六十三の巻 4月1日アップの記事ナビゲーション。
こんにちは。伊東です。 まず、本文に入る前にお詫びがあります。 3月3日記載の「四十九の巻 2月の地方議員選挙の結果+身近な政治戦の雑感。」の記事内において、8年前の山口県上関町議選で現職の町議会議員が落選していたかのように書きましたが、実際は当選していました。当時の町議の小柳昭さんと、今回の上関町の政治戦でたたかった田中照久さんはじめとした皆様にご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみませんでした。 いつもの月なら、そろそろ“集団投稿日”となる所ですが、今月はさまざま用事が重なりまして、集団投稿と言える程の原稿ができていません。小説もストーリー部分は作れず裏話一つ載せるのみとなってしまいました。六十四の巻 3月27日。青年キャラバンに帯同して。 六十五の巻 「潰される異議申し立て」跳ね返す!堀越さん、高裁で無罪!4月1日号 ここまで書いた部分での『裏伊東日記』 なので、今回の集団投稿は物足りない(伊東の作品全体がそうだよ、と言われれば何とも言えませんが)かも知れませんが、その部分どうかご勘弁いただければ、と思います。 さて、今日は一つ、悲しいことがありまして。 私の一つ年上の先輩が交通事故でなくなられました。 その先輩とは小、中学で一緒で、接点は小学生時代の児童会。 児童会選挙は会長、副会長、書記、議長が選挙の対象となり、3年生以上に投票権、4年生以上が被選挙権。会長職のみ6年から、他は4年生以上の各クラスから立候補していましたが、大体当選は6年生がしめていました。 で、86年前期の児童会選挙のとき何がどう間違ったのか7人の役員の内1人だけ5年生が当選するという事態。しかもその一人が能無し(伊東)だったもので、86年前期児童会役員の皆さんには大変お世話になったし、ご迷惑もおかけしました。その中の一番の責任者・会長職にあったのが、今回なくなられた方でした。 手間のかかる後輩だったにも関わらず、いろいろと面倒みていただき、児童会メンバーを自宅に集めて遊んだときにも学年が違うにもかかわらず積極的に誘っていただいた事にうれしい思いをした思い出もあります。残念ながら高校以降、近況聞くことはありましたが没交渉となり、どうしていたかと思う中で悲報を聞きました。 早いお別れになったことが非常に残念です。 このブログで中々扱えませんでしたが、年末にかけて一関でお世話になった方が相次いでなくなるという話が飛び込んで来ました。一人は長く病気をもっていての末、もう一人は急性的になくなられたとの事です。 春というのは、別れと出会いの季節となります。 まだ次がある出会いというのならいいのでしょうが、人の死というのは「永遠の別れ」です。次のない別れほどつらいものはありません。 この年になるとそういう別れというのも出て来ます。 去年は自分自身がそうなる所だったので人の事言えた義理ではないけども、生きている限りは精一杯で生きていきたいものですし、不条理な別れを生まないように体に気をつけていかなきゃな、と思う次第です。 今回の記事制作はここまでにしますが、4月中には一度、集団投稿ができればとは考えています。最近心の余裕を失っているので、その部分が相次ぐミスを生んでいるので、その部分気をつけて、物事にあたります。 では、拙いものですが拙稿どうぞご覧ください。 加えて…今日から新年度。新たな気分でがんばって生きていきまっしょい。