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つなげ“希”動力-袖番号96、伊東勉のページ楽天版(更新停止。書庫ログ)

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私の事、色々と

2017年06月29日
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カテゴリ:私の事、色々と
 埼玉西武ライオンズの森慎二コーチがなくなられました。現役時代は右オーバースローからの豪速球でリリーフ投手として活躍。更なる飛躍を求めたMLB挑戦で大ケガをし復帰目指しましたが引退。指導者として研鑽積むなかでの無念の早世でした。心よりお悔やみを申し上げます。

 野球界でとてもショックなニュースとなったライオンズ・森慎二コーチの急逝。森さんは近年代であると同時に、負ったケガの部位が同じ、ということもあり、別な所では数少ない直に見たNPB選手ということで頻度多く意識する方でした。

 森さんは社会人野球を経て97年にライオンズ入団。強いボールを武器に台頭し、中継ぎ投手のタイトルも獲得するなど活躍を見せていました。

 2002年。早起き野球に参加していた私は、ある試合中に返球した際に右肩に激しい痛みを感じました。比較的苦手な外野を守り、守備に気をとられるあまり打撃も不調。リーグ戦で58打数4安打(打率.068)。何とか払拭したいと思っての強い返球が裏目に出ました。ろくに医者にかかれなかったこともあり、今に至るまで引きずる右肩の痛みを覚えることに。以来右でまともに投げることはできなくなりました。
 私は高校を卒業して以来、草野球レベルまで含めてプレーヤーをしたのは96年の町内野球、02年の早起き野球、02、04年の大船渡市民大会のみ。自他ともに認める野球好きではありますが、肝心の肩を痛めてはプレーのしようもありません。09年の心筋梗塞が止めになり、草野球レベル含めてプレーヤーとしての道は閉ざされましたが、それでも早めの内から左投げの練習を始め、せめて練習には加われるようにと行動していました。

 そんな中であるシーンに強いショックを覚えました。

 MLBに進出していた森さんが、オープン戦で肩を…文字通り壊してしまいました。あれだけの強いボールを投げるには、相応の強靭さとパワーが必要。テレビニュースに流れたそのときのシーンは忘れられません。私自身も肩をやってしまったけど、それよりはるかに重いダメージを。森さんの全治期間は年単位のものとなり、MLBのマウンドに立てないまま日本に帰ってきました。 

 時が過ぎ、2011年「3・11」東日本大震災が発生。 
 津波と原発事故で負ったダメージを救援しようと様々なイベントが行われていました。

 それは野球界でも。



 11年の9月にBCリーグ選抜チームと、福島市社会人野球選抜(福島硬友中心とした福島市地域チーム)のチャリティーゲームが福島県営あづま球場で行われました。この時BC選抜には桑田真澄さんや仁志敏久さんらNPBのOBが数人加わっていました。当時BCリーグチームに所属していた森さんの姿も。どうしても肩を痛めたシーンが頭にあるから登板まではどうなのか…と思っていた試合後半に当番。全盛期さながらのダイナミックなフォームで打者と対峙しました(尚、写真の写り具合がよくないのはご勘弁してください)。

 

 
 トッププロの舞台復帰を模索していた森さんでしたが、負傷箇所も、年齢的にも厳しく、やがて指導者の道を歩みます。そしてライオンズに復帰。
 この間、左投げを模索していた私ですが、雪道を転倒し、受け身とった際に左肩を強打、左投げも中断する事態に。余分な医療費もかけられないので、何とかストレッチを中心に痛みと可動域を取り戻そうと取り組み、右投げの復活を目指しました。
 右投げの復帰をめざす『理由』『キッカケ』は様々ありますが、その中には森さんの数年がかりの登板を目の当たりにした、ということも頭にあります。ホントならきちんと医者にかかった方がいいのでしょうが…持病だけで万に届く医療費抱えていたのでそれができません。それでも強く意識してリハビリした結果、十数年抱えていた痛みが軽くなり。もちろん十数年ろくにボール投げていないから、慎重に進めていかないといけないのはその通りですが、道筋は見えても来ました。

 同時に思うのですよ。 

 当たり前に思っていた「ボールを投げる」という行為が、実は大変なものでもあったこと。 
 一旦思いきりぶっ壊れて、トッププロには戻れなくても、マウンドには戻ってきた森さんの凄さを感じた所に…「森コーチ休養」の報。そして、今朝(29日)の岩手日報には驚き通り越して唖然としかしませんでした。 

 訃報の記事。 

 いくらなんでも急すぎる。 

 42歳…学年で言えば一歳違い。急激に進んだ逝去に唖然とするしかありません。持ち前の剛球を活かした全盛期から一転、絶望的な大ケガ、しかしそこからマウンドに戻ってきた野球人生。ファンではなかったけど、動向には注目をしていました。それだけに早世は残念としか言葉がありません。

 何日か前にした壁当て。数年ぶりの右投げ。ボールを投げるには鈍さも、しんどさもありました。 

 それを乗り越えてきた投手がたしかにいた。 

 多くの野球に関わる方に、その剛球のごとく強い生きざまを見せてくれた姿は忘れません。

 森慎二さん。 
 無念とは思いますが、いまはただ、心身を休めてください。ありがとうございました。

《編集後記的に》
 …森さんの記事について。 
 ちょうど今、私自身が右肩のリハビリやっていたもので、それと重ねての記述をしました。全治が年単位のケガをして、うん年かかって、マウンドには戻ってきたわけだから、それだけでもすごいと思うしその経験を活かした指導者に…と願っていました。本当に残念です。 






最終更新日  2017年07月01日 00時56分38秒
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2017年06月20日
カテゴリ:私の事、色々と
※土曜日に書いた記事をここに持ってきています。

 タイムラインですが、今日は都市対抗野球の東北予選の記述、入れる予定ではいましたが、その気力がげっそりと削ぎ落ちまして。

 理由ですか。共謀罪に関わる一連の事態。

 そこら関係、一通り書いてから野球の記述入れます。

◇2017年現在、性懲りもなくというか、追い出されもせずにというか、とにかく社会人野球に関わり続けている私伊東ですが、実は2000年代後半に社会人野球からの離脱を検討したときがあります。くしくもそれを意識した政権は安倍政権の時でした。
 それまでの小泉政権も、市民労働者に激しくしわ寄せ行く政治ではありましたが、安倍政権はそれに加えた狂気も見え、その先端を切ったのが教育基本法の改悪。このときもかなり大もめになった記憶があります。安倍首相の行き着こうとする箇所を考えると…生活以外の時間を社会活動に、と考えた。

 2006年のオフシーズンに考えた身の振り方。しかし、結論を出すことができずに迎えた07年シーズン、そのまま社会人野球の活動に突入。この年の後半に安倍政権は倒れ、最大の危機は去ったと、以降は社会活動を理由にした離脱は考えないできました。09年に心筋梗塞からの破綻、社会に繋ぎ止めるための活動継続、更に11年の「3・11」を経て「野球を通じての大船渡・高田とのつながり」を意識し、野球そのものに加え、野球以外の理由も加わり、社会人野球から引くことを考えなくなりました。その間に福島行ったり山形行ったり…でね。

 野球そのものに向き合っての話、というのを前提とした上で、社会人野球を続けていることが、社会活動でも広い視野を持たせ続ける力にもなっていたのは事実です。近年「片翼になったらうまくないな」と書いているのはそのためでもあります。
 賛成派からは「疚しいことなければいいだろ」言われ、更にアンチからは苛めっ子よろしく無茶語られますが、日本に限らず、権力者が自分に従わない存在を力ずくで排除しようと考える…何てことは何ぼもあり、行動にも移されたりもしました。

 共謀罪に関しての問題点はこれまでも多々触れてきましたが、疑問点の解消がならないまま成立されてしまった今、「現権力者に従わない存在」である私は考え込みもするのですよ。私自身は疚しいことはありませんが、疚しいかどうかを判定するのは「権力機関」だから。判定は自分の意思に依らない権力機関ですし、権力に逆らえない報道機関が「色づけ(印象操作)」したら?共謀罪成立前と完全に変わらない人間関係が続けられるのか?など、不安要素は多く。

 私に関わる人は、私の関わる二つの属性を知っています。だから、少しでも、の「誤解の余地」を入れないために、厳密な分類ルールを自分に課していました。野球の場では野球懸命にやる。社会活動の場では以下同文、で拙稿SNSでそれを表して私的時間で交流あれば応ずる…てな具合で。

 しかし、このルールに基づいた人間関係も、「接触すること自体が重荷」になったら…。

 覚えのめでたい人は“益”を得るが、そうでない人は不利益というか、孤立させられていくように仕向けられる社会がまともか?考え込むばりですね。

 …ここまでるる書いてきましたが、まず当面の結論として

1)社会人野球は現在の形で継続。自分からは辞めない。

2)但し、不測の事態には備えて置く(何か起きた場合の進退届は既に準備しています)。

 数日前まで都市対抗予選で熱くなっていて…それがここ4日で一気に覚めてしまいました。「テロ対策を名分にした弾圧立法」としか見ていない共謀罪。安倍政権の性格を考えると先行きに気楽な予断を考えることができない思いから一文記しました。






最終更新日  2017年09月03日 04時36分55秒
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2017年06月01日
カテゴリ:私の事、色々と
改めて今晩は。色々耳に入ってくる出来事がいちいちに障る部分もありますがそれで絶望している暇もございません。ただ、今日はSNS作業の時間を社会人野球の記事制作にあてさせていただきます。お付き合いよろしくお願いします。

 ここ数日雨降りの機会が多くなっています。このあと都市対抗野球&高校野球の東北大会を控えますがこれが影響しなければいいがな、と願うのみです。ちなみに…観戦は次の通りで考えます。

▼都市対抗野球→トヨタ東&JR盛岡が代表決定戦(第一代表7日、第二代表8日)進出時。
▼#高校野球→上記試合にトヨタ東、JR盛岡未進出の場合、8日仙台市民の大船渡東高校試合に向かいます。

※予定なので変更はあります。

※2-13日付後記。この通り6月1日には書いていました。が、この後荒天で大会延期。7日に八橋球場には行きましたが、鶴岡クラブの応援となりました。






最終更新日  2017年06月18日 10時29分13秒
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2017年03月26日
カテゴリ:私の事、色々と
改めて今晩は。今日は野球に関する記述を二題記して参ります。

 まず最初にWBC。結果はアメリカの優勝、日本は準決勝敗退となりました。アメリカ戦は僅差に持っていきましたがあと一歩届きませんでした。準決勝の壁厚く。世界一奪還も楽じゃないですね。確率性の高い手段で点を奪い、高い防御力で守りきる“スモールベースボール”を武器に戦ってきた日本代表ですが、野球のもうひとつの特性「点取りゲーム」を考えると一撃大量点の機会とな長打も必要とも。

 拙稿では幾度か紹介してきたスコアラーの志田宗大君もその指摘をしていました。彼は中学卒業以降の選手キャリアを仙台育英高校→青学大→スワローズと過ごします。高校では1年からレギュラー、下位指名で入団したスワローズでも台頭した所で運命のレギュラー争いが起こります。

 相手は早稲田大から入ってきたばかりの青木宣親選手。私は感覚的に「勝った方がリーグ有数の野手に。同時に選手生命をかけたものになる」と。結果はシーズン200安打を記録した青木選手がレギュラーを勝ち取り、志田君は控えの立場を覆せないまま選手生活を終えます。
 しかし、野球を学ぶには絶好の環境に身を置き、研ぎ澄まされた野球観はスコアラーとして発揮され、日本代表に選出されることになります。その後の奮闘ぶりは多くのマスコミで取り上げられた通りです。

 私自身もスコアラーの位置にもいたので志田君の頑張りには思う所も。
 JABA未登録のスタッフとして赤崎クに身を置いていますが、2005年に唯一スコアラーとして登録。「大船渡農高唯一の都市対抗県優勝経験」はこの年に経験したもの。病気になってからは無理が利かなくなってしまいましたが、以前は時間が許す限り幅広く試合を見て選手の特長を頭に入れていました。

 技術云々を見る能力は私にはないので、私が見るのは「実際グラウンドで起きたこと」を。そこにマスコミ報道などで伝えられる情報を組み合わせ。最近はマスコミの文量も減り、選手情報の基礎になる高校野球の情報もつかむ余裕がなく、加えて体調の変調で寸前の試合しか偵察ができなくなってしまったので得る情報量は減ってしまいました。
 それでもグラウンドに立てない自分が役に立つのは、グラウンド外で選手が戦う舞台を整える。後ろから後押しする。勝たせることはできないけど、負けさせない支えになることはできる―その思いで約20年、裏方という立場で戦ってきました。

 その中で、一番の「冥利」経験をお話しします。

 2008年の夏に栃木県足利市で行われた東日本クラブカップ大会。赤崎クはNTTマークスに敗れクラブ選手権への出場は逃しましたが、須賀川クとのクラブカップ出場戦を制しこの大会に進出していました。初日は一回戦4試合。第1試合は全宇都宮(いまは活動休止)がオール苫小牧に勝ち、第2試合は赤崎クが伊勢崎硬建に1-0で勝利。ここで長距離の遠征と激闘演じた選手は宿舎に帰りまして、私がトランシス-全日立、全高崎-秋田王冠クの試合を見ることに。

 第2試合まで最高38℃の気温と、猛烈に暑い天気でしたが、第3試合途中から急に雨が降り出し、ペースを立て直した全日立が逆転勝利。
 そして、夕方から始まった第4試合は序盤から乱打戦に。再びの雨天中断で何ぼか落ち着きましたが、暑さも重なり激しい消耗戦に。秋田王冠はエースが欠場し若手3投手が奮闘。その若手を援護しようと凄まじい執念で高崎投手陣を攻め立てます。最終的に高崎が勝ちましたが、登板した4投手に合計約240球投げさせました。
 これだけの投球数を見せられれば、球筋はもとより、マウンドのしぐさや様子など特長をとらえることができます。秋田王冠の粘り強い戦いの凄さに身震いし、同じ東北代表として王冠の分も頑張らなければ…と思いました。

 翌日の準決勝は全宇都宮の勢いに煽られながらも終盤で逆転し7-4で決勝進出(全宇都宮はチームのみんなで見ていた)、高崎-全日立も高崎が接戦を制し決勝進出。いよいよの決勝戦―ですが試合中盤までは高崎がペースを握ります。
 しかし、5回のグラウンド整備後、赤崎が攻勢を見せます。準決勝で一番手強い投手を先発させた高崎は継投策に出ましたがその投手陣をとらえます。そして8回までに13点奪った赤崎クがコールドゲームで優勝を果たしました。
 北関東の強豪を3連破しての優勝―試合後帰宅するときに高崎の方から「昨日最後まで見ていた人ですね」と声をかけられ「しっかり偵察されてしまいましたね」と。自分のやって来たことがひとつの評価をうけた時でした。
 志田君と違い、野球脳に秀でるわけでありませんが、観察し、記録し、それを基に戦い方を練る土台を作る。それがスコアラーの醍醐味と言えます。最近はそれを補助する道具が出てきていますが、基本となる「人」がないと生きない。私の経験にしても、それをまとめ生かす赤崎クメンバーの尽力がないと連動しないし、そもそもは秋田王冠の勝利に対する執念から来る「240球」がなければ投手の特長を認識できませんでした。

 社会人野球、23回目のシーズンが始まります。去年は一昨年の不調からは一歩戻しましたが、目標にする西武ドーム行きには県内2強の江刺、駒形を越え、東北でマークス、富士通、アレッズらを越えないと行き着きません。そのためにできることは一所懸命頑張るということを誓い、項を終わります。






最終更新日  2017年03月28日 13時40分29秒
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2017年02月19日
カテゴリ:私の事、色々と
 さて、今記事では「benitoh96捕手物語17'」からお送りします。この話は6年前に一度書いていますが、これまで41年の人生振り替える意味でもう一度、改めて触れ直すことにします。 

 私が捕手を意識し始めたのは…この名前ですかね。「いとうつとむ」。
 捕手で「いとうつとむ」といえば、野球殿堂入りの伊東勤さんの存在を意識しました。ほんだども、意識はしましたが、自分がその位置にいるのは別な話です。小学校時代の感覚としては「捕手は怖いところ」。運動神経の拙さから外野の端が定位置。一番難儀だったのが「バットの空振りでボールが見えないことに対する恐怖」。防犯野球(地域野球)でエースの全力投球をブルペンでは捕ることはできますが、打者が立つと酷い様なので実際の試合ではライトを守らざるを得ませんでした。

 そんな私の転機は中学時代。中学入学3日目で野球部に入った私は、1年次から元気の良さを買われてコーチャーとしてベンチ入り。こんなベンチ入りの仕方は異例です。しかし、野球選手としての才能は皆無の私、守るポジションはありません。試合前のノックでは捕手の近くにいてボール渡しという形で関わることに。どうせなら、と捕手ミットを持っていたことで「どさくさ紛れ」に捕手に関わることに。一時一塁手もしましたが、結果先の事情から捕手に落ち着きました。
 また、2年次には一級上の正捕手を投手、投手は一塁手、気の利く外野手の人を捕手にするコンバートがありました。捕手になった人はその練習もあったので、何故かブルペン捕手を務めることに。実力数段上の先輩の球に鍛えられました。

 その後も一軍チームには帯同しましたが守らせるポジションはないのでボール渡しがそのまま捕手になる形で定着。2年秋からの新チームでも試合に出る目的の捕手は同級生一人、後輩一人といまして、私は基本コーチャー&雑用(ブルペン捕手含む)に。2年秋の新人戦終了後、捕手両者の打撃力を生かすために同級生捕手を一塁コンバート、一年の捕手を正捕手に。その正捕手の技量が優れていたこともあり、同学年で他の選手が専任の捕手にはつかず、名目上私が2番手捕手になることに。まさに棚ぼたです。
 もっとも試合になって正捕手に何かあった場合には一塁にコンバートした選手が出ることになっていて、「捕手のノックを二番目に受ける人」でしかないのが実際。春になってから捕手は2年正捕手が出ずっぱり。中体連の試合も終わり、残るはスポ少大会。

 スポ少大会では部員約60人を3チームに分け、レギュラー3年中心に編成した黒潮A、準レギュラーの3年で同B、2年生で同Cを編成。1年捕手2人も私よりうまかったので1、2年の3人で捕手を賄う手もありましたが私はBチームの捕手として登録。ずっと裏方で活動していた私に「努力賞」として試合の出番が与えられましたが、如何せん初捕手として生涯初出場。相手に13許盗塁を許し、結果5回コールド1-8で敗れました。
 それでもチームをまとめるという捕手にいたことが成長につながったのも事実。

 こうして入学時には予想外、偶然が重なっての捕手コンバートでしたが、チームの中心に近いところで活動した経験がこのあとの野球生活の助けになりました。大農進学も半分以上は野球が引き金となっての進路選択です。以降は高校・社会人編に行きます。

 ひとつ付け足し。回の合間、防具つけてる間に控え捕手が投球練習付き合いますね。私は3年時選手登録は外れていました(スコアラーに。背番号なし)が、その捕手役としてグラウンドに出ていました。今やったら没収試合です。当時は捕手の防具もマスクとレガースだけで試合出ていましたし(ヘルメットなしの後ろ帽子、プロテクターも着けず。私はつけました)、ルールが緩かった時代のお話です。

―ここまで記載した「benitoh96捕手物語17'」ですが、長くなったので前後半に分けます。今回分は「前半・小中学編-捕手との出会い」としてお送りしました。この部分で「なぜ伊東が捕手に」という解明がなされたと思います。お付き合いいただきありがとうございました。






最終更新日  2017年02月20日 16時32分52秒
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2016年12月31日
カテゴリ:私の事、色々と
 2016年、人生41周目もあと3時間あまりとなりました。家族はすでに寝てしまいました。私はこの後日付が変わったら仕事です(笑)
 本来はブログにまとめの記事を書いて、それを紹介することと併せてFB版の今年最終記事を書こうと思いましたが、間抜けにもその原稿を記した携帯電話を大船渡に忘れてきてしまいそれができなくなってしまいました。なのでFBとブログ共通で2016年最終記事を書くとします。
    ◆      ◆
 振り返れば30歳代―特に前半は困難の連続でした。病気に陥り、それの回復を待たずに強行的に就業に復帰し、体治すこともできず。心身、財政的にも負荷がかかり、とうとうそれが破たんをきたしての心筋梗塞。影響は抜けきれず、一般的な生活からは遠い位置にいて、何とか振り落とされないようにするだけで精一杯でした。一定仕事などができていても、それ以上のことを考えることができなかった。20代から比べれば、30代は「苦難」、その言葉があてはまる10年間でした。
 今年は…ようやくそれから抜け出し始めた。10年間のキズはあり、それにさい悩まされてもいますが、その10年間で人生を投げずにいたことが、こっからの「再浮上」の土台を作ったかな、と思っています。
    ◆      ◆
 今年の最初にして最大の行事は歳祝いでした。あの日は一日が24時間で足りないくらいの密度濃い一日を過ごさせていただきました。
 3月、4月、7月。政治的な要求実現には不可欠な議員選挙で自分らの意見を代表し頑張ってくれる人を議会に送り出すことに。
 5月。その議会で「多数派以外には発言もさせないよ」という攻撃があり、それは阻止せんと神奈川に。多くの人が問題提起をし、立ち上がってもらって神奈川での「発言封殺」は阻止。
 そして、毎回の「社会問題」での行動―学び、行動し、交流するというスタイル。これらの一々の行動は要求実現への力となりました(岩手は意外とこの方面では先進行っている部分もあります)。
 社会人野球。組み合わせで序盤に強豪チームと当るパターンが多く、その「不運」に打ち勝つことができませんでしたが、クラブカップ大会では厳しい試合を勝ち抜き東北大会に進出することができました。この記事にアップした動画画像は応援する模様を映したものです。ハンドマイク2個で行う社会人野球で一番しょぼい設備の応援ですが、これで有力企業チーム(参考→TDK野球部応援 https://www.youtube.com/watch?v=eM8vmOkUQVg チアも吹奏楽部もいます)と張り合おうと真剣に考えていまして。来年も大船渡代表チームを後押しできる応援をしていきたい。
 野球に限らず、できなくなったことをどうこう言っても仕方ないので、自分ができることで「応援」し続けていければ…それがいまとなっての私の人生の目的です。
    ◆      ◆
 2016年もあっという間に過ぎ去りました。ここまでの数年間に比べれば密度濃い一年を過ごせたかな、と感じています。ここまでメチャクチャな人生を歩いてきた分「残り時間」が人並みにあるとは思っていませんが、そんで
もできる限り長く付き合えるように頑張ります。来年もお付き合いよろしくお願いします。

※下記YOUTUBEアドレスは今年5月の都市対抗野球の応援の模様です。
https://www.youtube.com/watch?v=xFgfkAotsXk&spfreload=10






最終更新日  2016年12月31日 23時17分52秒
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2016年12月02日
カテゴリ:私の事、色々と
 変な時間に寝てしまいまして。あちこち多忙状態になるとすぐ睡眠に返ってきてしまう私です。少しずらずらと書いていきますのでお付き合いよろしくお願いします。
◇まず最初に。火曜日に母の足の手術がありまして無事に終わりました。雑菌入ってしまってそっちはそっちで対処必要ですがひとつヤマ越えたからいいかな、と。今日見舞い行ったら見るなり「デストロイヤー」等と意味不明の供述を(笑・テレビでやっていた)ま、無事で何より。
 私自身は…特にここ一週間あたふたしてしまっていたので、12月の日程をゆっくり立て直すかとに。いったん準備し直さないと12月はあっという間に過ぎますからね。いやはや。「師走でしわーす」なんてのがタイムライン駆け回っているし。社会活動の方で何起きるかわかりませんからね。まあ、まさか1月1日投開票とか1月9日投開票とかはできないと思いますが、限りなく優位な土俵作りには来るでしょうね。何分「従わない者が嫌がること」を突くことに一番長けている政権ですからね。 
 ただ、その行動は弱さの反映とも言えます。
◇最近電子機器揃えられるようになりましたが、こういう私的なことで細かく詰めるときは紙とペンを重宝しています。タイムラインで知り合った方の「アナログ知る者がデジタルをきちんと使える」との言「そん通り」思って実践しています。
 TPPの強行に収まらず、年金カットも荒し、カジノリゾートは審議時間すら短く。この調子でいじめっ子よろしく「もっとやる♪」気でいるのでしょうが、ひび割れと怒りは蓄積するものですよ。そーいう意味で当方からは折れる気はないことを申し述べて2日分の記述を終わります。






最終更新日  2016年12月13日 15時45分23秒
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2016年10月25日
カテゴリ:私の事、色々と
今日は。午前10時頃から家事でてんやわや。いまようやく一段落ついたところです。毎年恒例なので書きもしませんでしたが母が入院しまして…家事は私:母で7:3(主に炊事)の割合でしていましたが、9:0(自分で食う分は自分で)で大変です。も少しあたふたしてます。よろしくお願いします。しかしはー野菜が野菜が高いたかーい(棒)

◇自分の知り合いで結構「開けっ広げ」にモノを言う人が2人いて、時にそれが行きすぎてトラブルに発展させてしまうことも。しかし、その2人で「更なる拡大」と「拡大には至らない」のと明暗別れている状況に。本人の意思と回りの存在・環境で紙一重で差が出るものかな、と思わされました。
 抱えている問題をそれそのままに見て、解決を図っていく。そこに余分な攻撃性を入れて拗らせ、飛び火させ、結果「問題」も解決できない―これでは本末転倒と思うのですが、俺は温いですかね。ただ、「本筋」でなく「周辺」でこじらせている様子見かけてどーにも解せぬ思いしまして。

◇俺はどっちか言えば「譲れない最後の一線」以外は案外簡単に譲る性格でして。普段の呑気さと「一線に関わった際」の過剰なまでの攻撃性との間に差があるのはそんなわけ。これはこれで問題があって、それに苦しんで一般的な人に比べて難儀しますがね…。
 社会人野球22年ですか。思い返すと結構な「トラブル」起こしていて、チームやら連盟から注意戒告食らうのは度々。自分の行動とチーム・団体のルールとズレていてそのギャップから起きることが多かった。「何でよ」思うこともあったがやり取りの中で行動の補正図ったりして来たわけだ。

 一例として…私、赤崎の試合の時はバックネット裏に座らず、各々のベンチサイドの観客席にいることにしています。15年前の試合でそこから声かけをしていて対戦相手から「スパイ」クレームつけられた経験あるので。以降、そういう誤解一切受けないためにベンチサイドにいることに。一般的に見ればどこにいてもいい様なモノですが、その時から既に「未登録のマネジャー」という認識を受けていたので誤解受けないために―てことで自分中で取り決めをした覚えがあります。そこで抗議者の言―結構厳しいこと言われました―に過剰反応していたら最悪出禁なっていたでしょうね。

 15年くらい前は呑気な時代で、一日1試合時は試合公式時間前、登録外の私がグラウンドで練習に加わっていました。いまは完全にダメですが(その前に心臓もたないね)。クラブチームガイドラインも納得はしていませんが試合時に人数いた方がいい、そのものは異議ないので“保留”状態にしています。
 東京などで「~ガイドライン」を基にした離脱(人数要件満たせず)も聞いているので「野球する権利の上からはどうなのか」という燻る思いもあって積極的な賛成には回りませんが、そんでも野球をするという意味でその場を離れる気もないので「要観察」入れながら保留の態度示して場に居るわけです。

 それでも…「所属チーム」(←一般的にはそう名乗ってダメな部類)も連盟も、そして私のヘマで迷惑被った方々も。よく私を追い出さずにこの場に居させてくれています。その事には御礼の思いを忘れたことはありません。ちと振り返りたくなりまして一文記載しました。

 ここまでの野球関係の一文。

 「もうひとつの主題」の方にも。

◇最近悩みがひとつ。物事の認識が更に鈍くなったこと。しょーもない部分で一例あげると、しばらく読んでいなかったマンガ「トリコ」。第二部、と言ったらいいですかね。その世界観を読み込むのにかなり時間食いました。今日もいくつかのツイートを読み込むのに一時使いました。

◇日本シリーズ。いやあ、大谷翔平君すごいね。ただ、車の中でラジオ聴いていたけど頭ぽやってて。「サヨナラ…ああ…大谷翔平?!うほー」。しかも雨どしゃ降りで家まで帰る気力無くしていま車の中で小池美由さんのラジオ(IBC岩手放送)番組聴いています。ハロウィーン。

◇花巻南高校の件。いまは頭の中シッチャカで、感想が浮かびません。人間成長の過程で様々“跳ねる”ことはあるのでしょうが…件に触れた皆様には、彼らを叩く前に他山の石としていただきたい。その事を願うものです。

 今日は1時前に眠くなりました。お付き合いありがとうございました。






最終更新日  2016年11月29日 09時34分40秒
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2016年09月18日
カテゴリ:私の事、色々と
今晩は。今日のSNS作業はブログのアップに力入れました。毎日こつこつとやっとけば苦労しませんが中々日常に追われると(←言い訳)タイムライン、ちょこっとだけお付き合いよろしくお願いします。

 まずはめでたくないことをひとつ。
 体重計、壊れました。原因は不明です。おかげで体重計れなんで…で、最近冷蔵庫買ったでしょう。それで予算がんーと厳しくなりまして。どっか公共機関に130キロまで計れる体重計ありませんか(笑)

 あともうひとつ。近所の数ヵ所、看板の照明消えていた思ったら虫が大量によって死骸になり、腐って異臭漂っていた、という箇所見かけました。ニュースで「センチ単位で積もって通行止め」なんてのがありましたが、近隣も今までにない様相です。

◇ここからは「9月遠征始末記」に入りますが、ブログの「訪問記」はいま関東・奥多摩編をアップ、檜原編をセットし、相模湖編の文章を書き始めたばかりです。1日SNSばかりいじって過ごすわけにはいきませんから、順繰りに世に出せればいいかな、と思いまして。
 私の車、すでに20万キロを越えている代物で、本来こういう長旅には向く状態ではないのですね。ほんだども、駆動機関、ミッションなど車走らす部分はまあ大丈夫。(整備士ほどではありませんがガソリンスタンド在籍経験はありますのである程度心得持っています)
 5月の神奈川行きに続いて今年二度目の関東行きにGO出しましたが、前回はアップダウンキツいのは

1.宮城・福島県境
2.福島・栃木県境
3.一部横浜市内

 …くらいなものでしたが、今回は

4.奥多摩行き道中
5.檜原行き道中
6.相模湖行き道中。

 しかも、八王子→相模湖の道は、2005年の塩尻市行きでは道がキツいので回避した箇所です。当時より車の性能は劣っているから、まず大変でした。

 前回神奈川行きもそうですが、頻繁で小刻みにとった休憩は私自身もですが車を休ませる&状態の確認の面もありました。

 もうひとつ、それぞれの移動にとった作戦は「限界まで省エネ運転を追求する」。始末記1では予算の少なさをあげていましたが、それでも「有効的活用」を追求しよう思ったら、ムダな運転はできない、と。まして湿度高く肌荒れるからと温度はともかく除湿エアコンはかけっ放し。
 それでとった作戦が

 「ガソリンは最大10Lまで作戦」。

 …マウス投げないでくださいね。痛いので。ガソリン満タンに積めばその分長く走ることはできますが、量多く積んでいる分重いわけでしょう。その分、燃費は悪くなります。
 どうせ一定時間毎に休まなきゃならないから、その箇所をガソリンスタンドにしておけば一石二鳥てなわけで。給油は北上ではフル→古河→小平→奥多摩→檜原→八王子→福島→名取と小刻みに。ガススタの場所完全把握しているわけではないのでその分やや多目にして…実際には大体15L程度は保持していました(^^;。
 しかも奥多摩、檜原両地では「お金を“落とす”」性格上、単価が高いところでリッター多く入れたので、いままで書いた省エネ策ぶっ壊しの脈略ない行為でした(爆)まず工夫凝らし工夫凝らし歩く楽しさは味わったからよしと。こう強引に考えておくとします。
(↑皆呆れてる)。
^_^;)<このひとばかなの
うんそうなんだよ>(;^_^A

◇社会人野球・毎日旗大会の模様、今日も書けませんでしたので、これは「1大会1記述」で火曜日以降お送りします。申し訳ありません。
 また、9月19日は「違憲立法戦争法強行一年」の日でもあるので行動にも参加しますし、記事も書かせていただきます。じき国会も始まり、国民市民の拘束原則を壊す「共謀罪」や、国家自治を壊し、その上に収奪勢力の利益を置く「TPP」が待ち構えています。
 どんなに×10叩きつけられようが立ち上がってたたかわねばわんないので絶対的に諦め悪く歩いていきます。拙稿お付き合いありがとうございました。






最終更新日  2016年10月22日 09時47分17秒
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2016年09月17日
カテゴリ:私の事、色々と
今晩は。しばらく前まで暑い暑いあちゅい言っていたのがウソのように、朝夕は気温が下がり、夕方も6時になると暗くなる状況になりました。皆様いかがお過ごしですか。タイムライン、お付き合いよろしくお願いします。

 ここ1ヶ月週末といや…という具合で駆け回っていて、久しぶりに落ち着いた週末となります。この一週間、難儀しているのは外出の影響です。家だと自炊である程度の食事調整が利きますが、外食頼りになるとそこがうまくいかず。特にご飯の始末に苦しみました。
 いま、関東遠征時の記録簿を見返していますが、何分「目的最優先」で行動したもので、食事は安さを優先。さらに奥多摩、檜原、相模湖と「食事の選択肢」を多くはとれない所―この表現すみません―を歩いたので、「ご飯の小盛り」はありません。食いきれなければ「捨てる」のも選択肢になりますが、ゴミ処理の事情もあり、残すのも嫌だし…で、食事選択をしっかりした上でそれを食いきることに。

 それに思ったより車止められる「道の駅」が今回歩いたルートに無く、運転中は同姿勢等など体の循環という意味ではあまりよろしくない事が多かった。初日こそ寄ったお店で駐車場で寝るのを“黙認”させてもらいましたが、ご時世がご時世。以降は八王子の道の駅を“ベース”にしましたが、毎日ほぼ満員状態。「ネットカフェ」や「高速乗ってパーキングエリア」も考えましたが、金がねえ(泣)
 今回は栃木、埼玉、東京のカーナビ…間違えましたマップル県別地図を持っていったので道に迷うことはありません…ってことがありませんでした。相模湖・やまゆり園は東京都地図で対応利いたからいいですが、問題は「地図が古いこと」。戯れに持っていった沖縄県やら1976年の地図は問題外ですが(なぜ持っていった)、それ以外の1都2県の地図も2003年~06年あたりの地図。古本屋で500円程度のを買い求めていたから仕方ない面ありますが…。そんなもので八王子中心に変わった道事情についていけなかった(バカ笑い)大体道の駅書いてません(呆れ笑い)。東京は道の駅ひとつしかなかったんですね、

 毎年クラブ選手権用に予算とってますが、西武ドームにたどり着くには大体8回勝ち抜かなければならず、今年は初っぱなから8年連続出場中のチームとぶち当たり早々と挑戦を終えました。別大会で上位に進んだのでその分節約も図らなければならず…その中で欲を張った行動したから食事の面で皺寄せいきました。何とか体の循環策巡らして段々に体張りつめた状況からは脱しています。遠征時の行動の欠点は前から気にしていたので、5月の行動よりはそのリカバーは利かせています。これから先もいろんなこと経験できるようにその大前提になる“健康・生存”には気を付けてまいります。

◇社会活動に関わる様々。この半月だけでもかなり醜いもの見させてもらっていますよ。しかもそれが権力者と市井の汚さが融合する形で。各々が露にしてしまう「汚さ」。人間の弱さを認識はしますが、認識した結果どう行動するかが大事で、弱さに甘えてバカやっていいわけないはずですが…。「怒り」の記述ならまだ読めるものはあります。少なくとも他人に通そう思うものがあるから。

 しかし、悪意と汚さを持った一文は吐き気を催し、黙らせる効果をも持ちます。私自身も…正直言えば、あてられている部分はあります。これはなかなかしんどい。しばらく注目集まっていた蓮舫氏の件について言や、昨年7月9日に起きた“ウヨマゲドン”でしたか。単なる法制の変更をねじ曲げて「ザイニチを一掃するチャンス」と入管にかなり粗い基準で通報を呼び掛けた事態がありましたが、それを思い出しました。こんなもの再来されたら…と。

 “排外”はひとつの事象が貫徹してしまうと違うものがターゲットになりやすく。ナチスドイツは障害者排除“T4”からユダヤ人等など「協力しない者」を切り落としました。いま安倍政権下の日本にも似た空気を感じてまして、今回の件の“悪用”を懸念します。

◆尚、社会人野球・毎日旗大会の記述が抜け落ちてしまっていました。家事傾倒で思いが向きませんでした。申し訳ありません。17日分の記述はここまでにします。お付き合いありがとうございました。






最終更新日  2016年10月22日 09時47分47秒
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