上級者への解説 6、クリシュナを得んとせば、まずはラーダーラーニーの慈悲を得よ
この話はバクティ・ヨーガの最高機密です。安易に読まないで下さい。ヴァイシュナバの哲学の真髄が理解できていない人には絶対分らない内容です。クリシュナを得んとせば、まずはラーダーラーニーの慈悲を得よ「人を射んとせば、先ず馬を射よ」人を思い通りにするには、相手の頼みとしている物を攻め落とすのが成功の早道であるという教えである。「クリシュナを得んとせば、まずはラーダーラーニーの慈悲を得よ」である。クリシュナはプレマに縛られる、プレマに支配される。プレマの段階に来た人の召使いにならないといけない。だからプレマは簡単に与えない。プレマとは喜びのエネルギー、フラディーニ・シャクティが凝縮したものである。そしてフラディーニ・シャクティとはラーダーラーニーのエネルギーである。「主クリシュナの感覚を喜ばそうという欲求がプレマである」(CC-Adhi 4-165)とある。クリシュナへの無条件の愛がプレマである。それはシクシャースタカの最後の節に説明されている。そのプレマの心情で最高にクリシュナを喜ばせる方、それがラーダーラーニーである。ラーダーとはラード(崇拝する)とアーとからなる。アーには二つの意味があり、その解釈によりラーダーはアーラーデャ(全ての人から崇拝を受ける人)とアーラディカ(最高に崇拝する人)に分けられる。ラーダーとはクリシュナ自身さえもが崇拝しようとするお方、クリシュナを最高に崇拝するお方という意味になる。クリシュナにとって相思相愛の関係にあるお方である。クリシュナの頭の中には一つの質問しかない。「ラーダーはどこで、なにをしている?」これ以外の興味はない。ラーダーも「クリシュナはどこで、なにをしておられる?」これだけが興味の対象である。「私に仕える者は真の献愛者ではないが、私の献愛者に仕える者は真の献愛者である」「私は慈悲を持っていない。クリパ・ムクティ、クリパ・シッディ(双方献愛者を指す)が私の慈悲の姿である」「主チャイタンニャと主ニッチャーナンダは無知無明を消し去り二種類のバーガヴァッタに出会えるようにしてくださる。この二つとはシュリーマド・バーガヴァタムと純粋な献愛者である」ラーダーラーニーこそ献愛者の筆頭者である。ラーダーに仕える者が献愛者、クリシュナを得る慈悲を与える方がラーダー、献愛者としてのバーガバッタがラーダーである。ラーダーラーニーの様相の理解が与えられるとプレマを越えた段階に、スネーハ、マナ、プラナーヤ、ラーガ、アヌラーガ、バーヴァ、マハーバーヴァがあることが分る。マハーバーヴァはさらにルッダ、アディルッダに分けられアディルッダはさらにマダンとモハンに分類され最終的にはマダナッキャ・マハーバーヴァという最高至上境地へと辿り着く。このマダナッキャ・マハーバーヴァはラーダーにだけ与えられた境地であり、クリシュナでさえこの境地には入れない。もしクリシュナがこの境地を味わいたいなら、ラーダーラーニーと合体しなければならない。クリシュナはリーラ・ラリタである。クリシュナだけがラーダーに触れることが出来る。ゆえにクリシュナはラーダーだけが持つ恍惚愛を味わうため主チャイタンニャというラーダーラーニーと融合した様相で献愛者の姿を取り降誕された。そして唯一慈悲を与えられるお方、唯一クリシュナを与えて下さるお方としてサンキールタン・ヤッギャ(主の聖なる御名を集まって唱える供犠)とマハー・サーダナ(チャンティング)を奨励された。主チャイタンニャはこのナーマ(ハレークリシュナマントラ)の中にラーダーラーニーを忍び込ませた。ハレークリシュナマントラハレークリシュナ ハレークリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレーハレーラーマ ハレーラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレーこのマントラは「ハレー」「クリシュナ」「ラーマ」の三語からなる。「ハレー」はハリ(奪い取るというクリシュナの御名)とハラーの意味がある。ハラーとは、アギャータ・ハラー(ラーダーラーニー)のことを指す。「クリシュナ」は全ての喜びの源という意味である。この喜び(アーナンダ)とはフラーディー二・シャクティ(ラーダーラー二ー)である。「ラーマ」とは愛の交換に長けた人という意味である。究極的にはラーダーラーニーに喜びを与える者(ラ-ダー・ラマン)という意味になる。ラマンとは最高の完成、マドゥリヤ・ラサ(アディ・ラサ)の完成という意味である。このマントラの中にはクリシュナとラーダーが同時に存在していることが分る。「ハレー」だとラデー、「ハラー」だとラーダー。つまり「ハレー・クリシュナ」とは「ラデー・クリシュナ、ラーダー・クリシュナ」のことである。このマントラを唱える人の舌の上でクリシュナが踊ればラーダーが惹きつけられ、ラーダーが踊ればクリシュナが惹きつけられる。ラーダー・クリシュナがゴウローカ・ヴリンダーヴァンから降りてくる。「16の音節、32の言葉からなる聖なる御名は、私たちを【ラーダー・クリシュナ・スタラナン】ヴラジャのラーダー・クリシュナのもとへ誘ってくれる」【パドマ・プラーナ】「ただ主チャイタンニャを思い出すだけで、非常に困難なことが簡単になる。だが主チャイタンニャを思い出せなければ、簡単なことでも非常に困難なものとなる」 これを主チャイタンニャをラーダーに置き換えて読んでいただきたい。ハレークリシュナマントラの中にラーダーを思い出すだけで全てが簡単になる。クリシュナがナーラダム二に言っている。「私はヴァイクンタにもいない。ヨーギーのハートにもいない。私はどこにいる?ナーラダよ」 その答えが【パドマ・プラーナ】に書かれている。「私は献愛者が唱えている所にいる。私の栄光を歌い、称えている所にいる。そこに私を見つけられる」バクティシッダンタ・サラスヴァティーはジャガンナータ寺院のガルーダ・スタンバの横に立って主ジャガンナータの神像を眺めた。なぜなら主クリシュナは純粋な献愛者をいつも見ているからである。ガルーダの像の横に立てば、純粋な献愛者であるガルーダを見たついでに自分が主に見てもらえるからである。同様にラーダーラーニーの横にいれば主は必ずラーダーを見たついでにその傍にいる人を見て下さる。それ以外に主の目に留まる機会はない。だからいつもラーダーの御名を唱えその慈悲を請わないといけない。ハレークリシュナマントラを唱えればかならずそこにラーダーが来て下さる。クリシュナはいつもラーダーを探しているからそこにクリシュナも現れる。私達のプラヨージャナ(最終ゴール、目的地)はプレマであると主チャイタンニャは説かれた。プレマとはラーダーである。ラーダーに辿り着けば、ラーダーがその慈悲でクリシュナとの永遠の交際の中に入れて下さる。ハレークリシュナマントラより尊い宝は他には存在しない。なぜならその中にラーダーがいて下さるからである。あなたがその宝の重要性に気づいたならもう他のものは望まなくなる。職業吟唱家からラサダンスの話を聞かなくても済む。ラーダーの慈悲で不安、苦悩から永遠に解放され物質の穢れから自由になる。ラーダーの一瞥で全てのカルマが灰となって消え去る。「あなたのつま先は、無限の富と完成を授ける。おお、シュリーマティ・ラーディカよ、いつあなたは、慈悲深い一瞥を私に投げかけて下さるのか」これは主シヴァの祈りである。ヴリンダーヴァンのラーダーラーニーのご神像