地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「インターネット的」
糸井 重里著 2001/07 PHP研究所 新書 236p
★★★★★
当代随一の人気を誇るコピーライターにして、随筆家、クリエーター。その彼がパソコンを始めたのが1997年11月。その後、一世を風靡した「ほぼ日刊イトイ新聞」というHPを始めたわけだ。彼のHPのアクセス数は日に35万とも言われていた。私はほとんど見たことないが、娘が学生時代にそのHPを通じて特製の腹巻を買ったらしいし、調子がよくて、二枚目も買ったらしい、ということは知っている。
その彼が、「ほぼ日」活動を通じて感じたことを一冊にまとめたのがこの新書本だ。インターネット生活を4年間経験して2001年7月に書かれている。時代のアンテナである彼のセンスも、今、5年という時間を通して振り返ってみると、ドッグイヤーといわれるITやインターネットの世界では、あまりにも古びて見える。
当時、日本においては、「イット革命」の森内閣を次いで小泉内閣が成立したばかりであり、アメリカ・シリコンバレーはITバブル崩壊で病弊していた。あの時代を画してしまった「9.11」の事件さえ、まだ起きていない時代のことである。さすがに糸井とは言え、この5年間の急変は予測できなかっただろう。
この本、インターネットではなく、インターネット「的」というところにポイントがある。全編、アナロジー(類推)で書かれていると言っても過言ではない。
アナロジー、といえば、「ウェブ進化論」においては、禁じ手として封印されてさえいる。ちょっと長いが、梅田望夫氏のあとがきを引用しておこう。
皆さんは社会経験が豊富だし、過去のIT応用例などにも精通している。だから今ネット社会で起きようとしている新しい現象を、どうしても何かのアナロジーで考えようとするのが習い性となっている。ネット世界を丸ごと身体で理解している若い世代とは全く異質の叡智を総動員し、新しい現象に対する理論武装を試みるケースが多い。
しかし、そういうアプローチが導き出す結論は、ネット世界の可能性の過小評価と、若い世代に対するやや悲観的でシニカルな視線である場合が多くなる。そのアプローチを改めてほしい。ウェブ進化を、アナロジーによってではなく丸ごと理解してほしい。そこが「お互いに理解しあうことのない二つの別世界」が生まれて問題が深刻化するかどうかのカギを握る。私はこの本書くことを通して、皆さんにそういうメッセージを届けたかった。p248
本著「インターネット的」においては、インターネット、ホームページ、メール、キーボード、などなどの数語のIT用語がでてくるにとどまる。意図的に「とどめている」と言ってもいいだろう。2001年当時においては、糸井ばかりではなく、世間一般は、それらの用語にまだまだ違和感を感じていた。「IT革命」を「イット革命」と読んだ森喜朗・前首相でさえ、言い改めても「アイテー革命」と読むにとどまっていた。
そういう時代を通じながらも、明らかにIT、デジタル、インターネットの世界は、われわれの社会に大きく進出している。糸井の近著は勉強不足で読んでいないが、いくら糸井でも、この現在においては、あれほどのアナロジーを多様してインターネットを語ることはできないだろう。それではあまりにカマトト、恥ずかしすぎる。彼が類書を現在書くとするなら、かなりのIT用語を駆使した技術書になるかもしれない。
その中にあって、本著の中になんどかでてくるアナロジーの中に、「正直は最大の戦略である」という社会心理学者の山岸俊男氏の言葉の引用がある。つまりは「相手をだましたり裏切ったりするプレイヤーよりも、正直なプレイヤーのほうが、大きな収穫を得る」という、ゲームを通じて行った実験の結論部分である。
私はこの辺の部分の糸井が大好きだ。私の言葉で言えば、「トップ・シークレットは、オープン・シークレットだ」ということになる。裸の王様とは、パラドックスではなくて、王様は裸であるべきだ、と思う。陰謀論とか神秘主義とかはスノビズムとしては嫌いではないが、自分の生き方なら、あけっぴろげが一番だと思っている。
さて、さらにアナロジーついでに、本著の中でもっとも共感した部分を引用しておこう。
さて、筋肉系の工業化社会→神経系の情報化社会ときて、そのあとにはどんな社会がくるのかということも、なかなか興味深いことです。ぼくは、それは「魂(スピリット)の社会」なのではないか、と一見オカルトに聞こえますが、思ってます。
感動とか、センスとかいうものがどんどん価値をあげていくのだとしたら、それは「魂の満足」を求める社会でしょう。
「食物を持つ・生きられる満足」を得ようとする農業社会の時代が、「ものを持つ・力を持つ満足」の工業化社会の時代に移行し、「ことを持つ・知恵を持つ満足」の情報化社会がきたのですから、次は、持つことから自由になって「魂を満足させることを求める」社会がくるのではないかと考えても、そんなに不思議ではないとも思うのですが。p114