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『第15の茶室』 掛け軸 Bhagavad-gita第15章15節から わたしは全ての人の中に住み、記憶と知識と忘却を与える 全ヴェーダはわたしを知るためにあり わたしが全ヴェーダを知り わたしがヴェーダンタの編集者である ![]() 『解説』 最高人格主神クリシュナはすべての生命体の心のなかに個人の魂(ジーヴァ)と一緒にいることがわかる。だからクリシュナはすべての人の友だということである。しかし私たちは主がいつも一緒にいることに気づいていない。「ヴェーダ」の知識に出会わないとそのことに気づかず一生を終える。月がたくさんのバケツの水のなかにうつるように、主はすべての生物の中に分身して存在する。その分身した主をパラマートマー(随伴者、目撃者)という。だから個人の魂はクリシュナからはなれることはできない。 私たちは独立してなんでも自分で決定して行動できるとおもっているが、パラマートマーとしての主の認可がないと行動とその結果は成立しないのである。君たちがなにかをしようとしても、主がみとめないとその計画は頓挫してしまう。主が背後ですべてをコントロールしているとわかっている人は心のなかに灯かりがともっているといえる。知識の光により正しい視野をもっている人である。 記憶と知識は自分の力で獲得できない。主が与えるとはっきり言われている。またどういう知識がほしいのかもポイントになる。自分が支配者でたのしみたいとかんがえていれば、主はその望みをしり一時的ではかないものを手にする知識を与える。人生の本当の目的がしりたいと心底望んでいる人には「ヴェーダ」に接する機会を与えてくださる。そしてその人の理解と熱意がふかまるとグルをおくってくれる。 忘却もまた主からくる。クリシュナは「私は時、諸々の世界の大破壊者である」【バガヴァッド・ギーター第11章32節】といっている。時はすべてをわすれさせる力である。時とともに物質は劣化する。体や家や道路も時間がたつと古くなる。物質はしばし存在したあと最終的にはかならず破壊される。しかし魂は永遠な存在なので破壊の対象ではない。ヤドカリが小さくなった不要な貝からでるように、私たちもやがて肉体から追いだされる。そして服を着がえるように新しい肉体にはいるのである。 「ヴェーダ」はクリシュナがつくったと宣言された。主はプールナン(完全)である。全知全能である。一切の欠陥、誤謬がない完璧な人。イーシュワラ(至上主)である。主の手によるものは完璧であるゆえ「ヴェーダ」は完璧な知識ということになる。人間がつくったケチな書物ではない。したがえば成功が約束される。多くの先代のアーチャリヤ(自ら模範をたれて教える人・グル)もこの教えにしたがい解脱を得た例には枚挙にいとまがない。 「ヴェーダ」の知識なしでは肉体からの解放は得られず物質界でいつまでもさまようことになる。物質界ではしあわせになれない。不幸の切れ間がしあわせと勘違いする世界である。魚が陸に上がったらただ苦しむだけである。水にもどれば生き生きとおよぐ。君たちも水を得た魚になれる。本来の家にかえり生き生きと喜びのなかでくらすには「ヴェーダ」からその方法をみつけないといけない。 クリシュナが神であることをしり、たすけを請わないといけない。クリシュナのみが真の救済者である。「ヴェーダ」は相対世界(物質界)のものではない、絶対世界(精神界)からきた教えである。だから絶対真理が説明されている。これ以上の贈り物はない。クリシュナがどういう人であるかがわかれば、自分がだれなのかがわかる。 ![]() 全ヴェーダは、わたしを知るためにある。とクリシュナは宣言された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 12, 2012 09:50:09 PM
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