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『第4の茶室』 掛け軸 Bhagavad-gita第4章17節から 活動(カルマ)の諸相はまことに複雑にして神秘であり これを理解することは実にむずかしい ゆえに人は活動(カルマ)と誤活動(ヴィカルマ)と無活動(アカルマ)について 正しく学ばなければならない 『解説』 サンスクリット語のカルマという言葉は「活動」、「行為」などという意味をもつ。どういう活動をするかでそれに応じた結果が与えられる。「ヴェーダ」はこの活動を三種類に分類し説明している。カルマ、ヴィカルマ、アカルマである。まず「ヴェーダ」の教えを受けいれる人とそうでない人がいる。この教えにしたがわず自分勝手に気のむくままに好きなように活動する。自分にとっての損得、好き嫌いの判断で欲求をかなえようとする活動はヴィカルマということになる。罪をつくることになる。自分の本当の家にかえるための活動はアカルマである。 しかし、物質でできた生身の肉体をもちながら物質的欲求を捨てて「ヴェーダ」の最高の教えであるバクティ・ヨーガにしたがうのはむずかしい。だから無制限に自分の欲求を追及するのではなく、節度をもって自分の感覚を制御するように練習する。「ヴェーダ」のゆるす範囲で一定の感覚満足を受けいれ、自分の義務をしり質素に生活するようにつとめる。これが「ヴェーダ」にしたがう活動でありカルマという。カルマが実行できたなら来世でのいまわしい生物形態への転生はさけられる。私たちは来世でまた人間に生まれかわるとはかぎらない。物質宇宙は14層あり生命形態は840万種類ある。ヴィカルマをすれば地獄や動物に生まれかわる危険がある。 「ヴェーダ」にしたがう人には二種類ある。自分を楽しませる気持ちをもちながらしたがう人と、自分は魂であると気づき物質とのかかわりをへらそうとする人。享楽の道と放棄の道がある。人がもし幸運にも正当なグルを受けいれアカルマの方法をまなび修練をつづけると、少しずつ不要なもの「アナルタ」を放棄して捨てることができるようになる。不要なもの「アナルタ」とは肉体に関するものすべての総称である。そしてグルの指導を得て浄化されたなら最後にはすべてを捨ててクリシュナだけに供犠をするようになり、それをバクティ・ヨーガ(献愛奉仕)とよぶ。「ヴェーダ」にしたがうカルマでの活動は新たに罪をつくらないが、今までに積みあげてきた罪を消すことはできない。罪という負の遺産を消しさることができる活動がアカルマである。罪が消えて肉体意識から自由になるとクリシュナが本当の父親、保護者だとわかりクリシュナとの関係を再確立する。もうそこには一切の不安はなくなり、死後捨身して精神界の本当の家にかえりつく。二度とこの苦しみにみちた物質界には生まれない。生死の繰りかえしの束縛から自由になれるのはアカルマの活動だけである。 【ヴィカルマ】「ヴェーダ」にしたがわないで自由を誤って使い、自分を下等な生物形態にみちびく活動 【カルマ】「ヴェーダ」で自分に定められた規則を義務としておこなう活動 【アカルマ】「ヴェーダ」の結論を理解し生と死の繰りかえしから解放させる活動 今の時代に実践できるアカルマの活動とはまずクリシュナをいつも想い、わすれないこと。主クリシュナの聖なるみ名を聞き、唱えることである。現代は「ヴェーダ」が定める四時代のうちカリ・ユガという最悪の時代である。カリ・ユガに薦められている供犠(ヤッギャ)がサンキールタン・ヤッギャ、つまり主の聖なるみ名をあつまって唱えることである。 主の聖なる名前をあつまって唱えるヤッギャ(供犠)。唱えると聞くが同時になされます。 また、ひとりで静かに唱えることをジャパといいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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