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『第9の茶室』 掛け軸 Bhagavad-gita第9章18節から 私はすべての目的であり、保護者、主、目撃者である 郷であり、慰めであり、最も親密な友である 私は創造であり、破壊であり、万有の基礎である 私は憩いの家であり、永遠の種子である 『解説』 『バガヴァッド・ギーター』で説明されている主要項目は次の5つ。 1)イーシュワラ(至上の支配者。監督者) 2)ジーヴァ(あらゆる生物。支配者の監督、統制をうけているものたち) 3)プラクリティ(物質自然) 4)カーラ(時間。宇宙、物質自然現象の存続期間) 5)カルマ(生物の活動、行為。その反動) 君たちは人生の目的、ゴールをどこにおいているだろうか。はっきりと答えられるだろうか。漠然としてはっきりしていない人が大半であろう。しかし目的地が決まらないと電車の切符さえ買えない。みんなが乗っているからなんとなくその電車に乗る。しかし行き先はよくわからない。君たちの人生はそんな状態である。自分がするスポーツを決めないとスポーツ店にいってもどの道具を買ったらいいのかわからない。 私はすべての目的である、とクリシュナがおっしゃっている。ゴールはクリシュナに辿りつくことだと判明した。ジーヴァはそれぞれクリシュナと永遠の関係をもっている。ゴールに辿りつくとはその関係を回復することである。主との永遠の関係(ラサ)には、中立、主従、友人、親子、恋愛の種類がある。精神界では個人的に主と交際するためどれかの関係が与えられる。 しかしこの物質界では主との関係をわすれてしまう。この世界では創造、維持、破壊が繰りかえされる。一時的なあわただしい世界といえる。物質界には必ず始めと終わりがある。つまり時間という概念に支配される。だからたのしいこともかなしいことも永遠にはつづかない。それぞれやがて消えてはまたおこる。それを繰りかえす。この世界が自分の住居であり、ここにいつづけたいとかんがえるのは幻想である。主はアルジュナに、「この世ははかなく悲苦に満ちた地である」とおっしゃった。そして、「私への献愛奉仕をしてすみやかに本来の故郷である精神界にかえりなさい」とおっしゃった。献愛奉仕とは主について聞くことと唱えることからはじまるプロセスである。 ジーヴァにはすべて父親がいる。君たちにも父親がいる。全生命体には必ず父親がいる。しかし唯一父をもたない生命体がいる。それがイーシュワラであり、パラブラフマン(至高の魂)、パラマートマー(目撃者)であるクリシュナである。種をまきすべての魂を創造したのは永遠の保護者であるクリシュナである。主はアルジュナの親密な友となり、彼を救いたい一心でこの『バガヴァッド・ギーター』を語られた。 クリシュナは畏怖の念をもって崇められるような神ではなく、友人としてたすけてくださるような優しい方である。名前をよんだだけでたすけにきてくださる。名前をよぶのにお金などいらない。今すぐにでもはじめられる。物質生活をしている人は夢をみている人にたとえられる。大金持ちになる夢をみても実生活は貧乏、虎におそわれる夢をみても実際には安全である。目覚まし時計の音で目がさめたとき、人は本当の状態をしることになる。同様にクリシュナのみ名という超越的な音を唱える人は夢のような物質生活から本来の精神生活へと目覚めていくのである。病気のために処方された薬によって体調が回復するように、マハー・マントラを唱えることにより心が浄化され純粋になっていくのである。 『ハレー・クリシュナ ハレー・クリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー / ハレー・ラーマ ハレー・ラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレー』 ハレーという言葉は主のエネルギーによびかける形である。クリシュナとラーマは最高のよろこびという意味である。主の最高のよろこびのエネルギーにたすけられて私たちは主に近づくことができるのである。 「バガヴァッド・ギーターこそ、この世に現存しうる書物のなかで、最も賞賛され、評価されるべきものである」【アーサー・ショウペンハウエル】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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今回もいろいろと勉強になりました。
有難うございます。 >「バガヴァッド・ギーターこそ、この世に現存しうる書物のなかで、最も賞賛され、評価されるべきものである」【アーサー・ショウペンハウエル】 いいですね。 転載させていただきます。 (Sep 7, 2012 09:26:17 PM)
自然農ダ-スひっきぃさん
>今日大阪でギータークラスでした。昼3時から始まり、夜9時まで盛り上がりました。 (Sep 7, 2012 10:38:24 PM) |
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