2010年08月13日

百八十六の巻 「“私”を太陽の下に晒す」だと思っていた。そこからのお話。

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カテゴリ:雑感・日記
 祖母と父がなくなってから三週間。
 物思いにふける日々も続いています。

 まだ家族4人で暮らしていたころ、こういう事がありました。
 バラエティー番組を見ていたときに、突っ込みに「サノバビ●チ」という言葉を使いまして。私は当時小学生で、その言葉の意味を知らないまま、先の単語を発してしまいました。
 そしたら父、母、兄の3人がそろって「おい!」と私に突っ込んだんですね。
 「お前それな、とんでもない汚い言葉なんだぞ」と父。
 「それを絶対外で使うな。」と母。
 「サン・オブ・ア・ビ●チ」という発音と、「ビ●チ」の意味を聞いた時、私の頭の中に浮かんだのは「ああ、●●●●を表に出して(※)歩くふしだら人間を蔑んで言うものだ」ととらえてしまい、実際両親の言うとおり外ではその言葉を発する事はなかったものの、意味合いを上記のとおりとらえ、物事を考えていました。

※“サン”を“sun=太陽”と思っていた。太陽の下で表に~と勘違い。
 あれから15年が経ったでしょうか。
 共産党の議員がセクハラ行為をして議員を辞職せざるを得ない事態になりました。
 その時、セクハラ行為を働いた事自体は発表しましたが、その詳細に関しては一切の発表をしませんでした。この事に関して「秘密主義にしないでもっと状況を説明しろ」というご意見が集中しましたが「プライバシーの問題などもあり、必要な事以外は発表しない」というスタンスを変える事はありませんでした。

 裁判になればともかく、私はこれでよかったと。
 必要以上の事を世の中にさらす必要はあるのか、と。
 たとえば被害者がどういう立場にあったか、あるいはどういう状態の人か。
 それが分かれば、次は「その人の所に話を聞きに行きたい」とか、あるいはその他の感情を(この描写で勘弁)催すかもしれません。そうなると、周りが勝手に盛り上がってしまい、該当者が落ち着いた状況にいる事が出来なくなってしまう。そういう“二次被害”防ぐためにはこういう手段やむなしかと。
 本人がそういう喧噪に巻き込まれるの覚悟で発表するのなら話は別ですが。
 ある意味で話が一番盛り上がりやすいのは、こういう「シモ世話な話」なんですね。
 シモ世話な話というのは、だんだん話が濃くなって、もっとその奥底の状況もつかみたい、という“好奇心”が沸き起こるんです。
 でもね、本当言えばそんなの知った所で必要はないものでしょ。
 その「必要のないもの」にひっかきまわされて、必要以上の負荷をかけさせてしまう事が果たしていいものか、という事考えると、どの部分においても、自らがたたかう意思持って話すものでなければ、必要以上の“追及”はしないほうがいいのではないでしょうか。
 そういう行動の一々が「●●●●を表に出して歩くふしだら」な行為ではないか、と思うわけです。

 こういうふうに言うと「人間の本性はみんなこういうもの、お前だってそうだろう」というご意見が聞こえてきますが、たとえそういうものであっても実際世の中に出てそういう行動していいものか、というのはちょこっと考えればわかりそうなものでしょ。大体“接触”行為なんか、気の許した人にしかしないでしょ。社会生活を壊すものでない限りはゴチャゴチャ語るな…そういうことです。
 こういう事象が様々見かけ、色んな意味で「さらせさらせ」とうるさい人がいる事にイラつきおぼえた事で、今日の記事書かせていただきました。
 週刊誌見れば、少し人気が…という人に対して脱ぐの脱がないのとやかましい記事も見ましてね。正直うっとおしい。

 …なんて事を考えて過ごしている中で「サン~」のホントの意味を知りました。

 「ふしだらな人の息子」という意味の、男性に対する罵倒語だそうです。

 「太陽の~」とずーっと思っていた俺って何なのと(呆)。

 改めて自分みたいなバカを捨てずに育ててくれたよな、と両親はじめ、関わったすべての人に感謝申し上げる次第です。
 自分の恥さらした所で、今回の記事制作終わらせていただきます。
 ありがとうございました。





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最終更新日  2010年08月13日 09時13分21秒
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