上級者への解説 3、最期の瞬間まで
この上級者向け解説シリーズの閲覧は、『茶室』を丹念に読みその内容を理解した人だけにしてください。くれぐれもお願いします。Till the last minute / October 1977 , Vrindavana最期の瞬間まで / 1977年10月 、 インド ヴリンダーヴァンにてこの説教は1977年にヴリンダーヴァンのクリシュナ・バララーム寺院にて病床にあり、もはや起き上がることもできない状態にあった尊師ACバクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダが最期の瞬間まで弟子にヴェーダの教えを説いた記録である。尊師は最後の教えにあたり、ヴェーダの最重要事項を弟子に伝えている。この教えはヴェーダの結論であり人生の成功には必要不可欠な核心の課題である。尊師が最期に伝えたかったヴェーダの真髄である。尊師の最期の言葉からその内容の重要性を受け止めないといけない。内容は簡素だが最期の教えとして鬼気迫るものがある。尊師が最期に選んだ教えのテーマは何であったか、心して聞いていただきたい。If we engage devotional service , we get in different nature.「もし私達が献愛奉仕に従事したなら、私達は今とは違った自然を得るのです」And if engage in business of sense gratification , the result is bad.「そしてもし感覚満足という仕事に従事したなら、結果は悪いものになります」And according to the association of material nature , we get a body.「物質自然とのかかわりによって、私達は肉体という容器に入れられる」弟子がBG 第13章 – 22節を読む。「このように生命体は物質自然の中にあって特定の生活様式に従い、物質の三様式を享受する。このように生命体は様々な種の中で善や悪に遭遇する」Therefore we should always seek good association,「だから私達はいつもよい交際を求めるべきである」devotee association,「それは、献愛者との交際である」Then our life will be successful.「そうすれば私達の人生は必ず成功へと到る」 この後1977年11月14日、19時30分。尊師は81歳の生涯を終え精神界に戻られた。尊師が最期に伝えた弟子への教えは「サドゥサンガ(献愛者との交流)」であった。私達の至上主クリシュナに対する信念、確信はクリシュナに仕えている人との交際で得られるのだという奥義を、その最期の教えとされたのである。尊師のグルであるバクティシッダンダ・サラスヴァティ・マハラ-ジも「ただ単に名声、地位、物質的な独立、感覚満足への欲望から人は献愛者との交際を離れるのだ。交際を離れ一人で唱名するのはチャイタンニャ・マハープラブの教えではない。主チャイタンニャのサンキールタン運動は多くの人が一緒に集まって主の聖なる御名を唱えることである。そろって、ハレークリシュナ・ハレークリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハレー/ハレーラーマ・ハレーラーマ・ラーマ・ラーマ・ハレー・ハレーを唱えること、一緒に主の聖なる御名の栄光を称えることである。個人的な立場は主の教えの意味するところではない」とおっしゃった。人里離れた場所で主の聖なる御名を唱えたいという思いがあるなら、それはあなたの人生を成功させるには到らない。そのような行為は自分自身と他の人を欺いていることになる。自分を聖者だと思わせたい偽の自我がそこには存在する。そこに成功はない。主チャイタンニャの考えとあなたの考えが一致していないことになるからである。主と私達の考えが一致しないとバクティ・ヨーガは成立しない。クリシュナは【アディ・プラーナ】で「私に仕えている人は私の真の献愛者ではないが、私の献愛者に仕えている人は私の真の献愛者である」と言っている。献愛者と離れてどうして召使いとして仕えることが出来ようか。尊師ACバクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ