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2011年05月01日
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カテゴリ:NPO
特別病室・重監房


【特別病室・重監房】

明治政府は明40年、1907年、「ハンセン病
は非常に醜い。そして、その醜い姿で巷(たまた)
を徘徊(はいかい)する。これをそのまま放置して
あいては一等国の名に恥じる」と言うことで、
収容所を作って「ライ患者刈り」に乗り出した。
その根拠は、この病気は伝染する、この病気は
治らないと言うところにあった。
治療の道がなてのだから、収容所を作って患者
を収容して、外出を禁止して、病気の感染源で
ある患者が死に絶えるのを待って、この国から
この病気をはい根絶しようと考えた。
これが
「ライ患者隔離撲滅政策(かくりぼくめつせいさく)」
である。
こうして「ライ予防に関する件」が公布された
のである。
この法律は患者の救護を大義名分に、療養の道の
ない患者、扶養(ふよう)する人のいない患者、
つまり行くあてのない浮浪ライ者を収容する
ことにあった。
だが、大正末から昭和にかけて、その法的解釈
を意図的に変え、患者と名のつく者は全て収容
する方針へと変わったのである。
こうして昭和6年、1931年、名前も「ライ防法」
と改め、救護を目的としていたものが予防を
目的、つまり患者なら全て収容する旨を公布するので
あった・
これによって、家庭内に匿われていた患者も
強制収容されることとなった。
強制収容数が多くなることを予想して、一段と強い
園内秩序策(こくないちつじょさく)を講じなければ
ならない。そこで、園長の懲戒権(ちょうかいけん)
が絶対的なものとなり、園長の要請で患者弾圧機関
の設置が、昭和13年、1938年に栗生楽泉園に
特別病室と言う名の重監房が作られたのである。
それは、日本のアウシュヴィツとよ呼ばれたと
言う。
(アバ音楽の森主催 ハンセン病音楽劇台本より)

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神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が
思い思いの道を行くままにしておかれました。
しかし、神は御自分のことを証ししないで
おられたわけではありません。恵みをくださり、
天からの雨を降らせて実りの季節を与え、
食物を施して、あなたがたの心を喜びで
満たしてくださっているのです。
(使徒言行録14 16-17)


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最終更新日  2011年05月01日 07時00分39秒
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