
<018>
「ウェブ進化論」私的検証019---第一章 「革命」であることの真の意味 その4
----------------------------------------------------------
ネット世界の三大法則 p034
「インターネット」「チープ革命」「オープンソフト」という「次の10年への三大潮流」が相乗効果を起こし、そのインパクトがある閾値(いきち)を超えた結果、リアル世界では絶対成立しない「三大法則」ともいうべき全く新しいルールに基づき、ネット世界は発展を始めた。 p034
「インターネット」「チープ革命」「オープンソフト」という「次の10年への三大潮流」が相乗効果を起こし、というところは分かる。なんという名前であろうと、電子的ネットでさまざまな情報がネット化するのはもう当然のことだ。価格も、ある一定程度のところで底値というものがあるだろうが、その底値まで、さまざまな高価だったサービスが下落しきて、限りなく多くの人がその技術なりサービスを享受できるようになるだろう。
だが「オープンソフト」については、まだ、その発展途上だ。その可能性がどんどん拡大しつつあるとしても、まだまだ確実な、世の中の「常識」とまではなっていない。だが、このオープンソフトが、これからの未来の大きな鍵を握っているのだというところまでは分かった。必ずしも技術者ではない私達も、それを「使う」ことによって、その潮流を促進することができる、ということまでは分かった。しかし・・・
その「三大法則」とは、
第一法則 : 神の視点からの世界理解
第二法則 :ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則 :(≒無限大)*(≒ゼロ)=Something’あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積 p034
三大潮流と三大法則は、言葉が似ているから看過しそうだが、まったくお話の次元が違う。三大潮流のほうは、たしかにweb2.0としてすぐ認めざるを得ないような内容だが、三大法則のほうは一つ一つ、ゆっくり検証しなくてはならない必要を感じる。
まず、第一法則 : 神の視点からの世界理解という時の「神」という言葉にはどうも納得いかない。著者は、かつて「神」について考察したことがあるのだろうか。こんなところで、この言葉を使ったりすれば、キリスト教どころか、イスラムや、仏教の世界からも総すかんを食うのではないだろうか。これは著者の造語なのだろうか、それとも、何かを訳したのだろうか。いずれにせよ、その意味するところはともかくとして、この言葉を使うことには反対する。
第一の法則の「神の視点」とは、「全体を俯瞰する視点」のことである。 p034
であるなら、まず、私はこちらの「全体を俯瞰する視点」という言葉を一貫して使うことにする。なんとなく著者がいおうとしていることは分かってきたが、しかしながら「全体を俯瞰する」なんてことはできない。できると思うのはそれは、「全体」を知らないからだ。
たしか、孫悟空だったと思うが、宇宙の果てまで行って、五本の柱が立っているところにションベンを引っ掛けてきた、と自慢していたことがあった。しかし、それは単にお釈迦さまの手の平の中で遊んでいるだけで、五本の柱、と思ったのは、お釈迦さまの5本の指にすぎなかった、というお話がある。私は、この第一法則を聞いて、まずこの逸話を思い出した。
神という概念をつかわないとして、それでもまだ「全体」を俯瞰する、ということはできないだろう。確かに、現在よりは、比較にならないほど拡大された、厖大に集積されたデータが集まるのだから、そのような超人感覚を持ってしまうかもしれないが、それは単に比較の問題であって、いつまで経っても「全体」に達することはない。それは無理だ。
たしかにgoogleローカルなどは、地球の地図を、空からつなぎ目のない航空写真のように、一つの地球としてみることができるようになった。たしかに、いままでなら、ごくごく選ばれた宇宙飛行士しか持ち得なかったような視点を、簡単にお茶の間にいて、持つことができるようにはなった。しかし、それは飽くまで限定つきのものだ。「全体」ではない。
まぁ、続いて著者が書いていることを読めば、まぁ言わんとしていることは、分からんでもないが、すこしオーバーな表現は慎んだほうがよいと思う。このままでは、余計な誤解を生んでしまい、物事を複雑化してしまう危険性さえ感じる。
<20>につづく