ベテスダ・柏

2003/02/17(月)06:01

【ベテスダの癒し】

【ベテスダの癒し】昨日(2/11建国記念日)の目覚め,気になる夢に心が捕われて動けなくなっていた.それは,ゴーストが浄化するような,迸る(ほとばしる)感じがした.(なんだったのだろう!!!)現実と夢の狭間が無くなり,昔,出会った場面の一幕にも思えるものだった.その夢は,こうだ・・・車の助手席に座っている知人が,私に声を掛ける所から始まる.カーラジオで経済動向のニュースが流れている.それを聞きながら,知人が運転している私に顔を向けて話しかけてくる.強い口調で「末端の弱い立場の会社・弱い者が一番初めに切られるのだよなぁー,トカゲの尻尾切りみたいにさぁー」と言って,私に問いかけてくる.その時,ベンツが前から近づき知人は,それを目線で追って擦違うのを見極めながら言葉を続ける.「今,日本はお金持ちも多いよなぁー」と・・・(「 何故 ??? 」と言うような顔をして.)私は知人の「末端の弱い者」の一言が心に引っかかり,この言葉が頭の中で何かと問答を始める.「末端の弱い者・・・子供達が迫害されて出産は,中絶に向かい,赤子までが,排除(はいじょ)されている. 小動物は,人のかってな自我とかってなストレスに居る場所も食べる物も失い追い遣られる.」そんな言葉の数々が頭の中の一点にと集中して,そして夢から目覚めて,聖書のこの個所を心に描いた.『その後,ユダヤ人の祭りがあったので,イエスはエルサレムに上られた. エルサレムには羊の門の傍らに,ヘブライ語で「ベトザタ(ベテスダ)」と呼ばれる池があり,そこには五つの回路があった. この回路には,病気の人,目の見えない人,足の不自由な人,体の麻痺した人などが,大勢横たわっていた. さて,そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた. イエスは,その人が横たわっているのを見て,「良くなりたいか」と言われた. 病人は答えた. 「主よ,水を動くとき,わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです. わたしが行くうちに,ほかの人が先に降りて行くのです」イエスは言われた.「起き上がりなさい. 床を担いで歩きなさい.」すると,その人はすぐに良くなって,床を担いで歩きだした.』(ヨハネによる福音書5.1-9) エーメンイエス様は賑(にぎ)やかな,祭りの中に在っても,「末端の弱い者」を忘れずに弱い者が集う「ベテスダの池」に自ら行って,中でも最も「末端の弱い者」に手を差し伸べて救って下さる哀れみ深い御方なのだと・・・素晴らしき救い主と聖書に出会えた思いに今日を感謝して一日が初(はじ)まった.エーメン

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