱えていたが、最近は特に違和感を感じていた。何というか、呼吸をしても満足に呼吸をした気にならなかったのだ。血圧も平均値が180-120。病気に対する抵抗力も減退していた。それでも辛うじて、一日3~5時間の仕事があり、そこで出る『残飯』を融通してもらったりして何とか食いつないでいた。
 数日前の野球の試合。応援団だった勉は試合中に幾度かあの“違和感”を感じていた。そうなる頻度が増えている。
 悪いことは重なるときは重なるもので、同時期に祖母が倒れていた。もうじき90歳、回復できるかは五分五分だ。その事も気に病む。そういや背中痛てえな…これも数日来気になっていた。家で所用を足す親戚に断って病院に行く。

 半日がかりで見てもらったが、この時は特異な症状は見えない。点滴を打ってもらい、自宅で療養することにした。幸い仕事は土日と休みだ。ただ、帰り際に医師から次の言葉を言われた。
 「何か起きたら、夜中だろうがなんだろうが病院に来なさい」と。

 日曜日。違和感は収まるどころか、痛みすら出てきた。自宅に電話機はあったがいまは止めている。携帯電話は勉の持っている機種では圏外だった。
 「いざとなったら自力で行くしかないか」
 気を紛らそうとテレビを見ようとしたが…紛れない。

 日曜日の夜。
 痛みと違和感ない交ぜにした症状が勉を襲う。寝る姿勢を変えて楽になろうとしたが、どの姿勢になっても症状は変わらなかった。痛み止めの効果もなかった。寝ることすらできず、気がつけば朝4時になろうとしていた。
 「職場には『出る』言ってる。穴は空けらんねえ」
 この日は朝5時から8時までの3時間。これさえ越えれば新たな対応もできる。勉は車を駆って出勤した。もう1人の仲間には事情を話、交代する夜勤のメンバーにもフォローしてもらった。レジにとどまって作業や接客する勉。たった3時間―しかし、2時間経過した朝7時。勉は声を出すことすらままならなくなった。会計のやり取りはレジのディスプレイを指差して、無言で行った。声を出そうとすると背中が痛い…というか窮屈だ。
 国道沿いにある職場は、朝のこの時間は猛烈なラッシュに見舞われる。1時間が遠かった。
8時15分。昼勤のメンバーと交代。異変を感じたメンバーが勉を気遣った。
「明日出れるの?」と訪ねたメンバーに「夕方電話します」と言い、更に…

 「昨日、痛くてろく様寝ていないから、一回家帰って、休んでから病院に行きますよ」

 なぜか知らないが、秒針がコチリと、一回だけはっきりと聞こえた。間断なく来る痛みのせいか。

 何とか自宅に帰りついた勉。約二日、ロクに寝ていなかったから、眠りに落ちるのは早かった。だが、安堵の眠りも長くは続かなかった。
 時計を見た。午後3時か。
 あとは前日をなぞるように…するには痛みの度合いが変わっていた。やがて陽は暮れていく。勉の住む家は、街から20キロ離れた、山奥の集落。家もまばら。朝や夜の勤務の多い勉が昼に居ててもおかしくない。まさか病気でうなされているとは知らずに。

 日がくれてしばらく経った。もはや外を歩く人はいない。暗闇の集落の中にポツポツと明かりが点っている。しかしその中の一軒は凄惨な状況になっていた。息づかいは荒いが見合った呼吸はできていない。トイレに行く体力もなく、小用をペットボトルにしていた。もはや考えることは「どのようにしたら苦しさから逃れるか」。
 呼吸すらままならないのに、言葉など発せるわけなかった。連絡手段であるはずの電話も「単なる機械」でしかなかった。大体にして動けもしない。回復も見込めそうにない。ここに至って、勉ははじめて『死』を意識し始めた。

 時計の秒針がやけに響く。
 (医者の言う『いつでも来い』は、これを予期していたのか―)
 職場から帰宅する時、コチリという音がやけに響いたのを思い出し、続いて医者の言葉を思い出した。だが…既に状況は「詰んでいた」。
 (“死”は意識はしていた。だが今じゃない、今ではないんだ!週末には都市対抗がある。今年中には総選挙もある、ここではないんだ…死ぬのは!)
 ―しかし、そういう言葉に発しない思いすら、途切れ途切れになってきた。心臓大動脈が一本死に、心臓の機能が果たせなくなってきた。心臓が壊死したのでは血液も行き届かない。もはや動くことすらできず、苦しさの中で「行き着く所まで行く」のを待つしかない。勉はただひとつ思うのがやっとだった。

 「家帰らないで、病院に行くべきだった―」

 もはや頭も、体も動かなくなった勉が最後に見たのは自宅の天井、首が落ちる瞬間に時計が見えた。針が一本にしか見えない。一人孤独に陥り、多くの友人知人と別れる寂しさを感覚的に感じたのが、最後の感情。

 苦しみに飲み込まれ、もはやなにも感じなくなった。

 時計は12時を指し、日付は変わった。だが勉に6月9日はやってこなかった。



 勉の職場。
 8日夕方に連絡をよこさないばかりかその後2日無断欠勤をしていた勉に半ば心配、半ば苛立っていた店主の元に一本の電話が入った。
 「はい。はい…、
 そうですか。
 分かりました―」
 店主はすぐ違う所―知人で、勉の所属する野球チームの選手―に電話をかけていた。

 14日、日曜日。
 葬儀場で勉と、勉の祖母の葬儀が行われていた。勉の死亡が近隣の親戚によって確認されたのは水曜日。異様な状況を感じとった祖母は、瞬時の激しいショックを受け、それが基で10日夜に急逝。
 かねてから身体の変調を知らされていた友人・知人も、肉親をほぼ同時期に二人なくした親、親族らも、呆然とするしかなかった。丘の上にある葬儀場から町を見つめる参列者。大津波が来るのはこの2年後―。

 同時刻、県営球場。
 都市対抗野球県予選、決勝。
 この舞台を待ち望んでいた男の無念の思いか。寂しげな風が一陣舞って、すぐ止んだ。


 突然ですが、ひとつ自伝的な小説を入れました。私の人生の転機は表題に書いた「2009年6月8日」。いま現在皆さんが、残念ながら下んない私のツイートを見ることができているのも私が生きているからで、この小説の通りになっていれば死んでいます。ハードな中身にしてしまいましたが、何で書いたか。

 民主党党首の岡田氏が目の再手術で入院という報。網膜剥離の再手術というのはあるものか…と驚くしかありませんでしたが問題は反応です。ひとことで言や「口の利き方には気をつけろ」。自分、「中立の立場でものは語らない」という性格の人間ですが、弁えなアカンことは弁えようとは思って生きています。嫌いか敵か知りませんが、その感情まま持ってきて死ね言う者にはなりたくはないんですわ。一般社会で言えないことはSNSでも言うな、て話。
 そなもので「死ぬいうのはどういうものか」表すために、私の経験の“if”を書かせてもらいました。分かってて言う方もいるのでしょうが、死という絶対的な事象の重みは常に頭のどこかに置いてください。それ考えれば身体状況など使った暴言は飛ばせないはずです。
 小説中では「勉」の死後すぐに…の祖母。実際はこのあと持ち直し一旦危機を逃れましたが、翌10年7月17日に、離婚し市川市に住んでいた父が同19日(推測)になくなりました。その後の寸前に回避した大船渡行きで直接被災を逃れた大震災含め生き残った私。簡単に死ねません。

 自分で書いて言うのも難ですが…ぞっときます。よくあのとき、病院に駆け込んだな、と。3時間かかりましたがバルン拡張に成功。助かったからのほほんとしてますが…。書き終わったいまになって震えが来ています。はい。

 明日は明日で車交代の用事をするので暇ーありません。1日の高田行きに支障出ますが、そっちはそっちで対応していくことにします。今日の拙稿は、私のSNS記事屈指のシビアな話にしてしまいましたが意をくみ取っていただければ幸いです。今日もお付き合いいただきありがとうございました。






最終更新日  2015年03月10日 23時55分29秒
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2015年01月10日
カテゴリ:私の事、色々と
 今晩は。最近は夜遅くからツイッター始めることが多くなりました。別にコウモリに転生したわけではありません(←ど阿呆)。厳しい寒さの中いかがお過ごしでしょうか。岩手内陸部、断続的に雪が降り続けて、歩くのがしんどいです。火事と風邪には気を付けて。今日もよろしくお願いします。

◆今日はメーンエクスプレッション、対外的なことでなく、ぼやき話につきあってください。テーマを名付けるとしたら「普通の生活とは」。
 87年。私が小学6年の年までは、父もいて、母もいて、兄がいる。少々激しい夫婦喧嘩はあったものの、まあ普通の家庭で暮らしていました。
 それが壊れ始めたのが88年。母の家出から始まりました。基本的に他人の干渉を嫌い、それが“いい方”に出たおかげで私は生を受けることができましたが、神経質な父と歯車が狂い始め、家出に至りました。夏には心労たまった父が入院。兄を三陸の祖母宅に預け、私が付き添いに。父は体調を崩し、土木会社を退職。別な会社に移籍したものの身体的に続かない所に母が戻ってきましたが、別居状態に。中二の夏には両親の離婚が決まり、父は東京に。兄はそのまま三陸の祖母宅に、私と母が大船渡に引き続き住みましたが、母が心身ともに壊れてしまいました。
 私が中学で“難しい年頃”という事で、三陸への転校を拒否。大船渡に住み続けましたが、母がまともな就業できず、更に生活保護は干渉嫌い蹴飛ばしたので、母子家庭手当とわずかな給料で食いつないでいました。電気止まりガス止まり…結構ありましたし、借金の催促もありましたね。家帰ってもこの通り“つまんない”から、居場所学校に求めました。野球部もそうだし、課外活動にも加われるのには加わり、朝から夕方6時7時まで学校にいました。

 さっきも言った通り、貧困の底にいたから、私服なんてものはなく。殆どを中学のジャージで過ごしていたのを覚えています。正直見映え“目愚さい”所がありましたし、家では食って、寝る、そんぐらいしかやることなく、時々友人宅に遊び行く他は、緑地公園野球場にいましたね。(現在は下水道処理施設)半分ネグレクト状態にあり、自閉的な性格と相成り、一般的な生活というのを知らずに思春期過ごします。自分が「回りの人いなきゃ」って言っているのはこの中学、高校の経験があるからなんです。

 回りの人に恵まれて、充実した形で思春期を過ごさせていただきましたが、この時期に“重い”家庭生活を送ったことは、キズになってしまったのも事実です。普通の人の過ごし方がわからない。一般の家庭の暮らし、空気…。小6まではそれに近いところにいたはずですが、すっかりなんか吹っ飛びまして。社会人に出てからも2年目以降は夜勤・準夜勤で過ごし、更に自分自身の変調も起こし、無理矢理もがいた結果、09年の破綻に至りました。
 近い友人知人の中で、結婚していないのは私だけになりました。あちこちで家族連れの同年代を見ると気が沈む部分もあるんですね。心臓などの不調で一般人並みの就業ができず、ずれた生活をしてきたから感覚があわない。そんな状態のまま今年中には40歳になりまして。重い現実突き付けられますよ。それだけに、仕事もでき、家庭も営める人みんなすげえな、思いながらその様子を見ていました。

 だども最近、例年この時期に近年代の訃報を目にします。「家族残して…」と、本人も、周りも悔しい夭逝に、直接の悲しみと、私自身の状況―早世のリスク―と考えると…悲しいし、怖くもあります。そういう様々重なって、“刹那主義”な生き方を選択している私。物事長所短所裏表で、後悔はしていませんが、“短所がもたらす現実”は突き付けられています。長々愚痴ってきた割には、解決手段見出だせず項を終えますが、歩を進めて生きる基本は忘れずに、そん中から答え見つけて参ります。

◆『弱者の人権・権利という当たり前の事を声高に説く場合、裏には必ず利権が潜んでいる』
→安倍支持者の言。安倍自公政権が生存権切り崩す社会保障切り下げを強行し「こんで生きられないじゃ」と声を上げれば先の言葉で“反撃”をねじ伏せようとする。多数派に酔うのは支持者もですか。

◆植村隆氏が自己に向けられた報道に対して告訴。事実と異なる記述をした雑誌と大学関係者を訴えました。ネット上ではかなり吹き上がりまして、特に娘さんにまで矛先を向け「自殺に追い込む」という動きには「ゲスが」以上の感想が思いつきません。

◆今日も一文書いてきました。
 「OHOHOHOHMysummertime 人生変えちゃう夏かもね」~っと西田ひかるさんの曲口ずさんでいました。なんなら次はももクロのmoonpride(←やめろ耳腐る)
 今から思い返しても、ほんに学校生活に力いれてたな。
最近岩手内陸部、晴れ間も出ていますが、そういう時に限って融雪→凍結でアイスバーンというコンボがやって来ます。まんず、事故には気を付けていきましょう。体温中々上がらないで大変ですが何とかなんでしょ(笑)今日も拙稿お付き合いありがとうございました。お休みなさい。






最終更新日  2016年04月23日 18時02分13秒
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2015年01月06日
カテゴリ:私の事、色々と
 お晩でございます。去年末に風邪で思うように行かなかった大掃除の続きをしていました。明日には松もとれ、2015年も本格的に動き出しました。動いた分だけ疲れるのもその通りの話なので、いまはひたすら明日のために体休めています。今日も拙稿お付き合いよろしくお願いします。

 今日の岩手日報。
 野球の後輩の祝い事は目にしたけど…見たくねえのも。
 冬の時期は、アクシデントも起きやすい季節でもあったりします。全く知らないいうわけでない方の逝去に、ただ残念というしかありません。危ねえ危ねえ言われる俺が生き延び、必要とされ頼られる人がなくなる。

 これほどの不条理が…あってたまるか!

 しかし、事実としてそういう“見送り”何回も重ねもした。その度に、その度に、その度に…。3日に言われた「死ぬなよ」ってのを、こういう形で突きつけられるとは。

 すみません、今日は「メーンエクスプレッション」休みます。ボディーブローのように効きました。明日はハードウェンズデー。ツイートは夜になりそうです。皆様お気をつけてお過ごし下さい。






最終更新日  2016年04月23日 18時00分25秒
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2015年01月03日
カテゴリ:私の事、色々と
ここでは、3日に行われました「厄年前祝い」について思ったことるる語っていきます。
 同級生は約180人で、今回参加は約40人。「特に年頃の子ども持っていると出席率低い」という話で実際その通りでしたが、そんな状況の中準備いただいた地元の皆様お疲れさまでした。今回は事情もあり主軸幹事の入れ替えがありました。実務に優れた代表のもと「回りイジるのがうまい」「会計が得意」「文章打ちはお手のもの」など特長特技備えた幹事団が今回シリーズを仕切ります。来年は大変なるからよろしく頼みますよ。

 33歳厄年シリーズで来れなかったけど今回は…て人も来ました。その人は変わりなくて変わりなくて。頼むから俺見て驚くのはやめてくれ(笑)そりゃ体積2倍化したけどさ(笑)。ただ、前回シリーズからでも状況変わっていた人は多かった。震災の影響もあれど。
 気になったのが…生きていくためには仕方ないとは言え、大船渡から生活の拠点移した人も少なからずいたこと。逆に戻ってきた人もいたけど、どこまで生きていける環境取り戻せるか…これは“宿題”になったな、と。
 もうひとつ感じたのが「正社員」が多かったな、と。更に何人かは役付きになっている人も。どっかの誰かが「正社員無くしてしまえ」語っていますが、細切れで職を失うことが生活設計狂わせ、安定した生活を営めない。逆の意味からの証明となりました。

 …と、どうしても“活動家”視点で見てしまったりしますが、俺の視点はともかく、中学卒業から25年、社会に出て20年そこら。「積み重ねてきたもの」というのは確実にあります。それが+に多く出るか-に多く出ているかは各々ですが。それでもこういう場があって旧交を暖めて、かついまの状況を語れる…貴重な場となり、「人生で積み重ねたもの」を越えて更なる人生をあゆむ活力になれば何も言うことはありません。それ考えると一次会二次会併せて5時間半、短いですわ。

 で、俺ですか。

 キャラクターの濃さがどーいう方向に流れているかはご判断お任せしますが、体積2倍化以外では「大体の人は覚えてるよ」と言われまして。腹は叩かれるわ揉まれるわ。俺が女性ならセクハラだぞ思いながら「構われて」いました。ま、中には本当に「俺じゃない人に対してやろう」としたのもいましたが見事なまでにお灸据えられていました。同情は一切しません(困)。司会者が無茶振りかますもので私もその犠牲(笑)になり、一人野球(よく言えば野球演舞)やらされました。ネタは急に浮かばないよ。

 半分以上壊れた身でありながらこういう同窓会に出続けているのは…単に人が好きなんですかね。中学時代は家庭がゴタクサとして、いまから見ればしんどい時期だったのかな、と。その時期に居場所を作ってくれた同期の仲間が良くて。政治革新の活動に身を投じてるのも恩返しの気持ちもあり。
 本厄に向けて幹事の体制強化が図られまして、私のクラスでも1人スカウトされていました。私は地元居住でないのと、身体の負担から幹事対象外ですが“閣外協力”のような形で、自クラス幹事の下で協力することになります。来年もいい集まりにできるように微力ながら頑張ります。






最終更新日  2016年10月22日 16時52分58秒
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2014年12月31日
カテゴリ:私の事、色々と
今日は。2015年も残り366日になりました(←くだらねえバーカ)。2014年は残り半日ですね。今晩は紅白も何も見ずに、出番までピープー寝ていることにします。今日もお付き合いよろしくお願いします。

◆2014年十大…なんて計算できんから十大ミューズ!

 (シーン)

 はい、おとなしく手を洗ってきいます。

 重大ニュースとしていくつかお伝えします。

《社会人野球1》赤崎クラブ、上位に挑戦も壁に跳ね返される…。
 都市対抗県予選では2試合快勝も、トヨタ東日本に0-16の大敗。クラブ選手権でも県予選を何とか突破も、東北大会で東北マークスに0-3。全国狙うレベルの強さを思い知らされました。

《社会人野球2》オールいわきの応援―試合は敗戦も暖かさを知る。
 代表決定の試合会場が同じ縁で福島県のオールいわきを友情応援に。しかし実際はオールいわきの関係者にかなりの部分助けられました。大和高田に敗退も刻んだ10安打2得点。来年もグラウンドで!

《政治・社会活動》急遽の政治戦に対抗!共産党2.6倍化で足場作る。
→記憶に新しい総選挙。自公勢力の維持こそ許したものの、根っこからの対案を持つ共産党が8議席から21議席に勢力伸ばし、国政での戦いの足場を作りました。東北でも高橋千鶴子さん8時に5選当確!

《政治・社会活動2》自治体の政治戦でも花巻市で市民生活破壊続けた市政を転換。市議選でも共産2議席維持。奥州市議選では5議席獲得。大船渡市議補選は当選ならずも9500票47%獲得。国政選だけでない伸長を見せました。

《政治・社会活動3》こうして伸長した力と市井の運動が結び付いて議会内勢力を越えた成果も。岩手県議会で子供の医療費の支払い方法で改善を図る誓願が。北上市議会では治安維持法犠牲者への賠償法制定求める誓願を岩手県内初の通過。共産党の伸長は回りにも影響が。

《プライベート1》母のガン手術無事終わる→2月に腹痛激しかった母。検査結果腸捻転、さらに精密検査でガンも発見。幸い初期だったため幹部の除去で無事終了。約2ヶ月間大変でした。

《プライベート2》ぇー、体重に関しては濁して語っていましたが、今年当初135キロ、2月半ばには143キロまで行きました。原因は聞かないでください。その後毎月減らすという方針で望み、現在は128キロとなっています。急な変化は逆効果なので地道にしています。懺悔語れば、一部の方には偽った数字を語っていましたが…さすがにおしょしかった(恥ずかしかった)ので素直に数字出すことが出来ませんで。来年は128キロからどこまで落とせるか。頑張ります。

 結局かき集めても七題ニュースにしかなりませんでした。岩手は雪が降り始めました。三ヶ日は荒れ模様とか。勘弁してくれい。

 今年最後の一文です。
 Twitterで先ほどポッと書いた「他の同年代は~」語り。明後日同窓会行けば余計に思い知らされることなると思いますが、39歳の割には、足りないものが多い人間ではありますが、歩みを止めた事はありません。09年の心筋梗塞以来、久し振りにできた、いうのもありました。
 2月にある件でキレて暴飲暴食を重ね、わずか10日そこらで10キロ太り、医師にガッツリ言われまして。それから10ヶ月かけて最悪期からは15キロ、今年初頭からは7キロ落としました。やっと130キロ台を割って、楽になったのは歩くこと。
 普通に生きる人から見れば、なんてことはないでしょ。ウォーキングするなんてのは。俺にとってはこれが進歩なんですよ。ここ5年10年できなかったことができるようになった。
 もがきもがき生きてきた、歩いてきたことは無駄ではなかった。いわゆる“シバキ主義者”から見れば俺の存在なんざ堕棄すべきものなんでしょうが、ご生憎様俺の人生はそういうのにケンカ売りながら、闘いながら歩いてきたものなんですよ。

 生まれるときから。

 小学校入学も。

 いま居場所にしている“二つの主題”も。

 時にそれが過ぎてご迷惑かけたこともありますが、以前よりは前向きにも生きられるようにもなりました。まだビリビリしやすい―分かりやす言えば―精神状態ですが、付き合いながら生きてくしかないな、と。もう40代になる人間にしては低レベルな目標ですが。

 来年は社会活動、社会人野球共に20年目のシーズン。安倍政権とは文字通り生存のかかった闘い。社会人野球も東北野球の存在を示す戦いに。能力足んないのは分かってるが、せめて存在し力になれる様歩いて参ります。

 今年もお世話になりました。

 来年も宜しくお願いします。

            伊東 勉






最終更新日  2016年10月22日 16時54分11秒
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2014年12月15日
カテゴリ:私の事、色々と
今晩は。今日は仕事は静養にあてましたが、家事はこんもりと。洗濯2ラウンド、台所、掃除…あっという間に日常に引き戻されました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。今日も拙稿お付き合いよろしくお願いします。

◆今日のメーンエクスプレッションは「今後の立ち振舞い。」でお伝えします。
 総選挙の投開票日から一晩明けました。いや、書いている今の時間は陽が暮れているから「1日暮れました」とやるべきか。自公に大勝許すも、共産党にも21議席。両院で32議席は約10年ぶりの水準です。議案提案権も持ちまして。そして、党首討論、「該当委員会の議席配分を避ける」やり方はもう通用しません。もう逃げられませんよ。

 一方で、「今後の立ち振舞い」に関しては思い悩む部分だらけです。私自身をあげれば「一本化強要論」に対しては厳しく当たります。そのあたり具合が激しすぎるので度々自重求められるくらいで、自分でも病的な部分にまでなってしまっているな、と認識しています。「そういう奴等は会話しようとは思っていない、放っとけ」…これが本来正しい態度なんでしょうね。
 「己の存在の根幹」に関わること以外ではあまり敵作る態度はとりたくないし、様々行われている行動に関しても多少の相違点があった所で「俺は賛同しないが頑張りゃいい」で済ませられる。ちなみに他勢力の行動を行動を批判することはあれ、存在することそのものは、犯罪でも犯さない限り否定しません。一本化強要論ではなぜああもむきになるか。それは知ってか知らずか、彼らが突くのが「存在の根幹」だからです。

 立候補やめろ、政党助成金受けとれ、他党に一方的協力しろ…昔、社民党にそうさせて潰滅寸前に追いやったのを忘れましたか。全国的政党では最後のとりでが、ここでなくなってしまうわけにいかない。社会党の二の轍は踏めない。

 沖縄共闘を指して「なぜ本土ではできない」と言いますが、これは結果だけをとらえ、過程を無視した駄論。同じ問題に長く取り組み、同一行動にたいしての壁が外されて、外されて…でできた共闘です。いわゆる本土ではどうか。民主党は端から「共産党以外で」と言い、他党も相手にせず、その支持者で共闘を求める方は「共産党が一方的に降りて協力しろ」。「段取り踏んで、関係者全体に働きかけるようにしたら」など助け船出しても「降りろ!協力しろ!」。

 言われてみれば、こんなん輩との対応、やめた方がいいか。しかし言うこと聞くまで手段選ばず“蹴り続ける”のが彼らのやり方だからな…。悩みとイラつきは尽きない。ここで一旦締め。

◆岩手日報と日刊スポーツを買いました。岩手日報になんか変なの写っていますがお気になさらずに。日刊スポーツに目を写したら銀次選手がハットトリックという記事を。ベガルタ仙台と二重在籍する?ほんで明日は、数年に一度だけ金を出して読売新聞を買う日です。選挙データで得票率を書いているのもあまりないので。

◆「選挙協力」「一本化」に傾注するあまり、単純小選挙区制度にしてしまえと。そうすれば共産党も社民党も解党して「野党」一本化してくれるだろう、と。主客転倒甚だしい。「自民を倒す」事だけはなるかしんないが、それ以外で歪み、来るよ。
 寄って立つ場所を壊し、恫喝すれば自分の思い通りに振る舞ってくれるだろう―これな、暴力パートナーとかと一緒。
 更に何百票差で負けたところまで「共産党が立たなきゃ」なんて、実際に政治に関わる人なら恥ずかしくて言えません。「21議席とったことより35議席失わせたことを恥じろ」まで言いますか。民主維新の「調整」の結果を見てから言うことですね。

◆給料入ったので冬服の補強に来ました。アンダーウエアを買い込んでいます。白です(←だからどうした)。これで冬服の補強は終わり。あとは靴をもうひとつ。前もって知っていれば、今日行った店での「スーツ上下10800円」計上したのですが、居住地にはチラシ入ってこないからな…。

―で、自宅に。―

 俺は長袖を買ったはずだ。なぜ半袖!寸前まで違うの手にしていたからな…思い立って色変えたのは失敗でした。しゃーないのでこのまま使い倒します。15日、39歳初日お付き合いいただきありがとうございました。






最終更新日  2016年11月29日 09時45分38秒
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2014年10月29日
カテゴリ:私の事、色々と
 今晩は。
 今日は急に発熱起こしてから一週間。39度8分の熱から胃の不調からの口内の荒れでまあ大変な一週間でした。今も液体しか節食できない状態は変わらずです(笑)今晩はいくつかツイートお伝えします。お付き合いよろしくお願いします。

◆社会人野球、今週末から総まとめとなる日本選手権が開幕します。そして、岩手でもアマ王座決定戦が行われ、都市対抗県優勝のトヨタ東日本、クラブ選手権県優勝の水沢駒形、大学から富士大学、盛岡大学の4チームが出場します。詳報は後程。

◆休んでいる合間に政治戦の動きもかなりありましたが全部が全部ついていけず…。ま、何でも好きに進ませるほど庶民市民はバカじゃないことを知っていただきましょう。一連の「不祥事」に関しては大本の感想はこんぐらいにしておきましょうか。
 福島の政治戦に関しては…時間と製作環境が整わないとできないのは変わらず。テーマ再確認。
1)福島県知事選の結果感想。
2)第三者による関わり方と関わる理由。
3)政治に関わろうとする人間の流儀
 で。

 まだ新しい携帯をいじりなれていないので記事がうまく作れない(もとの脳のレベルは諦めてもらうとして)のですが、それなりに拙稿よろしくお願いします。一応病み上がりの範囲なのでここで寝ます。






最終更新日  2014年11月10日 14時43分23秒
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2014年10月28日
カテゴリ:私の事、色々と
 今晩は。
熱は下がりましたが、咳落ち着かない、そして口内の荒れでろくに飯が食えずにもう6日目。ただいま薬飲むためにスープ飲んでます。いやあ痩せて痩せて。この調子だとCM出られそう(笑)
 なんかあったら新聞出るし。
 こんな感じで生きてます。






最終更新日  2014年11月10日 14時41分09秒
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