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BETHESDA

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2021年08月13日
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カテゴリ:ファミリー

 五)哀しき夕陽「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より

 哈璽浜の九月はそこはかとなく秋の気配がする。その頃になると前線で傷ついた患者と共に周辺開拓団の老人や婦女子が続々とこの街に集まってきた。開拓団の婦女子の殆どははだしで、ぼろ布を身にまとっただけの姿は途中の略奪のすさまじさを物語っていた。埃っぽい人の行き交う繁華街を、麻袋一枚をすっぽりかぶった姿の女性がのろのろと列を作って進んだ。何れは寺や小学校が彼女等の落ち着き場所になるのである。
 街には殆ど健康な日本男性の姿が見えなくなった、軍人と分かれば勿論シベリアに連行されたし、軍人ではないにしても、日本人の男と見ると連行してソ連向け貨車積みの荷役に使われた。だからこの頃になると哈璽浜中で昔ながらの軍の形態を保つ団体は、この病院以外には皆無であったのである。
 街では徐々に日本婦人の姿が目に付くようになった。でもそれは、街が平静を取り戻したからと言うのではない、止むを得ず街に出ざるを得なくなったのである。軍人軍属の妻たちが、明日からの生命の糧を求めて街に出るのである。靴を磨き、万頭を売り、煙草を売り、ひまわりの種を売る。何れも略奪暴行の横行する街中で、そんな危険と隣り合わせに生きるのである。
 
 病院としても大所帯を抱えて、厳しい冬に立ち向かわなければならない。難民救済会本部に救済を申し出て米の配給を受けることになった。本部の百瀬さんには本当にお世話になった。あるいは百瀬さんとの出会いが病院を飢えから救い得た大きな手掛かりであったかも知れない。救済会本部は在留邦人が総力を挙げて難民救済に立ち上がった組織だと思うが、兎に角ここだけには比較的多くの日本人が立ち働いていた。
 馬車いっぱいの米俵を積んで病院を往復するのか、それからの私らの大切な日課のようになった。満人部落に出掛けて野菜を買うこともあった。買うといってもお金が無いから物々交換である。幸い梅毒治療のサルバルサンという特効薬に人気があり、この注射液を二- 三本も渡すと喜んで馬車一台分の野菜と交換してくれた。野菜は院内の「むろ」に貯蔵して冬に備えた。
 勿論こうした中にもソ連兵の侵入は絶え間なく続いた。病院の外壁を境として街とは完全に隔離されてはいるが、壁を乗り越えて侵入する暴漢を、衛兵も自ら避けて通るように変っていった.
 そんな中で病院も一見平静を取り戻し、限られた品だけで酒保も再開し、僅かながら書籍も積み上げて、図書室らしいものも出来た。
 院内では同好の士による同人雑誌「潤田」が発行された。教育隊の人事係飯島次作氏が音頭をとって始められた雑誌「潤田」には意外に多くの応募者があり、限られた生活の中で、これから冬に向かおうとする若者の思いが、歌や詩で綴られた。この殺伐とした生活の中で「潤田」はその語感と共に、懐かしい日本の田園風景を思わせたが、その後急激な状況の変化もあって、僅か二巻で自然消滅の憂き目を見ることになった。
 その頃になると院内の各居室は暴漢に備えて、夫々の工夫が施された。外からの合図によって中からのみ開閉する。あるいは遥か彼方の紐引くとその先端が内鍵を開け、周囲に目配りをしながら扉を開けるといった風である。これは市中に置ける日本人居宅においても同じであった。特に女子の居室は厳重に装置を施した。
 ところが、その女子の居室が襲われることになった。彼女等の入室の状況を遠くから観察していたものがいたらしい。勿論囚人兵の彼らにしてみれば、若くピチピチした看護婦の住まいが気にならぬはずがない。突然泥酔した将校を先頭に五~六人が、自動小銃を構え、日本刀を振りかざして一気に押し入ったのである。
 早速駆けつけてみると、在室していた三十名余の看護婦は、大きな室の片隅にスズメの様にかたまって抱き合っている。暴漢は目を血走らせて手招きをする。
 こんなとき我々男性のなすべきことは何だろう。武器を持たない丸腰だが、当然予期していたて事態であった。通訳が何といっても聞くわけがない。こんなときのためにあらかじめ話し合った防御の方法はただひとつ、暴漢が襲おうとする女性に、我々が先に抱きついて絶対に離れないということである。
 一人が暴漢の脇をすり抜けて看護婦の群れに転がり込んだ。すると後は次々に転がり込み危険な女性に抱きついてかばった。武器を持たない哀しさ、然しそれがある意味での強みでもあった。勿論彼らは殴りかかったり、銃で脅す。然し少々血を流したぐらいで、我々は決して離れない。これは真に切ない時間だが、その嵐が過るのを只管待つ。
 頃合を見て廊下の方から切羽詰まった声で叫ぶのだ。「ジャンダールム(憲兵)だ」彼らの唯一怖い存在である憲兵が来た、と大声で怒鳴る。すると彼らは苦々しく舌打ちして、慌てふためいて反対側の通路に駆け抜ける。
 やれやれ助かったと我々は両手を離す。しかしほっとする間もなく、扉の開閉の新しい方法を考え、工夫を始めるのだ。
 実はこの騒ぎには謹厳居士で知られる我々の教育隊長篠原少佐も飛び込んで、看護婦の群れの中で丸腰の抵抗を実践した。戦うために鍛えたはずの職業軍人が、何とも哀しい防衛ではなかろうか。
 十月も終りの頃の哈璽浜には、厳しい冬に真向かう北国のもの哀しい空気が漂う。冬に向けて周到な準備が必要なのだ。主計の責任者荒井五一郎氏、同僚五十島真氏と共に、戦前からこの地にあって巨利を得たはずの日本人資産家を訪ねて、資金調達を企画したのである。
 いつもの通り危険を考慮して、ソ連の衛兵一人を借りることにした。衛兵は自動小銃を肩に淡々と同行したが、私らは「仕事が終わったら一流の中華料理をご馳走するよ」と、手真似で話したので、嬉々として私らの後ろに続いた。
 ところが間もなく私ら四人は、キタイスカヤの街角で巡回中のソ連軍憲兵の尋問に会った。いつもならこんな道は通らないのだが、今日はソ連の衛兵を同行したので安心したのが迂闊であった。
 憲兵は先ず衛兵を呼び寄せて「何処に行くか 」、「目的は何か 」と尋問する。ところが私らが頼りにする衛兵の言葉は、まるで彼らには通じないのだ。考えてみると当然のことなのかも知れない。あれほど広大な土地の中の異民族の集まりなのだ。然しそれまで私らは、ロシヤ人にロシヤ語の標準語が通じないとは思ってもみなかった。
どうも話の内容は、日本人と組んだソ連の兵隊が銃を突きつけて辻強盗をやったと言うことらしい、果たしてそれが本当に日本人であったかどうかは別として、ソ連兵が銃を構えて脅す、そこで日本人らしい男が話し掛けて「金を強奪する」と言う事件であり、我々はその容疑者とされたのである。
 肝心の衛兵の言葉がまるで通じないのだから私らが同類と見られても仕様が無い。相手は日本語も中国語も全く通じない純粋のソ連憲兵なので始末が悪い。
 やがて私ら四人は道路脇の小店を改造したらしい駐屯所に入れられた。改めて尋問されたが一向に話が通じない。私らも片言のロシヤ語を交えて説明するが全く通じない。彼らは頭から私らを辻強盗と決め付けた尋問なのだ。凡そ二時間もかかって結局ラチがあかず、我々の連行が決まったようだ。
 二名の憲兵の他に更に六名の応援を得て、我々を連行することになった。何処に行く積りなのか分からない。処刑場に行くのか、更に調べるのかそれも分からない。
 表に引き出された、そして驚いた。あの街の雑踏がうそのように見事に整然と整理され、  
哈璽浜市中を走り回る電車が、民衆を満載したまま遥か前方にピタリと停止しているのだ。
 隊列が出来あがり隊長が点検を始めた。荒井さんを先頭に、私、五十島、そしてソ連衛兵が銃を取り上げられて後ろに続く、荒井さんの前に、一人の憲兵、更にその百メートルほど先を二人の兵隊が大声を上げて混雑の町を二つに分けて整理をする。私共を縦一列に並べたのは私語を避けるのが目的なのだ。左右に各一人の憲兵、後ろに隊長と他の一名が続いた。
 隊長が出発を命じた。前方も左右も見事に整理されたこの繁華街を、私ら四名が粛々と進んだ。勿論互いに話すことは出来ない。夫々の思いを胸に足の向くまま進むのである。
 民衆は「これは処刑だ…」と、思い込んでいるらしい。私もそうだと覚悟を決めた。諦観するということは恐ろしいことだと思う。急に清々しい気分になったのである。私は胸を張って面を上げ、しっかりと一歩一歩を踏みしめた。民衆の前に止められた派手なマーチョ( 馬車) の上から、きらびやかに着飾った衣装の日本人らしい女性が両手を合わせて頭を垂れた。本当に処刑されるのかもしれない、いやそうなのだ。然しそれを避ける術のないということの現実が、更に私の落ち着きをとり戻した。
 私らの列の後ろで、真空地帯はたちまち解けて雑踏が蘇ったようだが、私らの列は次々に展開する哈璽浜の広い舗道の空間を夕陽に向かって進んだ。
 繁華街の行き詰まりを隊列は右に曲がった。急に河風が吹きあげてきて、松花江の一端が薄暮の中に霞んで見えた。隊列はいかつい建物の有刺鉄線に沿って裏から回り玄関に立った。戦前は政治犯用に使われた巨大な刑務所であった。
 鉄の扉が内から開かれた、入口から三つ目の監房に入れられた。建物の中央円柱に設置された監視所は自由に回転するように仕組まれ、一階から三階までの各房を一斉に見渡せる様であった。二坪にも満たないこの監房に衛兵を除いた三人が入れられたが、片隅に凍った糞尿が彫刻のように積み上げられているのを見てこの先が思いやられた。
 兎に角三人はぺたりと床に腰を下ろした。ざらついた石肌を通して厳しい寒さが脚から腰へと上がってきた。
 一番年老いた荒井さんが凍えた脚を抱くようにして言った。「こりゃぁ駄目だわ」
 私も、あの死に向かって行進したときの爽快感がいつの間にかしぼんで、足先の凍えを両手で包んだ。松花江の河風が玄関の扉の下から砂埃と共にじわじわと寄せてくる。
 「駄目かなぁ」と思った。
 五十島に目をやると、彼も防寒帽に両手を当てて、じいっと目を閉じている。
(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)

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最終更新日  2021年08月13日 23時03分21秒
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