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『第3の茶室』 掛け軸 Bhagavad-gita第3章16節から 愛するアルジュナよ ヴェーダによって規定されたこと(供犠)に従わないものは 必ずや罪深い生活を送り 感覚の喜びのみに浸ってむなしく生を終える 『解説』 ある科学者が家に友人をまねいて、太陽系の模型をみせた。太陽のまわりをゼンマイでうごくよくできた模型であった。友人がだれがつくったのかとたずねた。科学者はある朝おきてみたらここにあったと答えた。友人はこんな精巧な模型が朝おきたえら突然ここにあったなんてしんじられない。だれかがつくったはずだと問いただした。すると科学者は「そうおもうだろう、宇宙をみてごらん。あんな精巧な天体が偶然朝おきたらあったなんてかんがえるかい。だれかがつくったとかんがえるのが当然ではないか」といった。 この茶室の掛け軸にかかれてあるのはクリシュナの言葉である。 「ヴェーダ」とは知識という意味のサンスクリット語である。クリシュナはこの物質宇宙の取扱説明書をつくった。それが「ヴェーダ」である。今の時代でいうとナビゲーションとかんがえてもよい。 また取扱説明書には問題が生じたときの解決法も載っているはずである。ダイソンの電気製品の取扱説明書をつくれるのは、それを製造したダイソンだけである。この宇宙の取扱説明書をつくることができるのは、この宇宙をつくった人ということになる。 クリシュナは次のように語っている。「全ては私を起源として生じた」【バガヴァッド・ギーター第7章6節】、「私は精神界、物質界全ての根源。私から万有万物は発現する」【バガヴァッド・ギーター第10章8節】ここからもクリシュナが創造主であることがわかる。 「ヴェーダ」には正しい道をあゆみ自分の本当の家にかえるためにしたがうべき規定がしめされている。物質(不要なもの)を多くもたず質素にくらすこと。肉体とそれに関するものに過度に執着しないこと。供犠をおこなうこと。グルを受けいれ自分の正体と真の義務をしること。いちばん大切なのはクリシュナを喜ばすためにはたらくこと。 世の中の多数派は「ヴェーダ」にしたがわない。努力して勝ち得たものを自分がたのしむために独占しようとする。人生の目標を自分がほしいものを手に入れ、自分がすべてをたのしむためにあるのだとかんがえる。それは人生の目的を逸脱したことになり罪をかさねることになる。むなしい人生となる。むなしい人生とは、生と死の束縛から脱出できない人生である。 私たちは過去世において物質界で長い間輪廻転生を繰りかえしている。その癖で自分が多くのものを支配してたのしみたいとおもうのはしかたがない。それを無制限に追求するのではなく「ヴェーダ」の規定にしたがって規制したものにしていく。それが知性のある人間のとる道である。 多くの人は「ヴェーダ」を無視し罪深い活動をする。肉食し、飲酒・喫煙し、賭け事をし、婚姻外の性生活をする。それは動物生活とかわりがない。そうやって多くの罪をおかしているから贖罪(罪滅ぼし)が必要である。贖罪に最も効果があるのは供犠である(「捨ててこそ青春だ10章」、『第5の茶室』参照)。 罪をかさねる行為からぬけだし正道へともどるためには「ヴェーダ」を人生の道標としなくてはいけない。そうしないと、人生の大半をかせいで、食べて、寝て、酒をのんで、株を買って、ゴルフをして、宝くじを買って、競馬にいって、映画をみて、性欲をみたすことなどに使ってしまう。ほとんどの時間をそうやって捨てて「ヴェーダ」に接する時間などまずありえない。時間とは君たちがかんがえているよりも、はるかに貴重で重要なものである。 クリシュナはアルジュナに「ヴェーダ」にしたがい義務を果たしなさい。軍人として戦いなさいとカルマ・ヨーガを説きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 3, 2012 12:01:55 AM
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