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『どんど晴れin一関』

『どんど晴れin一関』

義経の哀史とみちのくの山河・・・・平泉

 平泉、かつてここはみちのくの政治と文化の中心であった。北上川をはさんで束稲山を仰ぐ。訪れる人は歌を詠み、義経の哀史に涙をながす。
 12世紀、藤原清衡は中尊寺を造営、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院と父子三代、100年にわたって仏教による平和な理想郷を建設した。
 平泉はまた、薄幸の武将源九郎義経の終焉の地である。平家の公達を西海に沈め、輝かしい戦績をおさめた一代の英雄は、一転兄頼朝の反感をかうところとなり、追われる身となって平泉に落ちて来る。
 秀衡の死後、後を継いだ四代泰衡は鎌倉の圧力に耐えかね、文治5年(1189)義経を攻める。弁慶ら主従の奮戦むなしく、ついに妻子ともに自害する。ときに義経31歳であった。
 その後、泰衡も頼朝の大軍に攻められ、平泉は滅んだ。
800年の歳月を経て、堂塔伽藍のほとんどが野火などによって、灰燼に帰したが、なお金色堂など国宝・重要文化財は3000余点を数え、往時の面影を知る。 
 500年後の元禄2年、芭蕉は「奥の細道」を行脚し高館で詠んだ。

       「 夏草や 兵どもが 夢の跡 」

 縁織りなすみちのくの山河、そこには歴史と文学のふるさとである。
                        
                    岩手県平泉市 観光GUIDEより   


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